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今日の草履は、彩シリーズ26cm土踏まず付き[五阡二百円]
茶色のベースによく似合う辛子色を組み合わせてみました。若い頃は茶色にシブさを感じていましたが、年齢を重ねるとむしろお洒落なのがよく分かります。「今日の草履」もお若い男性に似合わないとは思えませんね。
20日の「今日の草履」を久しぶりの26cm在庫とご紹介したものの、翌日埼玉県からお越しのおじさまがお持ち帰りでした。替わって「今日の草履」が26cm唯一の在庫です。
日々の実演は角館草履の素性を知っていただくのが最大の目的とはいえ、お客様との話題は多岐にわたります。と言いますか、お客様からのご質問が様々なんですね。『お蕎麦の美味しいお店はありませんか?』『近くで名所はありますか?』『駅までどれくらいかかりますか?』などなど、まず観光案内所と同じですね。
町の情報のほかに、「不思議」と感じたこともよく訊かれます。『この町の名前は“かくのだて”なの“かくだて”なの?』は幾度となく訊かれました。「なぜ?」と思ったことをすぐに知りたい人はことのほか多く、座ってその場から動かない私などは格好の「訊きやすい人」なのでしょう。そしてそれでいいと思います。
桜まつりで賑やかな日でした。能代市からお越しの男性が私に訊くのは、『武家屋敷通りの道幅って、昔からあんなに広いの?』。
角館を創ったのは佐竹義宣の弟で蘆名義勝という人物です。蘆名家はかつて会津80万石を治める大家でしたが、米沢を治めていた伊達家との合戦に敗れ、実家である常陸の佐竹家に逃げ延びます。その後徳川の時代となり佐竹家は秋田へ国替え、蘆名家も佐竹家に付いて来ました。そして佐竹家から角館の町割りを託されるわけです。
武家屋敷通りの道幅は、当時の江戸のメインストリートとほぼ同じと云われています。蘆名家がかつての会津時代を思い起こし、いつかまた陽の当たる大名として名を興したいとする願いが、この道幅に表れているのではないか。これが現在角館で云われている史実なんですね。そして町割り時点での道幅は、現在そのまま遺されています。
能代市の男性にもこれをご説明しました。男性は『なるほど、そういうわけですかっ』と納得の笑顔です。私は、むしろ感謝したいのはこちらのほうですとお応えしました。それだけ角館の街並みを関心高く見てくださったこと、そして道幅を「なぜ?」と感じてくださったこと。角館に生きる一人としてとても嬉しく思ったものです。
その数日後、新潟県からお越しのおばさまがお立ち寄りでした。やはり町の歴史が話題になり、角館を創った人の話から武家屋敷通りの道幅をお教えしたわけです。するとおばさまは、『武家屋敷通りから来たばかりだけど、その話を聞いてもう一度行ってくるわっ』。
草履の話題はそこそこに出発しましたよ。
本末転倒と言えばその通りながら、草履より角館を知っていただくのもときにはいいと思っています。