ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

インド家庭料理 (20回)

2009年10月21日 | 今日この頃
            「ハロウイン」の南瓜をあしらった卓上花 可愛い!!

                  本日のお料理の揃い踏み


新しいお教室になって2回目です。今日は下ごしらえさえしておけばさ~っと
できるお料理だそうです。

今日は2名の欠席者があり一寸寂しかったかな?何時までも異国のお料理が
美味しいと思える健康体で居たいですね。


                パンプキンブハジ(ドライカリー)


何時ものように、日本人の私にとってはドライで無いドライカレーです。煮詰め
てお汁こそありませんが、煮崩れた南京って感じかな。お味は勿論、和食の南
京の煮物ではありません。私はこれが一番好きでした。調理法としては、今日
は3種類とも炒める、炒めるって感じです。



                   サブダナ ウプマ


「サブダナ」って、日本で言われているのは「タピオカ」のことなんです。驚き
ましたね。私達にはデザートとしてしか食べませんよね。それがボンベイ地方
の朝食だというのです。

この食感を如何表現したら良いのでしょうね。「プリ」でしょうか「モチモチ」で
しょうか「ツルリ」でしょうか、3ッをない交ぜにした感じです。あ~難しい! 
炒ったピーナッツの砕いたのが、プチプチと効いていました。

さて「タピオカ」の原料は何? タピオカと言う植物の根っこだそうです。お芋
の様な…でもとても固いそうで、だから粉末に加工したりして使われるのでし
ょうね。生は日持ちがしないそうです。


                   ココナツミルクエッグカレー


今回で2度目だそうですが、全然覚えていなかったです。帰って調べましたら、
去年の8月に「オクラ」入りのココナッツミルクカレーを作っていました。

写真の白っぽい塊が卵です。今日は直接割り込みましたが、煮抜き卵を入れ
てもいいそうです。今日のように直接入れた後は、煮崩れないように火を弱
めて卵をかためます。これも南インドの地方の朝食だそうです。


                      ドーサ


クレープのように焼くのですが、米と豆の粉で4時間ほど水につけた後、ペー
スト状にして1晩寝かせてありますから、自然発酵しています。ですから薄く延
ばすのが難しいのです。自然発酵していますから焼いていますと気泡が出来て
レースのように穴が開いている感じになります。

ココナツミルクカレーと良くあって、カレーを包むようにして食べます。

ショリー先生のご主人はこの「ドーサ」がお好きで毎朝食べておられるそう
です。私が朝はご飯を好むのと同じ感覚でしょうね。

米の粉だからでしょうか、2枚も食べるとお腹がいっぱいになります。味見を
した時のパリパリの時が美味しいと思いました。

「ドーサ」は地方の食べ物ですから、日本では勿論、インドを旅行したからと
いって、口に入るとは限らない食べ物だそうです。日本に居て、珍しい「ドー
サ」が食べられて幸せな昼食でした。


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COCOE(ここえ)誕生!

2009年10月20日 | 一寸そこまで
今日は美智子皇后さまの75回目のお誕生日でした。皇后様になられて20
年、お忙しい日々を送っておられるようです。去年1年間のお仕事は300回
に上るそうです。私より1歳御歳上、身体的にお辛い日もおありの事でしょう。
でも皇后さまのお出ましをお待ちしている人々の事を考えて、ご無理をなさる
時もおありでしょう。お体に十分にお気をつけられてお元気でいてくださるこ
とを切に祈っております。


今日もジムに行きましたが、すずき先生がお休みで代行の若い先生でした。
やはりお若いだけにテンポが速い。頭を使うことが多い。ステップは変わらず、
手の動作が変わるだけなんですが、それに皆付いていけない、「グー」「チョ
キ」「パー」を色々組み替えるだけなのに、それが出来ない。皆情けないのを
通り越して、出来ない自分自身に呆れて、つい笑ってしまう。

私がここに入ったのが約20年前。すずき先生も今日の先生のようにお若か
った。激しく動いておられた。私も50代だった、平気ですずき先生に食らい
付いていけました。今はダメです、すずき先生も良くお解りでだんだんテンポ
を緩められた。だから何時も教室は満員です。今日はやはり一寸アチコチが
痛い。



                 「COCOE」の正面玄関



                  JR尼崎側から見た外観

          「ココエ」とJR尼崎駅はこの陸橋で結ばれています



今日「尼崎の緑遊新都心」がオープンしました。今朝の日経新聞に1ページ
を費やして出ておりました。勿論、白井市長を囲んでのページです。写真の
バックから見ると市長室で対談は行われたようです。

キリンビールの工場跡地です。記事の中でキリンビールの役員さんが「CO
COE」と名づけられた説明をしておられました。「「尼崎の地において求めら
れるのは何か、あるいは、お客様に喜んで頂けるものは何かと言う視点から
施設の構成を研究し、テナントを募りました。「COCOE」と言う名称はCO
MFORT(快適さ)CONVENIENCE(利便性)ENERGY(活力、にぎわい)
の頭文字をつないだ造語です。「どうぞ『ここえ』おいでください」と言う意味
もこめています」と語っておられます。

私は「COCOE」の字を見た時に「此処へ来て」と言う意味かな?と思いま
した。3つの英語の頭文字とは知りませんでしたが「当たらずとも遠からず」
だったんだと嬉しくなりました。

さてさて私の感想ですが「庶民的」の一言です。まだザ~ット廻っただけで
すから良くは解りませんが「ファーストインスピレーション」としてはその
ように感じました。

食堂街は今日は入りませんでしたが、気に入りました。16軒あるようです
ので、順次征服?していこうかな~と言う感じはしました。

しかし映画館の方はロビーといいますかアプローチの場が「これから映画を
見るよ!」と言うワクワクする気持ちを抱けませんでした。一寸やすっぽいか
な?と言う感じを受けました。内部はどうでしょうか?

