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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

2年前の夏に起きた京都市認可保育園でのプール死亡事故のこと

2016-07-18 05:55:29 | 学問

こちらに画像で貼り付けておきます。

2年前の夏(2014年7月)に、京都市内の認可保育園のプールで死亡事故が起きました。

それから約2年たつわけですが、ご遺族や支援者のみなさんが「調査委員会」を立ち上げて事故の検証を行うよう京都市側に求めてきたのですが、それがまだ実現していないようです。

同じ京都市では、公立小学校で起きたプール死亡事故に際して、京都市教育委員会がご遺族や支援者と話し合い、専門家を集めて調査委員会を立ち上げ、事故の検証をおこなっています(ただし、その立ち上げまでの経過はよかったとしても、その後の調査委員会の動き方にいろんな課題があったわけですが)。

今回は同じ京都市であっても保育事故なので、担当部署がちがうとともに、公立ではなくて認可保育園の事故ということもあって、「二の足」を踏んでいるのでしょうか。

しかし、保育所(園)や幼稚園の事故についても積極的に第三者による調査・検証を行う方向で、このところ内閣府・厚生労働省・文部科学省などが検討を積み重ね、昨年末にはそのためのガイドラインもできていたはずです。

なぜ今、京都市がその検証作業にふみこむのを躊躇しているのか、何がネックになっているのか。

そこをご遺族や支援者のみなさん、さらには市民のみなさんに説明する必要があるのではないですかね。

ちなみに私が見る限り、この事故には次の3つのレベル(領域?)で、ご遺族・支援者と行政・司法、そして当該の保育園との間での「対話」の問題があると考えています。

1つめは、当該の保育園とご遺族・支援者との間。「なぜ、このような悲しい事故が起きたのか?」「そのとき、保育園としては何を考えていたのか?」「今後、事故が起きないように保育園としては何をするのか?」等々。ご遺族や支援者にしてみると、当該の保育園関係者に尋ねたいことは山ほどあるでしょう。

2つめは、当該保育園がなかなかご遺族・支援者との対話に応じない状況に対して、京都市の保育行政としてはいったい、どのように考えているのか、ということ。それが「調査委員会を設置してほしい」という要望になり、保育行政とご遺族・支援者の「対話」の問題として浮上しているのでしょう。

3つめは、この当該保育園の民事・刑事上の法的責任をめぐる司法のあり方の問題。この事故について、京都地検が「嫌疑不十分」という理由で不起訴にしたため、ご遺族や支援者は検察審査会に申立て中であること。そのことが画像の右側部分の説明から読み取れます。ご遺族・支援者にしてみると、刑事訴訟という場で当該の保育園関係者に尋ねたいことが山ほどあったはずですが、その場すら検察当局が与えなかった。ご遺族や支援者の側にしてみると、「なぜなの?」という思いで、今度は司法関係者に対話を求めたい気持ちが沸き起こってきているのではないかと思います。

もちろん、おおもとの問題は、「1つめ」の対話の問題です。当該保育園がご遺族・支援者の「なぜ?」になかなか答えようとしないというところから、他2つの対話の問題が発生しています。ですが、このように3つの対話の問題にまで広がると、ご遺族・支援者にしてみると、「行政・司法はいったい、誰の味方なの?」という疑問すら浮かんできて、不信感が募り、問題がだんだんこじれてくるのではないかと思います。

したがって、この3つのレベル(領域?)での「対話」の問題をていねいに解きほぐしていくような、そういう関係調整がこのケースで行われなければ、保育事故の事後対応としてはご遺族・支援者と行政、司法、そして当該保育園との間に、深刻な対立、緊張関係が残り続けていくことになるでしょう。

でも、その関係調整はいったい、誰がどのような手順で、どのように進めていくのでしょうか?

ここに、保育事故や学校事故で「コーディネーター」が求められる構造的な諸問題があると同時に、その「コーディネーター」になる人の直面する困難等々、さまざまな問題が現れていますね。

あえていいますが、そのさまざまな困難にチャレンジして、積極的に打開しようと全力で試みる人。

こういう人が、いま「コーディネーター」に求められるのではないか・・・と思います。




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