スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流棋士の呼称&パーティー

2009-04-30 19:28:55 | 将棋トピック
 実をいうと,僕は棋士の呼称に関しては,それをどのように表記するべきなのかということについて,それほど悩みがあったというわけではありません。というか,悩みなどまったくありませんでした。もしも悩みがあったというならば,女流棋士の呼称をどのようにするべきなのかということについてなのです。
 タイトルを持っていない棋士については,女流○段とか女流○級と記せばいいので問題ありません。また,タイトルに関していえば,一昨年度まではやはり女流名人位戦だけは別格と考え,女流名人を保持している場合にはほかのタイトルに関係なく女流名人と表記し,女流名人以外のタイトルを複数戴冠している場合には,女流二冠とか女流三冠というように表記してこれを済ましてきました。
 昨年度に入り,マイナビ女子オープンがタイトル戦となり,女王という称号ができました。悩みの種といえたのはこれ。この棋戦は契約金が女流の棋戦では最高。したがって,日本将棋連盟のサイトでもLPSAのサイトでも,女流棋戦のうち最上位にリンクされています。したがって格だけでいうならば,それまでの女流名人に代わり,女王を特記的に表記するべきということになります。
 しかし女流名人位戦は女流棋界最初のタイトル戦ですし,やはり名人ということばの響きは別格なのではないかと思います。というわけで,女流名人についても,これまでのようにほかのタイトルとは別格のものとして表記します。したがって,女王と女流名人が同一人物の場合には,女王・女流名人と表記します。矢内理絵子女王は3月の女流名人失冠までその立場にありましたが,そのように表記されているケースが多かったようにも思います。女王という称号ができて1年近くが経過しましたので,ここでもそのような決まりを示しておくことにしました。

 この学生時代の飲酒というのは,大概の場合は居酒屋で飲むわけですが,そうではなく,ゼミの学生の家で飲むというケースもありました。僕は実家から通っていた関係もあり,僕の家がその舞台となったことはありませんでしたが,地方から出てきて下宿しているという同級生も多く,かれらの家には僕も何度かお邪魔させてもらったことがあります。こういう場合は飲み会とはいわずに,パーティーとかフェスティバルとかいうのが僕たちの間での慣わしになっていましたが,大学4年の11月から12月に掛けてはこのパーティーが毎週のように行われたのです。そのうちのひとつ,その後の出来事との関連で深く印象に残っているものについてお話してみましょう。
 当時の日付を振り返りますと,これは2002年12月3日からの数日間のようです。この3日が木曜日。パーティーが開催されることは前々から決まっていたのですが,僕も含めた数名はほかに用事があったので,少し遅れての到着になりました。途中で帰る人もありましたが,僕を含めた何人かは朝まで飲み,昼頃まで少し仮眠をさせてもらいました。
 4日の昼になり,本来ならこれで帰宅するところですが,この日は全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦の日本武道館大会の日。この頃の全日本プロレスは,武道館大会当日に次回の武道館大会のチケットを発売するのが慣例となっていて,僕は前回のときに購入したチケットを持っていました。だから横浜の家まで帰って,再び武道館に行くというのはいくら何でも面倒。というわけで,そのまま武道館に向うことにしました。
 話が少し前後しますがこのときのパーティー会場,会場って要は友人宅ですが,最寄の駅とかよく覚えていないのだけれども小平の方でした。僕は乗り慣れない西武線を乗り継いでとりあえず新宿まで行き,そこで少し時間を潰したのですが,僕が西武線を利用したのはこのときが最初で最後だったと思います。 
コメント
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