待ってる
橘屋草子
あさのあつこ(著)2009年2月発行
N○Kのドラマにもなったあの『バッテリー』の作者が、江戸を舞台に
貧しいながらも健気に逞しく生きる庶民を描いた時代小説です。
私は、この作者の作品を読むのは、これが初めてです。
『バッテリー』は知っていたので、児童文学作家と思い込んでいたのですが、
これはなかなか・・・大人のいい小説でした。
江戸は深川で、大名や豪商が訪れるほどの格式はないものの、町方の旦那衆に
好まれ繁盛している料理茶屋『橘屋』が、舞台となっている。
裏長屋で貧乏に育ち、職人や女中奉公、最悪は女郎として、幼い頃から
親元を離される子供たちが、当たり前だった時代の、その長屋の子どもたち
や、橘屋で働く女中、板前などの人間にスポットが当てられてる。
裏店で貧しいながらも親子で暮らしていた「おふく」は、11歳の時に、
『橘屋』に奉公に出る。
橘屋を実質切り盛りしているのは、どこか影をたたえる仲居頭の「お多代」。
おふくがお多代に、初めて挨拶した時に言われた言葉が、
「一言、言いつけられたら、その裏にある十言を察する。
一日でも早くそれができるように、おなり」
この言葉通り、お多代は「おふく」に厳しく接し、導く。
その後、必死に働きつづけた「おふく」が、お多代の後を引き継ぐことに
なるのだが、、、。
「おふく」が成長していく様子や、周りの他の人物を描きつつ、『橘屋』と
絡めながらストーリーは進められていく。
題名の「待ってる」の意味は、生きることそのものの、どうしようもない
切なさなのかなぁ、としみじみ味わいました。
読んでいていつの間にか、じわりと滲んでくる涙は、決して悲しいとか
辛いとかといった感情ででてくるものではなく、清々しい、、、けれど
涙が勝手に落ちていた、といったものです。
それにしても、格差が社会問題になっている現在ですが、
(確かにそれは大変な問題だと、私も思うけど)
江戸時代のこの凄い格差の中で生きていた人達は、本当に逞しかったのです
ねぇ。
なかにはそこから落ちこぼれていく者もでる。そりゃそうだ、そんな世の中
じゃ、希望がもてないのも仕方がない。
それでも、希望を捨てないで生きていく、そんなごく普通の人々の凛とした
姿が巧みに描かれた小説でした。
特に、仲居頭の「お多代」は、この作品の要であり、その生き様は、
<かっこよすぎ!>です。
わがまま母
橘屋草子
あさのあつこ(著)2009年2月発行
N○Kのドラマにもなったあの『バッテリー』の作者が、江戸を舞台に
貧しいながらも健気に逞しく生きる庶民を描いた時代小説です。
私は、この作者の作品を読むのは、これが初めてです。
『バッテリー』は知っていたので、児童文学作家と思い込んでいたのですが、
これはなかなか・・・大人のいい小説でした。
江戸は深川で、大名や豪商が訪れるほどの格式はないものの、町方の旦那衆に
好まれ繁盛している料理茶屋『橘屋』が、舞台となっている。
裏長屋で貧乏に育ち、職人や女中奉公、最悪は女郎として、幼い頃から
親元を離される子供たちが、当たり前だった時代の、その長屋の子どもたち
や、橘屋で働く女中、板前などの人間にスポットが当てられてる。
裏店で貧しいながらも親子で暮らしていた「おふく」は、11歳の時に、
『橘屋』に奉公に出る。
橘屋を実質切り盛りしているのは、どこか影をたたえる仲居頭の「お多代」。
おふくがお多代に、初めて挨拶した時に言われた言葉が、
「一言、言いつけられたら、その裏にある十言を察する。
一日でも早くそれができるように、おなり」
この言葉通り、お多代は「おふく」に厳しく接し、導く。
その後、必死に働きつづけた「おふく」が、お多代の後を引き継ぐことに
なるのだが、、、。
「おふく」が成長していく様子や、周りの他の人物を描きつつ、『橘屋』と
絡めながらストーリーは進められていく。
題名の「待ってる」の意味は、生きることそのものの、どうしようもない
切なさなのかなぁ、としみじみ味わいました。
読んでいていつの間にか、じわりと滲んでくる涙は、決して悲しいとか
辛いとかといった感情ででてくるものではなく、清々しい、、、けれど
涙が勝手に落ちていた、といったものです。
それにしても、格差が社会問題になっている現在ですが、
(確かにそれは大変な問題だと、私も思うけど)
江戸時代のこの凄い格差の中で生きていた人達は、本当に逞しかったのです
ねぇ。
なかにはそこから落ちこぼれていく者もでる。そりゃそうだ、そんな世の中
じゃ、希望がもてないのも仕方がない。
それでも、希望を捨てないで生きていく、そんなごく普通の人々の凛とした
姿が巧みに描かれた小説でした。
特に、仲居頭の「お多代」は、この作品の要であり、その生き様は、
<かっこよすぎ!>です。
わがまま母