西村屋でお茶しました。「信州のクルミのプルンダー(パイ皮)」とても美味し
かったです。今度此処に来たらお土産に買って帰りたいと思ったほどです。
何故今日買って帰らなかったか?って。私達が食べたのが今日最後の一つ
だったのです。

美味しいものに出会えていい一時を過ごしました。
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伊丹駐屯地へ

2009年10月19日 | 一寸そこまで
           陸上自衛隊中部方面隊 創隊49周年記念行事


伊丹・自衛隊の部隊を一度見てみたいと思っていました。今日(10月18日)
はお天気も良かったので行ってみる事にしました。10時半からの式典に間
に合うように行きたかったので9時過ぎに家を出ました。




招待席には国会議員や県知事などお歴々がずらりと並んでいました。
この方達の祝辞の長いのには閉口しました。通算1時間以上ありました。私
は屈んでいたのですが、足が痛く疲れました。私が見たかったのは「観閲行
進」ですからこのご挨拶の後の11時半ごろ来ればよかったと後悔しました。

心を打つような、心に響くような祝辞がなかったのが残念です。兵庫県知事
の祝辞は長いばかりで、退屈でした。その点、民主党の室井秀子衆議院議
員の挨拶は言葉もはっきりしているし、短くて良かったと思います。彼女は
兵庫県(尼崎在住)選出の「棚からぼた餅組」、名前を登録していただけで
当選した議員です。兵庫県県会議員に初当選したばかりの転職組です。


                 音楽隊のマーチングパレード


     「鉄砲担いだ兵隊さん足並み揃えて歩いてる トットコトットコ歩いてる 
      兵隊さんは大好きだ」小学生の時に歌った歌を急に思い出しました 
           北朝鮮の隊列の足並みにはぐ~んと劣ります




        りゅう弾砲   ダダダダダって空砲を聞かせてくれました

   ロッケト弾?  説明はあったのですが通過が早いので良く解りませんでした

                       戦 車


一番見たかったものです。なんだかスマートになっているような気がしました。
以前の型の時は乗組員も10名だったそうですが、今は3名だそうです。何十
年か前、東京の町なかを移動する戦車に出会ったことがあるのですが、その
時は戦争映画で見たままの見るからに重たそう、コロコロした感じでした。
スマートになったとはいえ、さすが「鉄の塊」凄い音を響かせて通過して行き
ました。


          医療衛生車? 下の写真は内部です 中央は手術台 
               色んな医務用器械が積んでありました。



                  隊舎  冷暖房完備 
  前の掲示板には顔写真付きで成績優秀者の氏名が掲示してありました


  ヘリコプターは何機飛んできたでしょうか あっと言う間に飛び去りました

         親のお楽しみ 小さな自衛隊員の出来上がりです
            貸衣装で「敬礼」のポーズをとる姉と弟


このほかにも銃を持った人と持たない人の格闘技、選ばれた隊員の見事な
技の披露もありましたが、何しろ遠いので、キビキビしている事がわかる程度
で細部は見えませんでした。駆けて入場してくる時の掛け声が面白かったです
よ「エイ・ヤーエイ・ヤー」って入ってきました。

とてもお腹がすいたのですが売店のものを食べる気にならず、シャトルバスで、
JR伊丹まで出て、駅前の「寿司や」に入りました。ここが又不味くて、二人とも
黙々と食べ、店を出たとたん「まずかったな~」

見たいものが見れた満足な一日でした。
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遍路 (60回)

2009年10月18日 | 思い出話
             平成15年3月14日 (木)
      第56番札所 泰山寺   第57番札所 栄福寺



   距離:31K  笑福旅館 ~ 泰山寺 ~ 栄福寺 ~ 仙遊寺 ~ 
            国分寺 ~ 栄屋旅館

平成15年3月13日 9:35  かずよ  (受)

今日は凄くいいお天気です。市内の中学は卒業式があります。明日はまゆうの卒園式です。
晴れるといいのに。

15:01  こばやしさん  (受)
いよいよ後半の山場、横峰寺、石鎚ですね。夫も三,四日地図とにらめっこです。計画通り行け
ばいいのですが、中々ですね。情報をありがたく思っています。今日はさぞお疲れの事と思いま
す。30Kは凄いですね。明日は登山を楽んでください。

20:31  うえきさん  (受)
明日は60番ですか?やっぱり61番からの道を選んだのですか?すると明日は石鎚温泉です
か?それとも王道の60番~61番を行かれたのでしょうか?(地図でお解りのように、60番は
61番の手前にあります。だから61番~60番と行く人も多いのです。メールの主うえきさんも逆
の61番~60番組みでした。私達は律義にも遠いのを承知で60番に行き、61番に戻ってきま
した)

