〇これから数日間「予約投稿」で何本か、ブログ記事をアップします。いずれも何日か前にフェイスブックに先に書いたことを転載したり、加筆修正しているものです。
大阪の定員割れ公立高校統廃合と私学を含めた高校授業料無償化との関係の問題についての最近の論評を見ているときに、一向にでてこない論点。それは「中等教育の漸進的無償化」を求めた国際人権条約(社会権規約、子どもの権利条約)との関係に全然ふれていないことです。
なんらかのかたちでの中等教育の費用負担軽減は、公立校にいようが私立校にいようが、そこに学ぶ子どもの権利保障の観点からすると、国際人権条約の批准国として必要になっているはずです。なので「中等教育の漸進的無償化の範囲や手法、実施の手順」を問題にする必要はあっても、「高校の授業料無償化(特に私学部分)そのものがいらん」という議論をするのは、「かなり筋違いの話」なようにも思います。
一方、その無償化の範囲や手法、実施の手順等々については、「ほんとうにこれまでのあり方でよかったのか?」と、きちんとした検証作業をしないといけないと思います。「理念」として漸進的無償化という目指すべき方向性がまちがっていなくても、その「取り組み方」に問題があれば、やはりいろんないびつな状態が中等教育に現れるからです。
それこそ、たとえば「有名大学進学実績の高い高校」や「スーパーサイエンスハイスクール」等々の重点的投資校以外の公立高校は「なくていい」と考え、「授業料補助をつけて生徒に私学に流す」ことで、広域自治体としての都道府県の財政上の負担が軽くなればそれでいいとか。「競争すれば高校教育はよくなる!」とかいいながら、既存の学区を解体して広域化してみたり、公立高校の施設整備の改修すらまともにやらず、むしろ公立高校を弱くする施策を意図的にやってきたとか。さらには自分たちで私学に通う生徒への授業料助成を行う制度をつくっていながら、財源に困れば国に泣きつき、「私らが国に先駆けて私学の授業料無償化を実現した!」という宣伝をするような政治家に対しても、やはり、私としては強い嫌悪感を抱きます。
また、中等教育の漸進的な無償化に関する施策が、公立高校の重点投資校設置に関する施策、学区の再編など他の施策と結びついたときに、公教育の枠組み全体にどのような正負両方の影響を及ぼすのか。この間、そのことについての議論が不十分でなかったのか。そういうことも、私としては今、感じているところです。
そして一時期、どこぞの広域自治体の行った私学の授業料無償化施策を「すばらしい」などといって絶賛していた教育政策論や子どもの貧困問題の某研究者。「あんた、この現状見て何を思ってる? 大丈夫か、あんたのアタマ? 無償化と言われたらすぐに手をあげて喜んでるようでは、政治家にいいように扱われるわ」と言いたくなりますね。いまはこども家庭庁の施策あたりでちょろちょとうごめているようですけど…。