¡Si, Yo Hablo Japónes!

2020年3月12日にコロナ解雇されました、約5ケ月後の8月下旬に何とか再就職しました準公務員の日常です。

ビエホサンファン

2015-11-01 15:49:36 | Weblog
今回のプエルトリコへの旅は我が家の日本から来ました誰かさんのお仕事も兼ねておりましたが実際にお仕事しましたのはほんの2日でしたのでお仕事以外の日はた~っぷりの~んびりとプエルトリコを楽しみますことが出来ました、海山川に歴史的名所等を訪ねますのはもちろん平素の街中を覗きますのもコレまた楽しとビエホサンフアン辺りを見て回りました。
画像はプエルトリコ到着当日に空港で借りましたレンタカーです、プエルトリコには電車やバスも通っていますがやはりアメリカ同様の車社会です。






ピッカピカの新車のトヨタラブフォーにはGPSはもちろんリアワイドカメラシステムも付いていました。



では、ガソリンを入れましょう。
プエルトリコの殆どはアメリカ基準ですがガソリンはリットル売りでした、ガソリンの価格は日々に変動しますがこのところのアメリカのガソリン価格は安価傾向です。



この日のレギュラーガソリンは1リットル¢60.1でした、フロリダとほぼ同じ値段でした。



ガソリンスタンドのお向かいに、あるサインが...



"Se Renta"(セ レンタ)とはスペイン語で貸家または貸しますの意味です。
ちなみに、売家または売りますは"Se Vende"(セ ベンデ)と言います。



ビエホサンフアンの街並みです、建物や石畳がとても美しくて...



もう、ただただう~っとりでした。



海辺の通りはコンダード地区に出てみました。



海水浴場でもないのですが普通に人々が街中の海沿いで海水浴や日光浴を楽しんでいました、何でも絵になりますね。



もう少し行きますと所謂、高級住宅地があります。
その一角にひと際、目立っていました邸宅がありました。
このお家、何でしょうか?懐かしいですやら見憶えがありますような...



はい、往年のラテン大物歌手はTito Rodriguez(ティト ロドリゲス)のお宅なのでした。
奥様は日本人で、その奥様のために日本風なお家を建てられたのでした。
御仁は既にお亡くなりですが現在はご子息のTito Rodriguez Jr,(ジュニア)もラテン歌手として活躍中です。



プエルトリコには親日家がとても多いです、車も日本車が主流なようでした。
また、アメリカ市民としまして兵役しました人も多く、中には日本に駐留ですか派兵されていました人たちが持ち帰りましたと思われます日本のナンバープレートを付けました車も何度も見掛けました。
運転中にササーッと追い越されましたりすれ違いざまに見ましたのでカメラに収めますことは出来ませんでしたが。
ですので、こ~んなもアリなのでしょうね...(Yaris,ヤリスとはトヨタヴィッツの北米仕様車名です。)



惜しいですね、でしても、残念賞ではなく努力賞に値しますね。

我が家のプエルトリコ旅情はまだまだ続きます。



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