22:31  うえきさん  (送)
貴方は逆打ちでしたね。純打ちするために南光坊から「栄屋」まで歩いてきました。先ほどまで
ぐっすり眠ってしまいました。明日横峰山登ります。この度は62番までで帰りまして、連休過ぎ
に又来ます。南光坊の菅笠を楽しみにしていましたが、借り出されてありませんでした。

22:42  かずよ  (送)
まゆうちゃんにおじいちゃんとおばあちゃんから「おめでとう」とお伝えください。こちらでも明日ま
ではお天気のようです。今日は朝6時から夜6時まで歩いて、やっと着いた為、食事が済んだら
バタンキュウで、先ほど目覚めました。

23:16  こばやしさん  (送)
今日は本当に疲れました。泰山寺2K過ぎて気が付き、引き返しましたので、4K余分に歩きま
した。1時間ロスで6時に着きました。石鎚山は雪でクロウズ、7月の山開きからの方がいいと
いわれました。知らぬが仏とはこの事です。



              町なかで朝日に出会うのは初めてです


「泰山寺」までは約1時間、お寺が開くのが7時なのでと計算して6時に宿を出
ました。真っ暗ですが、町なかなので懐中電灯は必要ありませんでした。泰
山寺駐車場の看板が左手に見えましたが、時間的に見てもう少し先であろう
と歩を進めました。久し振りの朝日を町なかで見ました。写真をパチパチ撮り
ました。




愛媛は無縁仏の墓が多いと聞いていました。村を過ぎ、土手に上る前にも、
無縁仏の墓はありました。其々におみかんがお供えしてありました。何と心
優しい人たちでしょう。

墓を左に見て登ると川に出ました。蒼社川です。この川には「川の中を渡れ
る旧遍路道」(渇水期には渡れる)渡ってみたいと思っていました。

謂れ話: 過って泰山寺の周辺は、豪雨の為に、毎年のように蒼社川が氾濫し田畑や
家屋を流し、多くの人命を奪っていました事から、人々は「人取り川」と言って恐れてい
ました



  渇水期の「蒼社川」  「川の中を渡る旧遍路道」を現代のお遍路さんも渡ります


旧遍路道を直ぐ見つけました。川に下りました。菜の花が咲いていました。向
こう岸に渡って土手を歩きました。車道に突き当たりました。その標識を見て
唖然としました「右泰山寺2K 左栄福寺2K」と読めました。「何???」私達
は2Kも泰山寺を通過してしまっていたのです。何たる事! 私はヘナヘナと
しゃがみ込んでしまいたい気持ちをぐっと堪えました。31K歩かなければな
らないのに、往復4キロのロスです。と言う事は35K歩くという事です。

今度は私が物も言わずに戻り始めました。無性に主人に腹が立っています。
「地図を見ながら歩こうと言っているのに! 地図が汚れるからと持たない
のは誰!! 誰が悪いの!何故見過ごしたの!!地図画を見ないからでし
ょう!!」4K(1時間のロス)を取り戻さなければならない。ひたすら歩きま
した。とっとことっとこ。





                    泰山寺の大師堂


第56番札所 泰山寺 に戻り着きました。お寺は駐車場の看板の反対側
にありました。上り口にもちゃんと石碑が立っていましたから、地図を見てい
れば解ったのです(この失敗で懲りたのか、地図を手に持つようになりました)
のぼり坂には気が付いていたのですが、お寺が道より左にずれていた為に
建物が見えなかったのです。

缶コーヒを2本お接待としてもらった事をお寺についてから主人に聞きました。
私はわき目も振らず歩いていましたから…。お参りもそこそこにお寺を後にし
ました。

後は川には戻りませんでした。寺の前の道を行く方が直線的で良い気がした
からです。ロスタイムは「川の中を渡る旧遍路道」を見に行ったと思えばいいと、
心に言い聞かせると何となく気持ちが落ち着いてきました。

川に沿って南に下りました。男性の歩き遍路の人と後になり先になり歩きまし
た。川と別れた左に入り遍路道らしい道を歩きました。嬉しい。



     「栄福寺」  たったこれだけの敷地なんです 小さい小さいお寺でした


第57番札所 栄福寺 は手前に急坂を持って佇んで居る、本当に小さなお
寺でした。急坂に続いて階段があり、なんだか猫の額の様な土地にぎゅ~と
詰まって立っていました。



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遍路 (59回)

2009年10月17日 | 思い出話
              平成15年3月12日 (水) 
       第54番札所 延命寺  第55番札所 南光坊


            
     距離:27K  太田旅館 ~ 延命寺 ~ 南光坊 ~ 笑福旅館

平成15年3月12日 8:16  ふじいさん  (受)

今朝の大阪は寒い。ほんまに寒い。足元しっかり見ながら、気をつけて歩いてください。ジムに
行ってみようと思っています。

8:41  かずよ  (送)
昨日はこちらも暑くびっしょりになりました。旅館は食事もとても美味しかったし、6000円(朝食
抜き)で安かったけれど、浴槽が緑と茶色のツートンカラーで気持ちが悪かったわ。遍路なので
安いところで仕方が無いのですが、食事が美味しいとホットします。

9:00  ふじいさん  (送)
お早うございます。こちらは暑い。5時には歩き始めたので、やっと見つけた喫茶店でモーニング
しています。

9:08  こばやしさん  (受)
お早うございます。毎日良いお天気が続いて何よりです。少し気温が低いようですが、お元気
ですか。空も海も奇麗でしょうね。気をつけて今日も元気で頑張ってください。

