ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

神戸・新開地 聚楽館

2016年11月07日 | 思い出話

      「ヤブラン」    だんだん少なくなりました     (16―9―9)





神戸・新開地にはたくさんの思い出があります。戦前の話ですが、新
開地の中央辺りに、市電が通る市道に面して大きな映画館がありま
した。

ここは「聚楽館」といい、前面が円形にカーブした大きな建物で、初
めは歌舞伎など演芸場だったそうですが、私が小さいころは「映画館」
でした。

聚楽館は正式には「しゅらくかん」と読むそうですが、私達は「しゅー
らっかん」と言っていましたよ。「何処行くん?」と聞かれると「え~
とこ え~とこ しゅ~らっかん」って答えましたよ。

おじいちゃんに連れられて行ったのは、ここではなく、もう少し北に
「湊川温泉」という「温泉と映画館」のある所でした。私は、ここで
「弁士」付きの映画を見た思い出があります。

母の店の隣が小さな劇場で「美空ひばり渡米公演」とかいう、小さな
ひばりちゃんの舞台も一日中見ていたと記憶しています。

「新開地」には「サーカス」も来ましたよ。一人で何時間でも、親が
迎えに来るまで見ていましたね。今のように「入れ替え」は無かった
んじゃないですかね。

そして「親の言う事を聞かない子はルンペン(炭俵を背中に担いで、
ゴミ箱等をあさっている人)が攫って、サーカスに売られるよ!」
って脅されてていましたから、「悪い子」と思っていた私はルンペン
を見ると急いで隠れました。


戦後暫くは「新開地」は誰にでも親しまれる繁華街でした。それが
何時の頃からか、廃れ始めました。焼け出されて平野という「聚楽
館」が歩いていける範囲に住んでいましたが、「元町」に帰ってから
は三宮が繁華街になり、映画館も出来て、そちらに行くようになり
ました。

三宮駅南側は「闇市=青空市場」で賑わい、其の延長で、お店が
建ち繁華街になりました。大賑わいでしたが、「闇市」といわれるだ
けあって、少々子供心には「怖いおじさん」がうろうろしていました
よ。でも三宮の闇市にしか「揚げパン」なども売っていませんでした
から、揚げたてホコホコの「揚げパン」食べたさにこわごわ付いてい
きました。

其の分、元町は客足をとられ、寂れていきました。今は大分戻って
きましたが、戦前に元町に住んでいて、大勢の人が行きかっていた
のを見ていた私から見れば、寂れたままと感じています。

「栄枯盛衰」は世の習いといいますが、本当に、神戸の中心だった
「元町」は寂びれ、今は東の端の「三宮」に中心が移ってしまいまし
た。

私自身も「神戸に行く」といえば「三宮」を指し、「元町」にはめったに
足を向けなくなりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする