¡Si, Yo Hablo Japónes!

2020年3月12日にコロナ解雇されました、約5ケ月後の8月下旬に何とか再就職しました準公務員の日常です。

プエルトリコの学校の生徒たち

2015-11-04 10:29:45 | Weblog
プエルトリコの街を車で走行中にこんなことがありました、ある日のお昼前は11時過ぎ頃でしたかと思いますが信号のありませんT字路のその先は学校がありましてたくさんの生徒たちがぞろぞろとその学校から出て来ていました。
それがこちらの画像ですが、素敵な校舎でしたので何枚か写真を撮りました。
その時は”今日の学校は半日迄なのね?”ですと勝手に思っていました、そして、このT字路には信号がありませんのですぐ側にパトカーを停めました警官が交通整理に当たっていました。
まぁ、アメリカでしても通勤時間帯とカブリます登下校時の生徒の保護には正直うんざりながらも仕方ありませんことですと渋々納得していましたので驚きますこともありませんでしだが...
生徒たちがパラパラと数人ずつ、或いはどっと20人程の群れとかが暫く続きました後にやっと途切れたと思いましたらまたぽつんと今度は1人トボトボと...結局は30分以上も足止めを喰らってしまいました。
で、同じ場所の同じ学校ではありませんでしだが次の日もまたその次の日も同じような時間に同じ目に遭いました。
しかしながら、そのお昼過ぎの1時頃と午後の3時や4時の一般的な下校時間にも生徒たちが再びろぞろと...半日登校でしたのではありませんで???呆れますよりも不思議に思っていましたらようやく訳が解りました。
プエルトリコの公私共に殆どの学校の生徒たちは昼休みに一旦それぞれ帰宅しまして昼食を摂りました後にまた学校に戻っていたのでした。
と、なりますとまた新たな疑問が湧いて来ますが...
要約しますと、生徒たちは基本的に各家庭で昼食を摂ります。
が、両親や家族が働いていましたり、いません、またその日に限りまして不在ですこともあります。
そのような場合はお弁当持参や校内に食堂がありましたらそちらで昼食を摂ります、近くでしたら昼食用のパンを買いに行きましたりファーストに立ち寄ったりもアリですとのことでした。
プエルトリコの面積はそう広くもありませんからスクールバス通学しますこともありますが、日本のような徒歩登校が殆どでお昼ご飯に帰りますのも負担になっていませんようでした。
食物アレルギーですやら過加熱なキャラ弁等ですとかで集団の昼食は何かと問題が多い昨今ですから、プエルトリコのような各自昼食も良さそうですね。
で、そのような個人重視(?)でしたら集団生活に必要な統一感があまりありませんようにも思いますが...






こちらは冒頭の画像を見易くしてみましたものですがプエルトリコの学校の殆どには制服もありました、この学校は水色のボタンと襟付きシャツにベージュ色のジャンパースカートと白ソックス、そして茶色の革靴で揃えていました。
男子は写っていませんが同じシャツに同色の長ズボン、そして靴だけは各自に違いますスニーカーを履いていました。
荷物は殆ど自由なサイズや柄のバックパックでしたりと日本の学校制服とはあまり似ていませんが堅苦しくありません爽やかな制服ですね、中には違うシャツを着ましたり反対にシャツは同じでしても制服とは異なります長ズボンを履いていましたり、また上下の色だけ同じようにしました私服でしたり制服とは全く異なります完全な私服も見掛けましたりもちろん髪型は自由でしてそう厳格でもありませんように見受けられました。



そうです、こちらの学校は黄色のTシャツに紺色の長ズボンです。
そして、何と!スニーカーとおぼしき靴は男女共に鮮やかなピンク色ですね。
でしても、↑と同じようにお色だけ同じで別素材でしたりまた全く異なりました衣類も見掛けました。



こちらは、またまた鮮やかなショッキングピンクのTシャツにまたは同色のシャツでしたが下に履きますズボンにスカートや靴は全く自由なようでした。
他には、グレー×深緑色ですとかまた別のお色の組み合わせの制服も見掛けましたが終ぞや日本にありますような白×濃紺または黒の組み合わせは見ませんでした。

プエルトリコはアメリカにはありません独自の雰囲気をちゃんと持ち合わせていました。プエルトリコはアメリカの属国ですやら51番目の州ですとかの軽蔑的な考え方は全く愚かに思えて来ますね。


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