9:25  こばやしさん  (送)
朝5時過ぎに出たので、モーニングしていました。海も空も真っ青です。道は1本なので間違い
ようがありません。明日は30K以上なのでこんなにのんびりしておれません。主人曰く、道後
温泉ののんびりの「つけ」だそうです。明後日はいよいよ横峰寺です。予報は天気ですが。

9:49  かずよ  (受)
一番の楽しみって食事ですよね。まだ少し寒い日が続くみたいです。今日もどよ~んと曇って
います。

10:56  かずよ  (送)
良いお天気でしたよ。海岸線に沿って歩きましたので、手の届きそうな所に、対岸、広島があ
ります。旅館は笑福旅館。安いので文句は言えません。まあまあでした。

14:48  こばやしさん  (受)
毎日天気予報を見ています。良い天気続きで羨ましい思いです。道後温泉でゆっくり出来て
よかったですね。どうぞ道中をお楽しみください。




           透き通った青い海   対岸は広島県です



何時ものように朝食前に歩き始めました。海を近く、遠くに望みながら歩きま
した。近づけば、その水は底の石の動きまで見える透明度です。奇麗奇麗!
を連発しながら歩きました。右手の高台にJRの線が見えます。こばやしさん
が電車で帰りながら「次はこの美しい海を見ながら歩けるとワクワクした」とメ
ールをいただいたのは「きっと此処だろう」と話しながら歩きました。所々に
梅の花、見える前に甘い香がその存在を知らせてくれます。











「菊間」は瓦の町です。数件の工場が道路に沿って並んでいました。仕事を
していたおばさんが「大変な仕事だよ」といっていました。鬼瓦のあがった家
が其処此処にありました。さすが本場ですね。

二人ずれのおばあさんがお接待だと100円づつくださいました。何時も下さ
るのはおばあさんばかりなのです(おじいさんはない)何でだろう? 家計を
握っているのがおばあさんだから?

団体で登校する子ども達に出会いました。小さい子を真ん中に前と後に上級
生がサンドイッチしての自転車通学です。帰りは如何するのでしょうね。終わ
る時間が違うでしょうし、下級生は遊んで待っているのでしょうか?交通量の
多い国道ですから…。先頭の子が大きい声で挨拶してくれると、続く子どもも
大きな声で挨拶してくれます。先頭の子が挨拶しないグループは皆挨拶しない
のです。





海岸沿いに暫く行きますと、高い木に華やかな色を見つけました。嘘くさいな
~と思いつつも、花に誘われた蝶のように、近づいてみますと、それは喫茶店
でした。目立つように工夫していたのです。開店したばかりのようで、まだ準
備に忙しそうでした。

パンののったお皿が可愛かったので写してみました。本当はご飯とパンでは腹
持ちが違うのでご飯が食べたかったのですが、なかったのです…。1時間ほど
休ませていただきました。


「此処より今治」と言う標識を過ぎて間もなく道路わきの木下で、靴を脱ぎ、足
に風を当てて休憩しクッキーを食べました。靴を脱ぎ足を休めるということがこ
んなに足を軽くするとは思いませんでした。重かった足が軽くなりスイスイと歩
ける気がしました。

「今治」といえばおちさんの住む町、あえることを楽しみにしていたのですが、
音信が途絶えたので、連絡しないで通過しました。お元気かな?



                  第54番 延命寺の仁王門

                       本堂

                       大師堂


第54番札所 延命寺 は忘れられないお寺です。夫婦喧嘩をしたのです

「納経をお参りの後でするか、先にするか」…です。勿論正攻法の私は後です。
団体さんが来て待つ時間が勿体無いから空いている内に先に行けと言うのが
主人です。

言われたとおり、先に行きましたが、帰りに納経所を見ると混んでいなかった。
「空いてるやん」と言った私の言葉にご立腹。修行が足らん!!門前に食堂が
ありました。そこで昼食を食べ、今夜の宿の予約も入れるつもりでした。「昼は
食べん!」とやせ我慢。さっさと1人で歩き始めました。

始は遠く後姿を追っていましたが、馬鹿らしくなりました。思えば地図も宿の
名簿も持っているのは私だしね、先に行くなら先に行っていいよ。どうせ行き
先は南光坊。

私はのんびりと歩き始めた。始は心細い気もしましたが、だんだんこれも暢
気でいいな~と思えてきました。人を見ると道を確かめました。

二人の時は「女が聞く方が親切に教えてくれる」とか何とか言って、自分が
聞くのが嫌なものだから私に押し付けます。私は不満でした。でも今は違い
ます、自分の為だけに聞くのです。何も苦になりません。「階段がある所
まで行き、階段を登ると墓地があるから、其処を下り、そして解らなくなっ
たら左、左に行きなさい…」教えられたとおりに来ました。大きな果てしな
いような墓地がありました。そして其処を抜けると大きな道に出ました。左、
左と道をとって、「第55番札所 南光坊」に着きました。一人でも行ける…
自信が付きました。

