王位戦七番勝負第一局。羽生善治名人の封じ手は大方の予想通りで▲4六歩。これには△6五歩と突く手を予想していたのですが,深浦康市王位は△9五歩▲同歩△7五歩といきなり襲い掛かりました。対して先手は▲6六角。
ここから後手はこの角を攻撃目標に設定。端の桂香との二枚換えという分かれとなりました。
第2図からは激しい攻め合いとなって第3図に。
ここはもう観戦中。控室の検討ですとここで△6七桂成▲同金△8七角打も有力だったようですが,後手は△7八角成といきなり切る手を選択。しかしこれは先手の勝ちでした。ただし僕にどうやら先手の勝ちと分かったのは,もう少し進んだ第4図の局面になってからです。
後手にもう1歩あれば,△6八歩とか△4八歩が詰めろで入ってかなりやれそうですが,残念ながら歩が2枚しかありません。ここから少し粘りましたが波乱は起こらず,先手が押し切っています。
ということで羽生善治名人の先勝。とはいえ最後まで難しい一戦で,昨年の大熱戦を髣髴とさせる一局。次以降も楽しみになったのではないかと思います。第二局は23日と24日です。
明日は川崎でスパーキングレディーカップ。中心はメイショウバトラー◎で,強敵はトーセンジョウオー○。あと,ニシノナースコール△とラピッドオレンジ△。
第四部定理一というのは,真の観念が誤った観念を排除する原因とはならないということ,したがって誤った観念が人間の精神のうちから排除されるためには,その同じ対象の真の観念を有するということ以外に別の原因を必要とするということを明示するための定理です。ですから実際には,現在の考察で導こうとしている事柄,すなわち,同じ人間の精神のうちにXの十全な観念ないし真の観念と,Xの混乱した観念ないしは誤った観念が,同時的にあり得るということを示しているわけではありません。そして確かに,ただこの定理だけでは,それは証明されてなく,もうひとつの条件が必要になります。
Xの十全な観念があるからといって,Xの混乱した観念が同じ人間の精神のうちに生じることを妨げる原因とはなりません。したがって,ある人間Aの精神にXの十全な観念がある場合にも,Xの混乱した観念は生じるということになるでしょう。しかしこの場合に,Xの十全な観念がある人間の精神のうちにあるということは,あらかじめ前提できるというものではありません。むしろXの十全な観念がないならば,この定理は単に,人間の精神のうちにはある混乱した観念だけが生じるということを意味することになります。
だから実際には,あらかじめ何らかの十全な観念が人間の精神のうちにあるということが必要になります。ただしこのことは,単に第四部定理一だけでなく,今回のテーマである第二部定理四〇の全体に関係してきます。したがってこのことは,後で証明するということにします。よってここでは,何らかの十全な観念が人間の精神のうちにあるという前提で,同じ人間の精神のうちに,Xの十全な観念とXの混乱した観念が同時にあり得るということが示されたということにしておきます。
ここから後手はこの角を攻撃目標に設定。端の桂香との二枚換えという分かれとなりました。
第2図からは激しい攻め合いとなって第3図に。
ここはもう観戦中。控室の検討ですとここで△6七桂成▲同金△8七角打も有力だったようですが,後手は△7八角成といきなり切る手を選択。しかしこれは先手の勝ちでした。ただし僕にどうやら先手の勝ちと分かったのは,もう少し進んだ第4図の局面になってからです。
後手にもう1歩あれば,△6八歩とか△4八歩が詰めろで入ってかなりやれそうですが,残念ながら歩が2枚しかありません。ここから少し粘りましたが波乱は起こらず,先手が押し切っています。
ということで羽生善治名人の先勝。とはいえ最後まで難しい一戦で,昨年の大熱戦を髣髴とさせる一局。次以降も楽しみになったのではないかと思います。第二局は23日と24日です。
明日は川崎でスパーキングレディーカップ。中心はメイショウバトラー◎で,強敵はトーセンジョウオー○。あと,ニシノナースコール△とラピッドオレンジ△。
第四部定理一というのは,真の観念が誤った観念を排除する原因とはならないということ,したがって誤った観念が人間の精神のうちから排除されるためには,その同じ対象の真の観念を有するということ以外に別の原因を必要とするということを明示するための定理です。ですから実際には,現在の考察で導こうとしている事柄,すなわち,同じ人間の精神のうちにXの十全な観念ないし真の観念と,Xの混乱した観念ないしは誤った観念が,同時的にあり得るということを示しているわけではありません。そして確かに,ただこの定理だけでは,それは証明されてなく,もうひとつの条件が必要になります。
Xの十全な観念があるからといって,Xの混乱した観念が同じ人間の精神のうちに生じることを妨げる原因とはなりません。したがって,ある人間Aの精神にXの十全な観念がある場合にも,Xの混乱した観念は生じるということになるでしょう。しかしこの場合に,Xの十全な観念がある人間の精神のうちにあるということは,あらかじめ前提できるというものではありません。むしろXの十全な観念がないならば,この定理は単に,人間の精神のうちにはある混乱した観念だけが生じるということを意味することになります。
だから実際には,あらかじめ何らかの十全な観念が人間の精神のうちにあるということが必要になります。ただしこのことは,単に第四部定理一だけでなく,今回のテーマである第二部定理四〇の全体に関係してきます。したがってこのことは,後で証明するということにします。よってここでは,何らかの十全な観念が人間の精神のうちにあるという前提で,同じ人間の精神のうちに,Xの十全な観念とXの混乱した観念が同時にあり得るということが示されたということにしておきます。
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