できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「土壌」から作り直すしかない。

2011-04-14 19:19:49 | いま・むかし

ようやく久しぶりに時間が取れたので、まずはこちらのブログから更新します。

正直なところ、このたびの統一地方選挙の結果には、個人的には「ああやっぱりね」と思うとともに、「期待していた方の当選がなく、がっかりした」とも思っています。

東京のほうでは、どう考えても私などの感覚にはあわないような主張を掲げた方が首長として当選されたとか。

あるいは、大阪維新の会のように、言いたい放題マスメディアで言うような強烈な個性の持ち主を地域政党の党首に掲げ、それにぶらさがっている候補が当選したり・・・・。

こういう状況を見ていると、「なんで、こんなんやねん?」と、正直、思ってしまうところがあります。

ただ、この状況を変えていくためには、やはりこの日本社会の「土壌」から地道に変えていくしかないのではないか、と思います。

たとえば、強烈な個性を持った首長の言うことをうのみにしない住民を、子どもの頃からきっちりと育てていくとか。

あるいは、日ごろは政治や行政に対して鋭い批判をしながらも、何かことが起きて立ち上がらなければいけないような、そんな肝心なときに日和見を決め込み、腰砕けになるような知識人層にもいかにして「監視」を強めていくかとか。

他にも、強烈な個性を持った首長の後を追っかけ、その広報宣伝係のようになりさがってるようなマスメディアに対して、いかに批判的な目を向けていくかとか。

いずれにせよ、もう一度、私たちが政治や行政に対する「批判」意識を覚醒させ、「おかしいことはおかしい」ときっちりと言いうるような、そんな人に育っていけるよう、社会の「土壌」から作り直す以外には、このような政治や社会の状況は変わらないのではないか・・・・と思っています。

これはきっと、このたびの東日本大震災の復旧作業がなかなか進まない現状や、東京電力福島原発の事故をめぐるさまざまな問題などにも、どこかできっと、つながっていく課題のようにも思います。

そして、このような社会のなかの批判精神の「土壌」をたがやす作業に、これからの「人権教育」や「子どもの人権」をめぐる諸議論がどこまでからんでいけるのか。そこもまた、問われているような気がしてなりません。

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