                      南光坊の本堂

                        大師堂

本堂の前でウロウロする主人を見つけました。近づいてニヤッと笑いました。
テレ隠しに言いました「えらい早かったな~、タクシーに乗ってきたんやろ!」

「何! タクシー? あんな山ん中にタクシーが居たか? よう言うよ!私だ
って一人旅できるんやで~自信ついたで! この馬鹿もん!」と心で毒づく…。

何事も無かった如くお参りを済ませる。納経所に「書家 川村驥山(きさん)
の菅笠」があると遍路仲間のうえきさんが教えてくれたので楽しみにしてい
ました。しかしありませんでした。「キサンの菅笠は何処かに出ているので
すか」よく貸し出されると聞いていたので訊ねてみました。「展示に出てい
ます」出張中だって… 楽しみにしていたのに。

今夜の宿にテルすれども、どこも「その番号は使われておりません」やっと
のことで「笑福旅館」が取れました。ほっとしました。ほん近くでした。

同宿は男性1人でした。良く食べる人で(私は見ていませんが)ご飯を山盛
り何倍も食べたそうです。

明日は35Kもあるので、朝食抜き、早立ちすることにしました。35Kも
歩けるかしらと心配になりました。それでも歩かないと翌日「横峰寺」を登
れないのです。仕方がないと覚悟を決めました。


             3月13日 笑福旅館  (5泊目)



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芸術の秋・其々の展覧会

2009年10月16日 | 一寸そこまで

               H.Yさんの「おじいちゃんと一緒」

10月10日の土曜日、大阪に買い物があり午後から出かけました。連休の
初日と言う事もあり、改装中の阪急は手狭で溢れんばかりの人出でした。早
々に買い物を済ませると、急いで家路に向かいました。

JRのホームで止まっている電車は三田行きでした。何時もなら「また~」と呟
くのです。尼崎で神戸行きに乗り換えるのが面倒だな~と言う思いからです。
でも今日は違いました。もし三田行きが待っていれば、そのまま「伊丹」に行
こうと思っていたからです。

2日前にメールを頂き「伊丹市立美術館ギャラリー」で所属されている水彩画
展が在るので…と言うお誘いを頂いていたからです。H.Yさんが絵を習って
おられる事は勿論知りませんでしたし、メル友ですから住所も知りません。
「なんで伊丹なの?」と思いましたが、考えてみれば伊丹にお住まいなのかも
しれません。記帳をさせていただいたのですが、大方が伊丹の住所になって
居ましたから、伊丹市のお教室なのでしょう。

私の前で記帳している方が「Yさんは?…」と係りの方に聞いておられました
から、彼女も唱歌の学校のお仲間なんでしょう。私もそうなんです。実際には
クラスも違いますが、ひょんな事から私のブログがお目に止まり(唱歌の学校
の事を書いていますから)「面白い人が居る…」と声を掛けてくださったので
す。人とのご縁って、本当に不思議なものです。日頃お読みくださっているお
礼にこれは行かなければと思って居ました。

「絵」と言うのは自分では書きませんから、唯見るだけですので、上手下手は
全くわかりません。ただ自分の心の琴線に触れるかどうかしか解らないのです。
Yさんは2点出しておられました。大きい方も、唱歌の学校から行かれたオー
ストリアの時雨の町なかの風景です。こちらもメルヘンチックな作品だと思い
ました。「優しい絵だな!」と言う感じでした。

そしてこの絵(上の写真)の前に立った時「この会場に中で一番良い!」と思い
ました。おじいちゃんは孫を愛しみ、孫はおじいちゃんを慕っている。言葉はな
くとも通い合うものがある。そんな感じがじ~んと伝わりました。

「へ~、Yさんってこういう絵を書く人なんだ」と知りました。唱歌の学校では
朗々と歌う方と聞いておりましたので、人はいろんな面があって面白いな~
と思いました。



                     H.Sさんの 「柿」

昨日10月15日スポーツクラブで「おにぎり」もたべたことだし、バスも我家の
停留場を乗り越せば直通「尼崎老人福祉センター」に行けるので、案内を受
けた友人の絵画展に行こうと思っていました。丁度うまいことバスが来て飛
び乗りました。勿論行き先は確かめましたよ。でも近回りと大回りのバスが
あり、乗ってから気が付くと大回りのバスに飛び乗ってしまったのです。「まぁ
~いいか」と覚悟を決めましたが、トンでもなく大回りで、倍の時間が掛かり
ました。

今年は「花瓶いっぱいの花」と「柿」でした。私は「柿」に吸い寄せられました。
落ち着いたいい絵です。右端の「柿」はつっと手を伸ばして齧り付きたいよう
に美味しそうです。私の大好きな実の締まった柿のようでした。

彼女の家の「柿」だと思います。「そ~言えば、今年は柿もらわなかったな~
何て考えながら、小ぶりながら歯を立てないと噛み切れない、素朴な味の柿
を思いしておりました。

花瓶の花の絵は「彼女の一生懸命さ」は伝わるものの、「彼女らしくない絵」
だと思いました。写真を撮るのを諦めようかと思うほど、撮り難い位置にあり、
係りの人の許可を得て、ウロウロしながら撮ったのがこの絵です。

見てきたよと彼女に電話しました。「貴女はどちらがいいと思っているの?」
と聞きますと「…花のほう。だけどね、息子が『柿』が良いと言うので、先生
に見ていただくと、先生も『柿』といわれた。私は家事もほったらかして、一
生懸命『花』を描いたのに、皆『柿』だというの、私解らなくなってしまった…」
「私も『柿』がいいと思うの。『柿』の写真撮らせてもらったわ」「あの『柿』は去
年描いたのよ。今年は『花』を必死で描いたのに…、下手になっていくのか
な~」

