『夏目漱石『心』を読み直す』の第Ⅲ章で,先生が下宿した先の事情が,当時の民法と関連付けて説明されています。そこから,先生が下宿を開始した時点では.,こうした状況が特異なものであったことが分かります。
この下宿は,先生の手記では奥さんといわれている,戦争未亡人の家屋でした。戦争というのは日清戦争です。つまり,日清戦争で夫を失った未亡人が,それまで暮らしていた家を売った上で,新しく購入した家屋です。そこに,奥さんとお嬢さんが一緒に暮らしていて,このふたりはおそらく遺族年金で生活していたのですが,それでは心もとないからということで下宿人,といってもそれはお嬢さんの結婚相手を同時に意味していたわけですが,そうなり得る下宿人を探し,そこに先生が舞い込んだのです。
ところが,奥さんがこのように戸主としていることができたのは,日清戦争が終わって少し後までであったそうです。正確にいうと,1898年までだったそうです。日清戦争が終わったのは1895年ですから,3年後ということになります。1898年までは明治民法典という法律の下,奥さんのような未亡人が戸主になることは許容されていたのですが,明治民法典は1898年に廃止され,新しい明治民法が制定されました。この明治民法の下では,家督を相続するのは基本的に長男であり,長男が死んだ場合は次男という具合に,戸主である男の男の子だけが戸主となることができました。したがって女は未亡人であろうと子どもであろうと,戸主になることができなくなっていたのです。
『それから』でも民法の規定というものを意識して漱石は小説を書いたものと思われます。したがって『こころ』の場合もそれと同様であったのでしょう。実際に『こころ』が書かれたのは1914年であって,明治民法が制定されてから16年が経過しています。したがってこの時期には女の戸主というのは存在しなかったか,存在していても明治民法典のうちに許容されいたごく少数になっていた筈です。だから奥さんが戸主になっていることが,読者には不自然に感じられたかもしれません。しかし日清戦争の未亡人であった奥さんは戸主になれたのであり,この設定は法的にも成立するのです。
同じく第4章3節で,國分はねたみinvidiaという感情affectusについて分析しています。これは,スピノザの哲学における能動actioと受動passioの関係を説明するための一例です。この説明はスピノザの哲学を理解するために有益だと思いますので,詳しく紹介します。
第三部諸感情の定義二三で示されているように,ねたみは憎しみodiumの一種とされています。憎しみというのは第三部諸感情の定義七から分かるように,悲しみtristitiaの一種です。つまり,第三部諸感情の定義三により,より大なる完全性perfectioからより小なる完全性への移行transitioを意味します。ねたみという感情が負の感情であるということ,いい換えれば否定的な感情であるということについては,特段の説明は不要だと國分はいっていますが,それと同時に,あらゆるねたみが,なぜより大なる完全性からより小なる完全性へと人を移行させる感情であるのかということについては,説明が必要であると國分は指摘しています。というのは,現実的に存在する人間は,ねたみの感情をばねにすることによって,熱心に何事かに取り組むということがあり得るからです、僕も現実的に存在する人間にそのようなことが生じることがあるということについては,國分に同意します。しかしこうした活動は,より大なる完全性からより小なる完全性への移行というより,より小なる完全性からより大なる完全性への移行という方が相応しいのではないでしょうか。少なくともその人間はその事柄については熱心に取り組むのであって,これはその人が活発に活動していることになると思われるからです。
國分もまた,実際にそういうことが生じること自体についてはあり得ると認めています。しかしいかにその活動が活発であるようにみえるとしても,それは受動であるといいます。なぜなら,活発にみえるその人の活動が何を最もよく表現しているのかといえば,それは活発に活動するその人の力potentiaなのではなく,その人にそれほど活発に活動させるほどのねたみを感じさせた相手の力であるからです。すなわち,完全性の移行というのは,あるいは能動と受動というのは,単に現実的に存在する人間が活発に活動しているかいないかということとは無関係なのです。
この下宿は,先生の手記では奥さんといわれている,戦争未亡人の家屋でした。戦争というのは日清戦争です。つまり,日清戦争で夫を失った未亡人が,それまで暮らしていた家を売った上で,新しく購入した家屋です。そこに,奥さんとお嬢さんが一緒に暮らしていて,このふたりはおそらく遺族年金で生活していたのですが,それでは心もとないからということで下宿人,といってもそれはお嬢さんの結婚相手を同時に意味していたわけですが,そうなり得る下宿人を探し,そこに先生が舞い込んだのです。
ところが,奥さんがこのように戸主としていることができたのは,日清戦争が終わって少し後までであったそうです。正確にいうと,1898年までだったそうです。日清戦争が終わったのは1895年ですから,3年後ということになります。1898年までは明治民法典という法律の下,奥さんのような未亡人が戸主になることは許容されていたのですが,明治民法典は1898年に廃止され,新しい明治民法が制定されました。この明治民法の下では,家督を相続するのは基本的に長男であり,長男が死んだ場合は次男という具合に,戸主である男の男の子だけが戸主となることができました。したがって女は未亡人であろうと子どもであろうと,戸主になることができなくなっていたのです。
『それから』でも民法の規定というものを意識して漱石は小説を書いたものと思われます。したがって『こころ』の場合もそれと同様であったのでしょう。実際に『こころ』が書かれたのは1914年であって,明治民法が制定されてから16年が経過しています。したがってこの時期には女の戸主というのは存在しなかったか,存在していても明治民法典のうちに許容されいたごく少数になっていた筈です。だから奥さんが戸主になっていることが,読者には不自然に感じられたかもしれません。しかし日清戦争の未亡人であった奥さんは戸主になれたのであり,この設定は法的にも成立するのです。
同じく第4章3節で,國分はねたみinvidiaという感情affectusについて分析しています。これは,スピノザの哲学における能動actioと受動passioの関係を説明するための一例です。この説明はスピノザの哲学を理解するために有益だと思いますので,詳しく紹介します。
第三部諸感情の定義二三で示されているように,ねたみは憎しみodiumの一種とされています。憎しみというのは第三部諸感情の定義七から分かるように,悲しみtristitiaの一種です。つまり,第三部諸感情の定義三により,より大なる完全性perfectioからより小なる完全性への移行transitioを意味します。ねたみという感情が負の感情であるということ,いい換えれば否定的な感情であるということについては,特段の説明は不要だと國分はいっていますが,それと同時に,あらゆるねたみが,なぜより大なる完全性からより小なる完全性へと人を移行させる感情であるのかということについては,説明が必要であると國分は指摘しています。というのは,現実的に存在する人間は,ねたみの感情をばねにすることによって,熱心に何事かに取り組むということがあり得るからです、僕も現実的に存在する人間にそのようなことが生じることがあるということについては,國分に同意します。しかしこうした活動は,より大なる完全性からより小なる完全性への移行というより,より小なる完全性からより大なる完全性への移行という方が相応しいのではないでしょうか。少なくともその人間はその事柄については熱心に取り組むのであって,これはその人が活発に活動していることになると思われるからです。
國分もまた,実際にそういうことが生じること自体についてはあり得ると認めています。しかしいかにその活動が活発であるようにみえるとしても,それは受動であるといいます。なぜなら,活発にみえるその人の活動が何を最もよく表現しているのかといえば,それは活発に活動するその人の力potentiaなのではなく,その人にそれほど活発に活動させるほどのねたみを感じさせた相手の力であるからです。すなわち,完全性の移行というのは,あるいは能動と受動というのは,単に現実的に存在する人間が活発に活動しているかいないかということとは無関係なのです。