スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

報知グランプリカップ&論点の中心

2021-02-12 19:52:32 | 地方競馬
 ダイオライト記念トライアルの昨晩の第57回報知グランプリカップ
 発走後の正面でゴールドホイヤーが内に切れ込んできた影響で,進路を失ったヤマノファイトが落馬。先手を奪ったのはサルサディオーネで,2番手にリンゾウチャネル。3番手はアクアリーブルとゴールドホイヤー。5番手にチャイヤプーン。6番手にグレンツェント。7番手にコズミックフォースでここまでは一団。2馬身差でコパノジャッキー。9番手にインペリシャブル。10番手にマイネルクラース。11番手にエメリミットでこの4頭は集団。3馬身差でブラヴール。大きく離されてマインシャッツという隊列。最初の800mは49秒3のハイペース。
 逃げたサルサディオーネにずっとプレッシャーをかけ続けたリンゾウチャネルは3コーナーからすぐ横に並べかけていき雁行に。内からグレンツェントが進出してきて単独の3番手に。直線に入ってもサルサディオーネとリンゾウチャネルの競り合いは続きましたが,競り落としたリンゾウチャネルが先頭に。この間に外から3番手に進出していたゴールドホイヤーが伸びてきて,一旦は先頭のリンゾウチャネルを差し切って優勝。リンゾウチャネルが1馬身半差で2着。直線での伸びを欠いたグレンツェントは2馬身差の3着。大外から勢いよく追い込んできたコパノジャッキーは,最後は止まってしまうような形で半馬身差の4着。
 優勝したゴールドホイヤー羽田盃以来の勝利で南関東重賞3勝目。南関東の4歳馬ではおそらく能力ではトップ。昨年暮れからの古馬相手のレースは苦戦していましたが,ダート戦では古馬相手にすぐに通用するというのは難しく,何度か走って慣れてきたころに結果を出すというのはよくあること。この馬の場合もそういうパターンになったということでしょう。骨折があって休養していましたので,状態も上昇していたということもあったかもしれません。ここはほかの馬に迷惑を掛ける形での優勝でしたが,それは馬の能力とは関係ありませんから,順調に使っていくことができれば南関東重賞はもっと勝てそうです、距離はあまり長くならない方がいいように感じられます。父はトランセンド。母の3つ上の半姉に1999年にフェアリーステークスを勝ったベルグチケット
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は黒潮盃以来の南関東重賞17勝目。報知グランプリカップは初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞10勝目。報知グランプリカップは初勝利。

 自己原因causa suiは類比的な意味で起成原因causa efficiensのようなものであるといい,神Deusあるいは本性essentiaと存在existentiaを区別することができないものは類比的な意味で自己原因のようなものであるとデカルトRené Descartesがいうとき,類比的に起成原因であったり自己原因であるということを強調したいわけではなく,神は本来的な意味では起成原因を有さないし,本来的な意味では自己原因ではないということを強調したいのです。それでもデカルトが類比的であるということをいうのは,自己由来的であるということを積極的に解するべきであるとデカルトは考えていたからで,そのことの根拠を示したかっただけです。そして同時にデカルトは,神が本来的には起成原因をもたず,本来的には自己原因ではないということで,アルノーAntoine Amauldの同意を得られる,デカルトが自己由来性を積極的に解するべきだと主張していることについても,同意を得られると考えていただろうと思います。
                                        
 神が本来的には起成原因をもたないこと,神は本来的な意味では自己原因ではないということについては,当然ながらアルノーは同意するでしょう。アルノーだけでなく,カテルスJohannes Caterusも同意するでしょう。ですが第四答弁のすべてに対してカテルスやアルノーが同意するかといえば,おそらく同意しないでしょう。そういう点ではデカルトにはある勘違いがあったといえると思います。それは双方の主張の論点の相違の中心がどこにあったのかという点です。デカルトはもしかしたら,自己原因は起成原因であり,神は自己原因であると自身が主張しているというように,アルノーは解していると考えたのかもしれません。実際にアルノーは,デカルトが『省察Meditationes de prima philosophia』や第一答弁でそのようにはいっていなくても,実際にはそう主張しているのも同じことだと理解していたと思います。けれど,カテルスにとってもアルノーにとっても,重大であったのはその点にあったのではなく,たぶんデカルトが自己由来性を積極的に解しているという点にあったのです。だからいくら自己由来性を積極的に解そうとも神は起成原因を有さずまた神は自己原因ではない,とデカルトがいったところで,アルノーもカテルスも,納得することはできなかったでしょう。

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