学習院幼稚園の運動会だそうで、大玉ころがしをする皇太子一家の娘、愛子ちゃんの姿がニュースで流れた。可愛らしい様子には微笑ましさを感じた。その一方でチビの運動会を特別扱いで取り上げる体質に不快感も覚えた。愛子だ雅子だ悠仁だと、いちいち騒ぎ過ぎる。だいたい人は平等だって事の嘘を明らかにし過ぎでしょうが。全然平等なんかじゃない。天皇家を見れば一目瞭然。これをとがめられずにいる私達ってなんなの。天皇家はもとより、愛子、雅子を持ち上げねば生きにくい現実もどうなんだろうか。同年代の会話でも、愛子は可愛い、雅子は気の毒と続けないと仲間はずれにされそうな雰囲気がある。これ事態おかしい。政治と宗教の話はタブーとされているけれど、天皇家の問題はタブー視されていない。ここも不思議なところ。本来は支持不支持のどっちかに分かれているんじゃないかしら。皆が天皇制賛成って事はないんだから。そうした事を自由に平然と言える世の中にはどうなってもならんもんかなぁ。村八分って古い言葉なのにいまだに存在してるものね。どう言うこっちゃ。