GⅠから中3日での開催となった久留米記念の決勝。並びは岡田ー長塚の関東に鈴木,浅井-山内の中部,吉本-池田ー橋本の西国で伏見が単騎。
浅井が前受けし,3番手は吉本,伏見を挟んで7番手に岡田という周回であった模様。上昇した岡田は残り2周のホームでまずは吉本に蓋をし,バックになってから浅井を叩いてこのラインが前に出て打鐘。ここから外を吉本が巻き返し,伏見まで出きってホームから先行。すぐに浅井が巻き返しにいきましたが岡田が牽制して再び8番手。その岡田がバックから捲っていったものの,3コーナーを過ぎて一杯。展開的には明らかに前が有利となりましたが,立て直して残り半周から捲り追い込む形になった浅井が直線で外を突き抜けて優勝。2着は接戦でしたが番手の池田が吉本を僅かに交わし,逃げ粘った吉本が3着。
優勝した三重の浅井康太選手は月初めの岐阜記念に続く記念競輪4勝目。ここは能力は上位ですからチャンス十分。展開はおおよそ最悪といっていいものであったように思うのですが,それを力で乗り越えたといった感じ。今後も活躍し続けていくものと思います。
久留米市は豪雨で被害がありました。この開催の売り上げが少しでも被災地復旧の役に立ってほしいと思います。
ところがその後すぐ,母の異変が生じました。先生が無事に出産したということは,母の入院中に連絡を受けていたのですが,レッスンはまだ再開できませんでした。とても僕にはそこまで手が回らなかったからです。また,母はその年の暮には退院してきたわけですが,退院してすぐは,母自身が自分の体力というものに自信を持てなかったということもあり,すぐに再開というわけにはいかなかったのです。
そしてその後,さらに問題が生じました。今度は先生の母親の方が体調を悪くしてしまい,入院することになってしまったのです。このため先生の方が忙しくなってしまいました。命に別条があったわけではなく,無事に退院することはできたようですが,介護が必要な状況であったため,こちらの事情だけでいえば,いつレッスンを再開しても大丈夫という状況になっていても,実際の再開は延び延びとなっていました。先生の母親の状況も徐々に改善してある程度の落ち着きを取り戻したので,それがようやく再開されることになったのが6月2日の土曜日。およそ2年ぶりのことでした。ただし,それまでは月に4回していたこのレッスンですが,現在のところは月に2回と,回数の方は半減しています。
そしてその翌週の水曜日,6月6日のことになりますが,この日は母が妹を作業所まで送っていきました。水曜日は新たなる支援である家までの迎えがある日ですが,母は水曜の迎えは断り,月曜と金曜の週2回に減らしたのです。実は僕はこのことを前日の夜に知らされましたので,施設の方とどういった話し合いがあったのかということは分かりません。ただ,これは先方からの依頼ではなく,母の方から持ち出したことであるということだけは確かなようです。おそらく何らかの話し合いがあったのは5月のうちで,6月から迎えは週2回にすると申し出たものと思います。この6月6日というのが,この月の最初の水曜日ですから,この日から母が送っていくということになったということなのでしょう。この変更は月が変わって現在も続いていますし,おそらく今後も続いていくでしょう。つまり,火曜,水曜,木曜と,週に3日は母が作業所へ送っていくことになったのです。
浅井が前受けし,3番手は吉本,伏見を挟んで7番手に岡田という周回であった模様。上昇した岡田は残り2周のホームでまずは吉本に蓋をし,バックになってから浅井を叩いてこのラインが前に出て打鐘。ここから外を吉本が巻き返し,伏見まで出きってホームから先行。すぐに浅井が巻き返しにいきましたが岡田が牽制して再び8番手。その岡田がバックから捲っていったものの,3コーナーを過ぎて一杯。展開的には明らかに前が有利となりましたが,立て直して残り半周から捲り追い込む形になった浅井が直線で外を突き抜けて優勝。2着は接戦でしたが番手の池田が吉本を僅かに交わし,逃げ粘った吉本が3着。
優勝した三重の浅井康太選手は月初めの岐阜記念に続く記念競輪4勝目。ここは能力は上位ですからチャンス十分。展開はおおよそ最悪といっていいものであったように思うのですが,それを力で乗り越えたといった感じ。今後も活躍し続けていくものと思います。
久留米市は豪雨で被害がありました。この開催の売り上げが少しでも被災地復旧の役に立ってほしいと思います。
ところがその後すぐ,母の異変が生じました。先生が無事に出産したということは,母の入院中に連絡を受けていたのですが,レッスンはまだ再開できませんでした。とても僕にはそこまで手が回らなかったからです。また,母はその年の暮には退院してきたわけですが,退院してすぐは,母自身が自分の体力というものに自信を持てなかったということもあり,すぐに再開というわけにはいかなかったのです。
そしてその後,さらに問題が生じました。今度は先生の母親の方が体調を悪くしてしまい,入院することになってしまったのです。このため先生の方が忙しくなってしまいました。命に別条があったわけではなく,無事に退院することはできたようですが,介護が必要な状況であったため,こちらの事情だけでいえば,いつレッスンを再開しても大丈夫という状況になっていても,実際の再開は延び延びとなっていました。先生の母親の状況も徐々に改善してある程度の落ち着きを取り戻したので,それがようやく再開されることになったのが6月2日の土曜日。およそ2年ぶりのことでした。ただし,それまでは月に4回していたこのレッスンですが,現在のところは月に2回と,回数の方は半減しています。
そしてその翌週の水曜日,6月6日のことになりますが,この日は母が妹を作業所まで送っていきました。水曜日は新たなる支援である家までの迎えがある日ですが,母は水曜の迎えは断り,月曜と金曜の週2回に減らしたのです。実は僕はこのことを前日の夜に知らされましたので,施設の方とどういった話し合いがあったのかということは分かりません。ただ,これは先方からの依頼ではなく,母の方から持ち出したことであるということだけは確かなようです。おそらく何らかの話し合いがあったのは5月のうちで,6月から迎えは週2回にすると申し出たものと思います。この6月6日というのが,この月の最初の水曜日ですから,この日から母が送っていくということになったということなのでしょう。この変更は月が変わって現在も続いていますし,おそらく今後も続いていくでしょう。つまり,火曜,水曜,木曜と,週に3日は母が作業所へ送っていくことになったのです。
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