ギルトとクライムの相違は,『こころ』にだけ関係するわけではなく,他の小説でも論じることができることだと僕は考えています。ここでは一例として『罪と罰』について考えてみましょう。これはそのまま罪ということばがタイトルに含まれていますから,例材としても分かりやすいのではないかと思います。

『罪と罰』の罪は,ラスコーリニコフが犯した殺人の罪としてみれば,これはギルトに該当することになります。ただし,殺人というのは法の中での罪ですから,その場合は罰というのが刑罰を意味することになります。しかし,罰の方を刑罰と解することは,ロシア語の原題からしてあまり好ましくありません。『謎とき『罪と罰』』によれば,ロシア語において罪や罰のような抽象名詞に該当する語は,複数形では具体性を有する事象を指し,単数形では語義を抽象化させる傾向があるといわれています。『罪と罰』の場合,罪も罰も単数形になっています。よってもしも両方が複数形であるならば,具体的事象を指す『犯罪と刑罰』という題名にするのがよいのですが,単数形であるがゆえにそれをより抽象化した『罪と罰』と訳出するのが適当だと江川は指摘しています。
ラスコーリニコフがソーニャに対してペレストゥピーチということばを発するとき,ラスコーリニコフのソーニャ観がそこには表れているのであって,そのとき少なくともラスコーリニコフは自身が犯した殺人という罪のことを,自らが犯したギルトという観点からとらえていたわけではなく,もっと一般的なクライムという観点からとらえていたというべきでしょう。もちろんそれはラスコーリニコフの身勝手な観点ということはできるわけですが,一方でラスコーリニコフにとっての罰というのは,裁判にかけられた上での法的な刑罰を意味するわけではなく,たとえばソーニャに命じられて大地に接吻するような行為の方に重きが置かれていたのも事実だといえるでしょう。
これはこれでそもそも罰とは何なのかという別の問題を提起しそうなので,ここではそれは考慮しません。しかしそうした罰に対応する罪は,ギルトというよりはクライムなのであって,少なくともラスコーリニコフの中ではそうであったといえると僕は考えます。
7月29日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時25分でした。この日は中央検査室で採血を待っている患者がひとりもいませんでした。なのですぐに採血をして,注射針の処理を終えた後で採尿をしました。
診察が始まったのは午後3時45分でした。この日は血糖値測定器は持っていったのですが,自己管理ノートを持っていくのを忘れてしまいました。なので日々の血糖値がどの程度であったのかを主治医が把握することはできませんでした。ただHbA1cは7.0%と6月よりもさらに下がっていましたし,低血糖の割合も全体の3.6%で,6月とほぼ変化がありませんでした。これらのことを勘案し,注射する量を変更する必要はないということになりました。HbA1cが漸減しているのは,何度かいっているように気候の影響が大きく,僕の血糖値は冬場は高く夏場は下がる傾向があるからです。
この日はこれ以外には異常はありませんでした。これも6月に続いてのことです。なお6月は採尿の混濁が2+となっていたのですが,この日は-に戻っていました。
主治医の方から,注射針を変更するという話がありました。これはマイナーチェンジで,マイクロファインの31というのを使用していたのですが,それを32にするというものでした。ただ僕は薬局に次の通院日を伝え,インスリン注射針を用意してもらっています。なのでこの日に注射針を変更すると,それは薬局には用意されていない可能性が高いように思われました。なのでその変更は次回からにしてほしいと要請し,受け入れてもらえました。
薬局に寄って帰りますので,次回から注射針が変更になるということを伝えました。ただ,マイクロファインの32というのは,何種類かあるとのことで,それが具体的にどれになるのかまでは僕には分かりませんでした。なので何が処方されてもよいように用意してもらうことにしました。この日に処方された分のインスリンと注射針は在庫がありましたので,それは受け取っています。帰宅したのは午後5時5分でした。
7月30日,火曜日。使用していたパソコンに問題が生じてしまいました。

『罪と罰』の罪は,ラスコーリニコフが犯した殺人の罪としてみれば,これはギルトに該当することになります。ただし,殺人というのは法の中での罪ですから,その場合は罰というのが刑罰を意味することになります。しかし,罰の方を刑罰と解することは,ロシア語の原題からしてあまり好ましくありません。『謎とき『罪と罰』』によれば,ロシア語において罪や罰のような抽象名詞に該当する語は,複数形では具体性を有する事象を指し,単数形では語義を抽象化させる傾向があるといわれています。『罪と罰』の場合,罪も罰も単数形になっています。よってもしも両方が複数形であるならば,具体的事象を指す『犯罪と刑罰』という題名にするのがよいのですが,単数形であるがゆえにそれをより抽象化した『罪と罰』と訳出するのが適当だと江川は指摘しています。
ラスコーリニコフがソーニャに対してペレストゥピーチということばを発するとき,ラスコーリニコフのソーニャ観がそこには表れているのであって,そのとき少なくともラスコーリニコフは自身が犯した殺人という罪のことを,自らが犯したギルトという観点からとらえていたわけではなく,もっと一般的なクライムという観点からとらえていたというべきでしょう。もちろんそれはラスコーリニコフの身勝手な観点ということはできるわけですが,一方でラスコーリニコフにとっての罰というのは,裁判にかけられた上での法的な刑罰を意味するわけではなく,たとえばソーニャに命じられて大地に接吻するような行為の方に重きが置かれていたのも事実だといえるでしょう。
これはこれでそもそも罰とは何なのかという別の問題を提起しそうなので,ここではそれは考慮しません。しかしそうした罰に対応する罪は,ギルトというよりはクライムなのであって,少なくともラスコーリニコフの中ではそうであったといえると僕は考えます。
7月29日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時25分でした。この日は中央検査室で採血を待っている患者がひとりもいませんでした。なのですぐに採血をして,注射針の処理を終えた後で採尿をしました。
診察が始まったのは午後3時45分でした。この日は血糖値測定器は持っていったのですが,自己管理ノートを持っていくのを忘れてしまいました。なので日々の血糖値がどの程度であったのかを主治医が把握することはできませんでした。ただHbA1cは7.0%と6月よりもさらに下がっていましたし,低血糖の割合も全体の3.6%で,6月とほぼ変化がありませんでした。これらのことを勘案し,注射する量を変更する必要はないということになりました。HbA1cが漸減しているのは,何度かいっているように気候の影響が大きく,僕の血糖値は冬場は高く夏場は下がる傾向があるからです。
この日はこれ以外には異常はありませんでした。これも6月に続いてのことです。なお6月は採尿の混濁が2+となっていたのですが,この日は-に戻っていました。
主治医の方から,注射針を変更するという話がありました。これはマイナーチェンジで,マイクロファインの31というのを使用していたのですが,それを32にするというものでした。ただ僕は薬局に次の通院日を伝え,インスリン注射針を用意してもらっています。なのでこの日に注射針を変更すると,それは薬局には用意されていない可能性が高いように思われました。なのでその変更は次回からにしてほしいと要請し,受け入れてもらえました。
薬局に寄って帰りますので,次回から注射針が変更になるということを伝えました。ただ,マイクロファインの32というのは,何種類かあるとのことで,それが具体的にどれになるのかまでは僕には分かりませんでした。なので何が処方されてもよいように用意してもらうことにしました。この日に処方された分のインスリンと注射針は在庫がありましたので,それは受け取っています。帰宅したのは午後5時5分でした。
7月30日,火曜日。使用していたパソコンに問題が生じてしまいました。