私には答える言葉が無い、唯、彼女は今描く事に夢中なのです。ご主人が
亡くなって1人暮らし、もう何年たったでしょうか。友人としては、好きな事が
見つけられて、精一杯楽しんでいる彼女でよかったと思っています。彼女の
長男と私の次男が同級生です。長~い長~いお付き合いです。又私の洋裁
の先生でもあります。



        かいずませつこさんの絵がウインドウに飾られていました  
           『山辺の道』  旧街道に合掌造りの瓦屋根 萬的


           『鞆の浦』   昔を誇っていたのれん  萬的

今日は唱歌の学校でした。出た序でに神戸まで足を延ばして、かいずまさん
の絵を見に行きました。三宮から直ぐの位置に画廊はあります。小さな画廊
ですが、立地条件がいいので、別の友人の展覧会にも来た事があります。

彼女の絵を探すまでもなくウインドウを飾っているのが彼女の絵でした。ウイ
ンドウのガラスと絵の額のガラスと二重のガラスであまり良く撮れませんでし
た。

「萬的」さんと言うのは大阪の方で93歳になられるのに杖も突かず、毎回(今
年で第31回)1人で初日にこられて、一枚一枚の絵の前で、即興に『川柳』を
書いていかれるんだそうです。凄い人も居られるものですね。

かいずまさんとは高校時代の友人、4人グループなんです。学校時代は「古
典部」で一緒だったんです。『絵』が上手なのを知ったのは家庭を持って趣
味として習い始め、お宅に伺った時に見せてもらった時でした。

又お料理も上手なんです。気取ったものではなく、手元にあるものでささっ
と作ります。彼女に教わったお料理を私も時々作ります。

彼女は4枚の絵を出していました。だんだん会員も減って、作品が少なくな
ってきたからといっていました。ウインドウに飾られた居た絵が一番大作で、
次は「君子蘭」そして今日の写真ともう一枚が小品で今年の作品だといって
いました。

去年ご主人が大病をなさって出品できなかったし、これからはどうなるかわ
からないから、今年が最後かも知れないので…と言っていました。彼女は小
柄な人です。体力も要るだろうに、良くこんなに大作が描けるな~と感心し
ます。ちなみにこの絵は「日本画」です。

毎年彼女の版画の年賀状を楽しみにしています。そういえば間もなく年賀状
を作る時期がやってきますね。あせるな~。




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スポーツクラブでは…

2009年10月15日 | 今日この頃
     パンジーの花玉  (尼崎・大井戸公園の入り口  09-4-15)

                       (09-2-4)

                       (08-12-24)


久し振りに「インド・ムービーダンスに入りました。新しい曲になっていました。
今までの曲と動きが全然違いました。動きが少し激しくなり、1回転が多く、指
パッチンがあるんです。指パッチンは私が中学生の頃とてもはやりました。私
は上手だったんです。それが今頃になって役に立つなんて…。何でもしておく
べきですね。

回転が多いものですから、先生が「目が廻りませんでしたか?」とおたづねで
した。皆さん50~60代前半の人たちですから、私のことが心配だったのでし
ょう。回転するコツを知っていますので「大丈夫ですよ」とお答えをしました。

そういえば昨日のフラダンスも久し振りでした。こちらは12月に姫路でクリス
マス会&発表会がありますので、その練習も兼ねているからでしょう、新しい
曲に入っていませんでした。出たい人だけ出るのです。今年で3回目だと思い
ますが、今回はバウスカートもおそろいのようです。

そんなことより驚いたのはバウスカートが大半を占めているのは勿論ですが、
以前よりなんだかもっと華やいでいました。「何?」と見回しますと、手首に、腕
に耳にお花が、そして胸にはレイを掛けている人が増えたのです。皆さん衣装
を着て雰囲気を楽しんでいるのです。

私の様にズボン組みが7~8人居ますが、白鳥の中の黒鳥のようで、一寸申
しわけない気持ちがしないのでもないのですが…。

インドダンスの服は着てみたい気がするのですが、バウスカートだけはどうに
も穿く気がしないのです、困ったものです。幾らバウスカートといってもやはり
身体にあったギャザーの分量、丈などあるはずなんですよね。それを背の高
い人も低い人も、やせた人も太った人も同じ寸法のバウスカートを穿くもので
すから、みっともないんです。ぴったりしている方はほんの数人です。

やっぱりスカーとを穿いていた頃は全て自分で縫っていましたから、鏡にうつ
る自分を正視出来ない状態に持っていけないんです。だから穿きたくとも穿け
ないんです。始は自分で縫う気で居ましたが、それも邪魔くさいな~と思って
しまったんです。

穿きたければ、似合わない自分に目を瞑って穿けばいいのにね~、それが出
来ないんです。困った性格です。こんなつまらないことをブツブツ考えながら、
でも楽しいから参加します。

インドムービーダンスは11時半からですから、50分踊って、サウナに入ってい
ますと1時を過ぎてしまいます、だからこの日だけは「おにぎりとちょっぴりのお
かず」を持っていきます。帰りにスーパーに寄りますから、お食事をしていない
と、ついつい余分なものを買ってしまいますから、丁度いいのです。

他の日は10時20分からのスタヂオに入りますから、サウナに入っても、1時
過ぎには家に着きます。昼食後は本を読むか、眠くなるので眠ります。3時過
ぎには主人がスポーツクラブに行きますから、空いたパソコンを一寸触ってい
ると、直ぐ夕食の支度の時間になります。あっという間に一日が過ぎていきま
す。

