スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スポーツ盃マイルグランプリ&蜘蛛の巣と公理系

2020-07-30 19:08:28 | 地方競馬
 昨晩の第27回マイルグランプリ
 先手を奪いにいったのはワークアンドラブ,ヒカリオーソ,リッカルドの3頭。リッカルドが控えてワークアンドラブとヒカリオーソが並ぶように向正面ヘ。そこに外からアンサンブルライフが上がってきて,一旦はアンサンブルライフがハナに立ち,また内からワークアンドラブがハナを奪い返すという出入りの激しい流れ。4番手にリッカルドで5番手はカジノフォンテンとグレンツェントとトロヴァオ。8番手にコパノジャッキー。9番手にミューチャリーとサクラエンパイアとサノマルの3頭。ここから大きく離れてセンチュリオンが後方2番手。最後尾にマースインディという隊列。前半の800mは48秒5のハイペース。
 アンサンブルライフとヒカリオーソは早々に後退。3コーナーを回って2番手にはリッカルドが上がり,内からカジノフォンテン。直線に入るとリッカルドの外からグレンツェントが伸びてきて一旦先頭に。さらにその外からミューチャリーが伸び,グレンツェントを差して優勝。グレンツェントが1馬身差で2着。離れた後方から大外を伸びたセンチュリオンが4分の3馬身差まで迫って3着。
 優勝したミューチャリーは昨年10月の3歳オープン以来の勝利。南関東重賞は羽田盃以来の3勝目。この馬はヒカリオーソと共に現4歳馬2強の1頭。おそらくこれくらいの距離だとヒカリオーソよりも上なのではないでしょうか。前半から激しいレースになったため,控えていた馬たちで上位を占めることになりましたから,展開の恩恵がいくらかあったことは確かだと思いますが,このくらいのメンバー構成なら順当な勝利といっていいのではないかと思います。重賞でも通用する余地があるのではないでしょうか。母の従妹に2014年にオークスとローズステークス,2015年に中山記念,2016年にレッドカーペットハンデを勝ったヌーヴォレコルト。馬名の英語表記はMutually。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は大井記念以来の南関東重賞42勝目。第13回以来13年ぶりのマイルグランプリ2勝目。回数と年数の差が合わないのは,第17回が行われていないため。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞21勝目。マイルグランプリは初勝利。

 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheがどういった観点から,自由意志voluntas liberaによって働くagere神Deusは蜘蛛であると認めず,本性naturaの必然性necessitasによって働く神を蜘蛛であるとみなしたのかということは,考察したからといって確かな結論を得られるというものではありません。それでもひとつだけ確かなことは,神は死んだGott ist totということで唯一神が存在するということ自体を否定したニーチェが,それでもその神が自由意志によって働いているうちは,自らが蜘蛛となって巣を張っているわけではないと見立てていたことです。そしてそこには,結論を得ることは無理であるのだとしても,何らかの理由があったということもまた確実だといわなければなりません。
                                        
 ニーチェは,神が本性の必然性によって働くようになると,神は自らが蜘蛛となって巣を張るようになったといっているのですが,このとき,蜘蛛の巣から『エチカ』の公理系を連想していた可能性はかなり高いように思えます。もっといってしまえば,ニーチェが蜘蛛の巣ということで暗示しようとしていたのは,『エチカ』そのものであったという可能性が大いにあるように思えるのです。『エチカ』というのは,神すなわち絶対に無限な実体substantiaの本性の必然性からすべての事柄が生じるというようになっていますので,神が蜘蛛であり,蜘蛛の巣はそこから生じるすべての事柄だと解することができます。さらに,蜘蛛の巣というのはある定まった,こういってよければ秩序的な形状をしていますが,公理系というのはまさに秩序的なものであるとみなすことができます。
 『スピノザの世界』では,スピノザによる『エチカ』の執筆は,一種の思考実験であったという主旨のことが書かれています。つまり定義Definitioを置き,さらに公理Axiomaを置けばそこからは必然的にnecessario定理Propositioが発生し,そうして発生した定理を基にさらなる論証Demonstratioを重ねていくことができます。こうした再生産は,スピノザ自身の意図と無関係に拡大していきます。そのように定理を拡大再生産していくことで,思考をどこまで広げていくことが可能であるのかということの実験として『エチカ』いい換えれば公理系があったのだということです。僕はこれに全面的には賛成しませんが,一理あることは認めます。

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