スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

中日新聞杯名古屋大賞典&医師の指示

2020-03-13 19:18:59 | 地方競馬
 昨日の第43回名古屋大賞典
 鞭を何発も入れてモズオラクルがハナへ。2番手のフィードバック,3番手のナムラカメタローまでは集団。3馬身差でロードゴラッソが4番手。5番手のビルジキール,6番手のサンデンバロンの3頭が集団。2馬身差でカレドヴルフが7番手。直後をマコトネネキリマルとアセイラントが併走してこの3頭も集団。2馬身差でアングライフェン。3馬身差でエバーゴールド。最後尾にヒーズインラブという隊列。スローペースでした。
 モズオラクルの逃げは2周目の向正面の入口まで。フィードバックとナムラカメタロー,1周目の正面からコーナーにかけて外から追い上げてきたアングライフェンの3頭が横並びとなり,4番手にビルジキールで5番手にロードゴラッソという隊列に変化。3コーナーからのコーナーワークでまたフィードバックが前に出ましたが,3頭は雁行。直線に入るとフィードバックは一杯。ナムラカメタローとアングライフェンの競り合いはアングライフェンが制したものの,2頭の外から末脚を伸ばしたロードゴラッソが差し切って優勝。アングライフェンが1馬身半差で2着。ナムラカメタローが半馬身差で3着。
 優勝したロードゴラッソはシリウスステークス以来の勝利で重賞2勝目。ここは上位3頭の能力が上位。後方からの競馬になったアングライフェンが早めに動き,それを先に行かせてから最後に脚を使うことになったのが勝因でしょう。この3頭は大きな能力の差があるわけではなく,同じレースに出走してくれば,展開次第で勝ったり負けたりという関係になってくるものと思います。ロードゴラッソに関しては,左回りはやや割引かもしれません。父はハーツクライ。Golazoはスペイン語で目標。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第37回以来6年ぶりの名古屋大賞典2勝目。管理している藤岡健一調教師は名古屋大賞典初勝利。

 12月13日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 12月14日,土曜日。10日にピアノの先生からの依頼で変更になっていた妹のピアノのレッスンでした。午後2時開始でした。
 12月16日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 12月17日,火曜日。午後3時20分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。これは13日から16日にかけて,妹が帰宅していたときの状況と関連します。
 妹の薬のうち,本牧脳神経外科から処方されている癲癇を抑制するための3種類の薬剤は,僕が薬局で入手します。妹はこの薬を朝食後と夕食後に飲む必要があります。妹は昼食は家にいない場合は通所施設で摂取しますが,朝食と夕食は家にいない場合はグループホームで摂ることになります。よってこの3種類の薬剤はグループホームでも必要な薬剤なので,僕が決まった方法で梱包し,それを妹を送る際に通所施設へ持参します。現在は支援態勢が変更になっていますから,妹を施設で迎えるのは,稀にSさんであることもありますが,大抵は通所施設の職員です。なので僕はその職員に渡し,グループホームに届けてもらうよう依頼するのです。これは支援態勢が変わる以前とほぼ同じです。
 一方,妹が港南中央医院に通院して薬を処方され,それを家でも服用する必要がある場合は,僕が迎えに行ったときに,施設の職員から渡されます。現在は迎えのときは必ず施設の職員が対応するようになっています。そして妹は貧血の治療のために薬剤を処方されていましたから,それ以降は必ずその薬を渡されていました。ところが13日に迎えに行ったときはなかったのです。よって週末は妹は鉄剤を服用していません。発作の抑制薬は服用が必須ですが,鉄剤なら飲まない日があっても大丈夫だろうと僕は思いましたので,その薬剤を入手しようとはしなかったのです。ただ飲まなかったのは事実なので,渡されなかったので飲まなかったということは,連絡帳に記しておきました。Sさんはそれを読んで電話を掛けてきたのです。
 港南中央医院の医師から,毎日は服用せず,様子を見ながら飲ませるようにという指示が出たとのことでした。

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