私は1日1時間受けるだけでも手一杯なのに、1日に何時間も受ける方が居ら
れます。一日の時間の配分はどうなっているのかと思うことがあります。

私が通い始めた頃にはスパッツは穿きますが、水着のように足も腕も丸出しだ
ったのが(私も時々着ていました)今は皆さんティーシャツと緩めのパンツです。
それも圧倒的に黒が多いです。もう一つは腰の辺りにひらひらが付いたピーター
パンスタイルもあります。スポーツジムの服装にも変化はあるようですね。次は
どんなスタイルになるのでしょうか…。私は現状維持だと思いますが…。

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心のノート

2009年10月14日 | 気にかかる
         装飾用の「南京南瓜」といって苗を1本頂きました
                沢山の花をつけました


     雄花と雌花があるらしく 数個に1個だけ根元が膨らみました

        南京らしい丸みが出来てきました  しかしこれまでです
 先日の台風で根元から折れてしまい実りをみることが出来ませんでした 残念!!



今日の朝刊にこんな記事が出ていました。
「心のノート」の廃止はなぜ?

文部科学省が全国の小中学生に配布している道徳用教材「心のノート」が廃
止されるらしい。日教組の意向を受けた民主党が、廃止を求めているのだと
いう。その記事を読んで、わが子に心のノートを見せてもらった。

「礼儀正しくしましょう」「家族を大切にしましょう」「目的を持ってより良く生きま
しょう」「社会のために一生懸命に働き社会の役に立つようにしましょう」「公共
ルールを守りましょう」と言った当たり前のことだが、私達が幸せに共同生活を
営む上で大切な事が書かれている。

この内容の何処がいけないのだろうか。知識を授ける事も大切だが、知識を
正しく生かすため、社会の一員として正しい道徳心を授けることが公教育の
役目だと思う。

反対する民主党の議員には、実際に「心のノート」を一読し、どの点が不適当
なのか、具体的に指摘していただきたい。』

私は「心のノート」の存在すら知りませんでした。『日教組の意向…』と言うこと
で投稿者と同じ不信感を持ちました。そこで「心のノート」で調べてみました。
投稿者は「日教組」の人ばかり?と思うほど反対(入らない)が多いのです。

「心のノート」ウイキペディアによると
小学生向け(1・2年生、3・4年生、5・6年生)3種類と中学生向けの合計4種
類がある。平成14年(2002年)だけで7億2980万円が使われた。歴史教
科書問題において日本は教科書検定制度であると反論しているが「心のノー
ト」は事実上国定教科書でありこれに反するという主調や、教育勅語や終身
教科の色彩が濃いとして批判されることも多い。

又、この冊子を作るために多額の税金が用いられたことも問題となっており、
わざわざ文部科学省が作成する必要はなかったのではないかといわれること
もある。

実際のところ、学校の授業にはほとんど使われずに学年末に家に持ち帰るだ
けになっている場合も多々ある。 と記載されている。

ある人は書く「読んでいるうちにムカムカし、気分が悪くなり、吐き気がしてきた」

又ある人は「心の中まで支配しようとするのか?」と疑問を呈し、中学2年の息
子に「心のノート」をどう思うかと問えば「くだらない」との答えに安心した。
と言う。

私は見たことも無い冊子なので、なんともいえないが、やはり「日教組」の申し
出と言うのが心に引っかかっている。「国歌・国旗」を良しと考える私には、そ
れを強制するのと同じだと言っている点が納得できないのです。


   チェリーセージ 今年は良く咲きました 姿が乱れたので切戻しをするつもりです
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ぼくとママの黄色い自転車

2009年10月13日 | 読みました
 街路樹に絡めた「鉄線」 とても風情がありました  (尼崎の街角  09-6-10)


今日は久し振りにスポーツセンター・ウッディに行きました。お話しを聞いてい
ると3連休も台風もお構いなしで来ていた方もあるようです。私の身近にも居
ましたけれど…。私はすっぽりお休みをしました。


             ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       ぼくとママの黄色い自転車    藤田杏一
  
      

この本もやはり唱歌の学校のはったさんが貸してくださったものです。先日の
安房直子さんの童話といい、この本といい、心に優しい本がお好きなようです。
私はその恩恵にあずかっているわけで、とても幸せです。

作家の藤田杏一さんのものを読むのは勿論初めてです。でも経歴を調べてい
ますと山古志村の事を書いた「マリと小犬の物語」もこの作家のものでした。
…と言う事は初めてではないようです。映画の予告編は見たのですが本編は
見逃したという事ははっきり覚えているのですが…

でも待てよ、読んだ気もするな~と言う気がしてきました。ブログを遡って調べ
ました。やっぱりはったさんにお借りして読んでいました。それは平成8年4月
26日でした。

2冊ともノベライズと書いてあります。ノベライズって?小説化?と言う事は映
画が先でそれを小説に起こしたもの? 何となくそんな気がしました。

そのはずです「マリと小犬の物語」の時に「ノベライズ」について調べて書いて
いるのです。「ノベライズ」と言う言葉を目にして、私の頭のどこかに沈んでい
たものが浮き上がってきたようです。

