スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松宮記念杯競輪&名目的定義

2020-06-21 19:30:20 | 競輪
 和歌山競輪場で開催された第71回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは新田‐佐藤の福島,平原‐芦沢の関東,脇本‐稲川‐稲垣の近畿,松浦に和田。
 佐藤,松浦,芦沢の3人がスタートを取りにいきました。枠なりとなり,前受けは新田に。3番手に松浦,5番手に平原,7番手に脇本で周回。残り2周のホームまで動きはなく,誘導が退避しないままそれぞれのラインの間で車間が少し開く隊列に。バックに入ってから脇本が発進し,打鐘で新田を叩いて先行。平原が合わせて上昇したので隊列は乱れ,脇本‐稲川‐平原‐稲垣‐新田‐佐藤‐芦沢の順に。ホームから松浦が発進。バックで前に迫っていきましたが,最終コーナーの手前で稲川がブロック。松浦はそれを乗り越えて脇本の後ろに入ったのですが,そこまで。直線もよく粘った脇本が優勝。松浦マークの和田が半車身差の2着で,松浦は半車輪差で3着。
                                        
 優勝した福井の脇本雄太選手は昨年の日本選手権競輪以来の優勝でビッグは5勝目。GⅠは4勝目。高松宮記念杯競輪は初優勝。オリンピックに備えているため競輪はあまり出走せず,今年は日本選手権競輪が中止になったためこれが初出走。優勝の間隔が開いているのもそのためです。松浦はよく頑張ったと思いますが,やはり力量は脇本の方が上で,残り1周半くらいからの先行になると,捲るのは難しいようです。7月は2回の出走が予定されていますので,また強いレースが見られることでしょう。

 僕はこのブログの中で,『エチカ』の定義Definitioの中には,実在的定義というべき定義と,名目的定義というべき定義の二種類があるといういい方をしてきました。名前の定義,いい換えれば定義されるものを命名するという行為は,このうち名目的定義に該当します。第一部定義三が名目的定義であるということ,すなわち実在的定義ではないということは,『エチカ』の論証Demonstratioの過程の中から明確に理解することができます。
 最も分かりやすい例として,ここでも第一部定理五をあげておくことにしましょう。この定理Propositioで実体substantiaeといわれているのは,第一部定義三で定義されている実体でなければなりません。これは公理系のルールですからそれ自体で明白だといわなければならない事柄です。よってここでいわれている実体は,それ自身のうちにありかつそれ自身によって考えられるあるものです。このとき,第一部定理五が,何か実在的なもの,といってもこの定理は実体について論証しようとしているのですから,実在的な実体について何事かをいっていると仮定してみましょう。すると,自然naturaのうちにはふたつあるいは複数の実体が存在して,それらの実体は同一の属性attributeを有していないといっていることになります。ところが『エチカ』はこう解釈することはできません。なぜなら第一部定理一四において,Deus以外には実体は存在しないといわれているからです。よって第一部定理五がいっているのは,ふたつあるいは複数の実体が存在して,それらは同一の属性を有していないということではないのです。そうではなく,もしふたつのあるいは複数の実体が存在すると仮定すれば,それらが同一の属性を有するということはないということなのです。つまり実在的な対象について何かをいっているわけではなく,それ自身のうちにありまたそれ自身によって考えられるものを実体というのであれば,論理的に同一の属性を有するふたつあるいは複数の実体は存在し得ないといっているのです。よって第一部定義三は,何か実在的な対象を名指ししてそれを実体といっているのではありません。もしそうであるなら,第一部定理五と第一部定理一四の間に矛盾が生じてしまうからです。

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