ポルトガル旅日記を中断してから1年半以上経過してしまい
ましたが、コロナ自粛中、そろそろ再開してみます。
ここからは、カメラ下手な母の携帯写真なのでブレなど多いですが
ご容赦を・・・
ポルトガル4日目(2018年9月4日・火)
この日はリスボンから「バターリャ」→ナザレ(ランチ)→ファティマ
を経てトマールで宿泊予定。
バターリャでは世界遺産の「勝利の聖母マリア修道院」を見学。
※ バターリャはポルトガル語で「戦い」の意。
バターリャ近郊で1385年8月14日、王位を狙って攻め込んできた
カスティーリャ軍(スペイン)をジョアン1世が率いるポルトガル軍
が打ち破り、スペインに対しポルトガルの独立を守る、歴史に残る戦い
だった。聖母マリアに感謝を捧げるため、ジョアン1世が修道院の建立
に1388年に着手。
1388年に建設が始まり、アルフォンソ・ドミンゲスをはじめとする何人
かの建築家により16世紀初頭まで引き継がれた。
壮大かつ華麗な修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築の一つ。
— 地球の歩き方— より抜粋
修道院の回廊は、とても繊細な装飾的な建築で、ジェロニモス修道院の
回廊とも異なり興味深く鑑賞。最後に見学した未完の礼拝堂の柱の凝った装飾
の凄まじさに驚き圧倒されました。
まずは、教会(修道院の南に位置する)、奥行き約80m、高さ32mと
ポルトガルでも1、2の規模の大きさ。
スレンドグラスが彩鮮やか・・・↑ ↓
創設者の礼拝堂にはジョアン1世と家族の墓所が↓
周囲にはエンリケ航海王子 ↑や4人の王子が眠る。
柱やアーチの装飾が美しい
教会を出て、ジョアン1世の回廊へ向かう
参事会室↓(現在は第1次世界大戦とアフリカ植民地争いで戦死した無名戦士の墓)
交差リブヴォールトにより支えられた巨大な部屋に柱が1本もない。
設計はアルフォンゾ・ドミンゲスで、当時は天井が落ちるのでは?と
騒がれ、安全性を証明するため、彼が3日3晩部屋に座り続けたという。
エリザベス女王も献花に訪れている↓
※ ジョアン1世の回廊は1386年に建設開始1515年に完成。
初代アルフォンゾ・ドミンゲスによりゴシック様式の簡素な回廊に、
100年後にリスボンのジェロニモス修道院を手がけたポイタックが
マヌエル様式の装飾を施し、調和を生み出している。
レースのように繊細な狭間飾りがスゴイい! 狭間には↑天球儀やエンリケ航海王子
の紋章の十字架などが彫り込まれている。
回廊の北西角にある噴水 ↑
この美しい回廊は、バターリャ修道院の見どころの一つ!
ジェロニモ修道院の洗練された建築、装飾と比較しつつ眺めるも面白い。
アルフォンソ5世の回廊↓ は15世紀に造られたゴシック様式の回廊
かなりシンプルで装飾は少なくスッキリ。
アルフォンソ5世の回廊から一度外に出て歩き
未完の礼拝堂へ ↑ ↓
目の前の太い柱の装飾に呆然!
連続アーチと精巧な装飾が見事な礼拝堂の入り口付近
柱に施された精緻な装飾、彫刻の凄まじさに驚かされます。
(むしろ、装飾過多、、、若い頃の母なら嫌になっていたかもね〜)
巨大なカタツムリがユーモラス♪
未完の礼拝堂は、ジョアン1世の息子ドウアルテ1世により建設が始まり、
後にマヌエル1世に引き継がれ100年工事が続けられたが、ついに未完に終わった。
理由は、設計上のミス説と、ジェロニモス修道院建設のため建築家がリスボンに
行ってしまった説、があるも定かではないそう。
外観 ↑ ↓
とにかく繊細、精緻な装飾に圧倒されっ放しのバターリャの修道院でした。
ポルトガルの世界遺産、同じカトリックのスペインやイタリアの教会とは違い、
教会内部が意外なほど殺風景なのに、修道院は驚くほど装飾に溢れたりして、
母には、それがとても不思議、謎が残りました。
修道院を後に、バターリャからバスで、海辺のナザレへ向かいます。
母