スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤコービとメンデルスゾーン②&反動

2015-09-09 19:09:33 | 哲学
 第一部定理三三備考二で,神Deusが善意によって行動するということをスピノザは全面的に否定しました。ヤコービとメンデルスゾーン①では,この点に関して,メンデルスゾーンMoses Mendelssohnのスピノザの哲学の解釈に大きな瑕疵があったことを示しました。そしてもうひとつ,メンデルスゾーンは致命的な誤りを犯しているように僕には思えます。
                         
 メンデルスゾーンは,スピノザの哲学では有限なものが取りまとめられることによって無限なものが生じることになると解釈していました。岩波文庫版116ページの第二部自然学②補助定理七備考でスピノザが記述していることは,この見解に沿うようにみえます。しかしこれは誤りです。第一部定理一三備考でいわれているのは,もし実体substantiaが分割可能であるならそれは有限finitumであるが,実体は無限infinitumだから分割不可能であるということであり,したがって有限なものの集合として無限が構成されるのは不条理であると理解しなければならないからです。
 これに対してヤコービFriedrich Heinrich Jaobiは,全体が部分に対して必然的にnecessario先行しなければならないという原則がスピノザの哲学にはあり,確かにスピノザの哲学はこの原則に従っていると解しました。よってヤコービは,スピノザの哲学に出発点があるなら,それは有限であるものすなわち個物res singularisではなく,無限なる全体すなわち絶対に無限な神であるという主旨のことをいっています。
 さらにヤコービは,全体が部分に必然的に先行するという原則は,時間的な先行を意味しないと考えていました。たとえば延長の属性Extensionis attributumあるいは延長属性の無限様態modus infinitusは,各々の物体corpusに対しては,本性的に前にあるけれども時間的に前にあるというわけではないと考えていたのです。僕のいい方だと,これは本性の上で「先立つ」とはいかなる意味であるのかということを,ヤコービは的確に理解していたということになります。
 汎神論論争ではヤコービは反スピノザの立場でした。しかしヤコービこそがスピノザのよき理解者でした。ヤコービのスピノザ解釈は,後世の思想家にも大きく影響を及ぼしたと考えてよいでしょう。

 もしもコンスタンティンConstantijin Huygensが政治と宗教religioを同一視していたなら,キリスト教的な意味での神権国家の構築を目指すことになります。この場合は政教分離に大反対で,むしろ政教一致を目指すことになるでしょう。しかしコンスタンティンが神権国家を目指しているのではなかったとすれば,政教分離の原則化には賛成する余地が残ります。そしてこの場合には,コンスタンティンが肩をすくめるという仕種をした理由が,牧師が政治的発言を行っていることそれ自体に向けられていたと解することができるわけです。
 こうした事実から理解できるのは,同じように反動的といっても,政治的な意味で反動的であるというのと,宗教的な意味で反動的であるというのとでは,意味合いに異なりがあるということです。このブログでは大概の思想はスピノザと比べることになります。なので大部分は宗教的にも政治的にも反動的であったということになります。しかしもしその他の人物の間で比較したら,もっと別のいい方ができる場合もあると思います。コンスタンティンとヨハン・デ・ウィットJan de Wittは,政治的にいえばコンスタンティンが反動的でデ・ウイットが進歩的です。でも宗教的文脈において,同じように結論付けられるかは僕には分からないということになります。
 コンスタンティンは別格視するべきでしょうが,フェルトホイゼンLambert van VelthuysenやブレイエンベルフWillem van Blyenburgとの関係から分かるのは,スピノザは自身と意見が合わないからという理由で会見を拒む人物ではなかったということです。むしろ求められればそれに応じる人物であったと推定されます。フェルトホイゼンはともかく,ブレイエンベルフに対する態度から,そのことが顕著にみてとれると僕は判断します。そしてこのことはたぶんマルタンの推理には多少なりとも有利に働く筈です。もしフェルメールなりレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookなりが,スピノザに会うことを求めた場合,その要求に確かな理由がある限りでは,スピノザは断らないであろうという推測が成り立つことになるからです。
 『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡三十八の相手というのも,そういう求めに応じてスピノザが会った人物であったかもしれません。

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