The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

がんばればいいってもんじゃない。

2008-08-23 01:38:04 | Weblog
結果があってナンボのもんだ。だからがんばっても結果が駄目なら駄目でしかない。
それが勝負の世界だし、ビジネスも同じ。それをどんなに美辞麗句を並べても、駄目なものは駄目。それをちゃんと自分の目で見ていながら、結果を評価するのが常識なのにどうしてちゃんと結果を把握できないのか自分には不思議でしょうがない。

スポーツは勝負。だから、負けは負け以外のなにものでもない。それをしっかり受け止めない限りは絶対に勝てない。
スポーツ以外も同じである。価値観なんて人によって違う。だから他人がなんと言おうとそんなものはどうでもいい。しかし、負けたことを認めるかどうかで次の目標が決まる。だから、自分の負けを認識できない人は勝てない。
また、どんなに努力しても勝てない勝負もある。己を知ることこそ、勝負に勝つことである、と誰だったも言ってた。

その昔は、無垢の心とか言ってたもんだが、勝負事はやはり勝つというはっきりした目標がなければ勝てないもんだ、と自分の経験からも思う。それを世間では美辞麗句ばかりで嫌になる。だから、いろんな意味で負けを認めないからいつまでも進化できない、改善できないことであふれている。

だからといって、負けたからって最低の人間とか、才能がないとか自分を責める必要もない。勝負は勝負であって人生そのものじゃない。仕事がすべて、○○がすべてという人がいるが、人間ってそんな単純な生物ではないだろう?
欲望が限りないように人間にはいろいろな才能がある。たかがひとつの才能が駄目だとしてもほかがある。それを見つけられるかどうかで個々の人生は変わる。
それと素直であること。才能も素質もないことをがんばって無駄だってことが理解できれば新しい自分の才能を開発できるのだが、それを理解できないと空回りして消耗するだけだ。みんなができるからって自分もできると考えるか、みんなができるから自分もやらなきゃいけない、と考えるか、どちらのタイプか?
もし、やらなきゃいけない、と考えるなら、先ずは自分自身を知っているかを自分に問うことが重要だ。
がんばっても駄目なもんは駄目だ。それを誰も指摘してくれないから気づかないだけじゃないのか? 愚痴を言っていても何も変わらない。変えないなら、先ずは自分からだろう? そのためには自分を知ること。これが何よりも勝つ第一歩だ。

最後に他人が言ったことを何を考えないでうのみにするってのは、自分の考えや人生に責任を持っていないことになる。自分と同じ意見であれば、何故、その人が自分と同じことを言うのか、そこまで考えよう。違う点があれば、その違いがあっても最後に導き出される結論が同じかという道のりを考えよう。
それからがんばればいい。がんばるだけで、大切な人生を楽しまないで苦しむ必要はない。しつこいようだが、がんばっても駄目なものは駄目だから。

自分が嫌いなことは、がんばる、努力って言葉だ。結果が伴わないがんばりは無駄。失敗は成功の母という言葉は大好きだ。失敗だけじゃなくても負けも勝利の父になる。だから、ちゃんと駄目という評価は自分で受け止めてから努力でもがんばるでもすればいい。それをしない限りは絶対に勝てないよ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Dream Teamの試合と掛け率は? | トップ | 民主といいながら実は独裁者... »

Weblog」カテゴリの最新記事