この本だけではありません、読んだ本は片っ端から忘れていきます。忘れる
事を気にしていると、本は読めません。どんどん読んでどんどん忘れていいと
思っています。読んだ時に心に響くもの、その感動、その刺激それさえあれば
良いとしましょう。

図書館で借りたものはノートにつけているのですが、人様からお借りしたもの
はつけていなかったのです。これからはそれもつけておきましょう。そうすれ
ば今日のように手間を掛けなくても、直ぐ解りますものね。

この本は内容は易しいのですが
・芸術文化振興金助成事業  ・文部科学省選定(少年向 家庭向)  
・東京都青少年健全育成審議会推薦  と言う厳しい肩書きを持っています。

内容ですが裏表紙にはこう書かれています。
『小学3年生の大志は父親と二人暮らし、母はデザインを勉強するためにパリ
に留学していると聞かされていた。

パリから届く手紙を、大志は楽しみにしていたが、あるとき同封されていた写
真に不信を抱き、調べる内に、母はパリではなく瀬戸内海の小豆島に居る事
を知った。

(どうしてパパは嘘をついているのだろう)小さな胸に生じた疑問を解く為、大
志は愛犬のアンを連れ、母が買ってくれた黄色い自転車に乗り横浜から500
キロ離れた小豆島へのたびに出かけるのだった。

旅の終わりに大志が知る真実とは?涙あり、笑いありの感動映画を完全ノベ
ライズ』

大志の見た母は脳障害の為記憶を失い、大志の事も解らなかった。そして1
ヶ月後、母は3日3晩、原因不明の高熱で生死の境をさまよう。そのショック
?で母は一時的に記憶を取り戻す。そして大志が母恋しで書いた手紙を読
む事がで来た。

母は付き添いの静子さんにお願いする「静子さん、鉛筆と便箋を用意してい
ただけませんか。何時又意識が戻らなくなってしまうかもしれないから、今
の内に大志に手紙を書いて見たいの」と言う言葉で終わっている。

作家・藤田さんは犬好きなんでしょうね。「ぼくとママに黄色い自転車」は少
年と小犬、「マリと小犬の物語」は題名どおり女の子と小犬ですものね。


     
     
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夫婦別姓

2009年10月12日 | 新聞から
            トウガラシ(2~3cmの小粒) 09-10-10

               色付き始めました  09-9-22

             トウガラシの姿になってきました  09-8-29

        花が咲き始めました 2~3cmの小さな花です  09-8-17



3連休どうにかお天気でしたね。体育の日が含まれているので、アチコチで
運動会があったようです。お隣のはなちゃんも幼稚園最後の運動会でした。
お父さんお母さんおばあちゃんが応援に駆けました。

おじいちゃんはといいますと、運動会を見に行かないで、我家の車庫のシャ
ッターを直してくれました。おじいちゃんはとても器用な人でお隣は鉄筋3階
建てなんですが鉄筋の組み立てこそ人手を借りましたが、内装は1人でコツ
コツと仕上げた方です。時々我家の修理も頼んでいます。本当に器用なんで
す。


10月7日の記事に『「夫婦別姓」導入は再考を求む』と載っていました。
… 前略 …  『誰々さんのところの誰と呼ばれること、家族が皆、同じ姓で
ある事は子どもには必要な事だと思います。家族の絆が薄れつつある今、そ
れを加速するような夫婦別姓を認める法改正は考え直していただきたい。一
度壊れたら元に戻すのは大変です。子ども達に負の遺産となるような事は、す
べきでないと思います』

何年か前にも一度この事が話題にのぼりました。あの時の結末はどうだったの
でしょう? あまり関心がなかったので忘れてしまいましたが…、別姓にしたけれ
ばしてもいいという程度だったのでしょうか?それでなければ再び問題提起され
ないですよね。どうしても法律化してしまいたいということでしょうか。

福島大臣は別姓を採用?しておられるようですが、だからと言って、今の立場
を利用して推し進めないでいただきたいです。今のままで「お好きなように」で
いいのではないのですか。別姓を名乗っている方はどの位居られるのでしょう
か?

そもそもどうしてこういう問題が起きてきたのですか?女性の社会進出が目覚
しくなった時期に起こったような記憶があるのですが、社会的地位を持った女
性が結婚によって改名するのが煩わしいとか…。デモね大阪府知事でさえ、芸
名をそのまま使っていたではありませんか、実生活では改名しても、社会的に
はそのままと言うこともありではないのですか?

中国、韓国のまねですか? 両国は人まねでは無いでしょう? 綿々と続いて
いる歴史でしょう? アメリカはどうですか?家族同姓ですよね。

綿々と受け継がれてきたものを壊すのが新しい生き方ですか? 今の日本はそ
の傾向にあるようです。「古いわね!」が悪いことの様な…。

女性の大臣二人で「ね~ね~これも変えましょうよ!」何て、ならないようにお願い
します。以前の女性法務大臣のときも「看護婦」を男性もいるのだからと「看護士」
何て言い難い呼び名に変えてしまって。粗方が女性なんですから「看護婦」でよか
ったのにと、今でも思っています。大臣の力だからと安易に『今』を変えないでいた
だきたい。こんなことをされますと「女の浅知恵」何て嫌な言葉を思い出してしまい
す。

男女は根本的に違うのです。男女同権と叫ばなくとも、男にしかできないこともあれ
ば、女には女でしか出来ないこともあります。特性を生かして自信を持って生きま
しょう。
                              (1200回)
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