オークスに関する記事で,勝ったカワカミプリンセスは今年の2月にようやくデビューにこぎつけた馬であり,こうした馬がオークスを勝つのは異例ではないかと書きました。実はオークスというレースは創設当初は秋に行われていたので,その当時の勝ち馬と,今のように春に開催されるようになってからの勝ち馬を比較するのはあまり意味をなしませんが,僕が鋭意調査(かなざわいっせいさんふうに)したところ,シャダイアイバーという馬は,なんと3月7日にデビューして,5月23日のオークスに勝っていたということが分かりました。1982年のことなので,さすがに僕の競馬キャリア以前です。実は1頭発見したことに満足して調査を打ち切ってしまったのですが,探せばほかにいるかもしれません。ただし,シャダイアイバー以後はカワカミプリンセスまでいませんから,珍しい例であることは間違いないです。
今日もまた物体に絞って考えます。実在するすべての「物体」は,延長の様態として実在するとともに思惟の様態としても実在します。そして延長の様態としての「物体」と思惟の様態としての「物体」(つまり,延長の様態である物体の観念のことです)は同一の個体であって,合一しているのです。僕が思うに,この合一している「物体」について,それを思惟の様態という側面からみたとき,スピノザはそれをその「物体」の精神といっているのだと思います。いい換えれば,物体がその観念と合一しているという事態を思惟の属性の観点からいい表すと,それは「物体」の精神ということになるのだろうと思うのです。よって精神をそのように考える限りでは,すべてのものが精神を有するといったとしても,それはすべてのものに十全な観念があるということを,ある観点からいっているにすぎないこととなり,そうも不条理なことをスピノザが表明しているとは僕は考えないのです。
*物体は本来は延長の個物という意味ですから(第二部定義一),物体の精神などという表現はエチカではあり得ません。ただここでは分かりやすくするために,あえてそのおかしな表現を用いました。「物体」と括弧で括ったのはそういう理由です。
今日もまた物体に絞って考えます。実在するすべての「物体」は,延長の様態として実在するとともに思惟の様態としても実在します。そして延長の様態としての「物体」と思惟の様態としての「物体」(つまり,延長の様態である物体の観念のことです)は同一の個体であって,合一しているのです。僕が思うに,この合一している「物体」について,それを思惟の様態という側面からみたとき,スピノザはそれをその「物体」の精神といっているのだと思います。いい換えれば,物体がその観念と合一しているという事態を思惟の属性の観点からいい表すと,それは「物体」の精神ということになるのだろうと思うのです。よって精神をそのように考える限りでは,すべてのものが精神を有するといったとしても,それはすべてのものに十全な観念があるということを,ある観点からいっているにすぎないこととなり,そうも不条理なことをスピノザが表明しているとは僕は考えないのです。
*物体は本来は延長の個物という意味ですから(第二部定義一),物体の精神などという表現はエチカではあり得ません。ただここでは分かりやすくするために,あえてそのおかしな表現を用いました。「物体」と括弧で括ったのはそういう理由です。