ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

色々な免許

2013年05月06日 | 思い出話

     「ハナニラ」     薄いブルーが白にのみこまれつつあります     (13-4-15)


とうとう長~い連休も終わってしまいましたね。私はじ~っと家にこもっておりま
した。おいしいおやつを側に、本を読んだり、取溜めていたビデオを見ながら
編み物をしたりで、あっという間に、5月の1週間が過ぎてゆきました。


先日から、色々と片付けをしているのですが、いらないものは捨ててしまうつ
もりです。随分さっぱりして来ましたが、そうですね~、今年いっぱいはかか
りそうです。

まずは靴を…、主人と私のはかない靴で、ビニール3杯分ありました。私は草
履も(喪用、留袖用色紋付用)と3足だけ残して、他はみな処分しました。下
駄箱が1つ空っぽになりました。

次は小物の整理です。私はハンカチが好きで、随分集めていたのですが、今は
タオルのしか使わなくなりましたから、買わなくなりましたけど、一度でも使った
ものはみな処分することにしました。

そして、色々な「免許書」も出て来ました。捨てる前にコピーして、ここにも載せ
ておこうと思います。


 

左は「アマチュア無線免許」です。45歳の時です。何故取ったかといいますと当
時、寝たきりの姑の世話で、日々の食料の買い物以外、一歩も家から出られな
い状態でした、3.4年は、それでも好きな本を読んで暮らしていたのですが、だん
だん、人恋しくなりました。友達も私の立場が分かっていますから、電話も遠の
きました。

人と話したい、社会と繋がっていたいと言う気持ちが強くなりました。そこで思い
ついたのが「アマチュア無線」です。日曜日、家族に頼んで2ヶ月?ぐらい、大阪
の寺町まで通いました。お陰さまで一発でテストに合格しました。しかし発射する
ことはありませんでした。器機を揃える前に、姑が他界したからです。

今のようにパソコンが普及していれば、習いに行かなかったと思います。

右は運転免許書をとる為の教習者手帳です。免許は70過ぎた頃、返納しました。
若くないので、努力が必要と、ほぼ毎日通いました。校内の技能テストは1度で
パスしない事もありましたが、教科試験と最終路上テストは一度でパス、本人が
一番驚きました。始めてから6ヶ月の猶予がありましたが、4ヶ月で取得しました。
明石でのテストも一度でOK、48歳にして運転を始めました。楽しかったです。 


 

これは還暦祝いに、ニュージーランドを自動車旅行するために取得した「国際
運転免許証」です。実際には神戸の大震災が起こったために、1年延期しました。
かの地で、「北島」「南島」ともレンタカーは、還暦にふさわしい真っ赤な車でした。
勿論外車ですよ、ハハハハ。

         

是は私が2度目にハワイに行ったときのパスポートです。今では0歳児からパス
ポートはもらえると聞いていますが、1973年(私38歳)頃は中学生になるまでの
子供はこのように親と一緒にしか取れなかったのです。長男は中学生でしたか
ら、一人でした。

この年、私が、心斎橋の売り出しのガラガラで特等のハワイが当たって、一人
でいったので、義弟が行きたい、と言い出して、姑、義弟家族4人、我家3人、
8人で行きました。主人一人は留守番でした。

丁度トイレットペーパーが店先からなくなったと言う大騒ぎの時期で、家族4人
で、持てるだけのペーパーを買って来ましたよ。ハワイから、トイレットペパー
ですよ、今は笑い事ですが、その時は真剣でした。懐かしい思い出です。

後の免許書は、和裁、洋裁、あみもの、英検等々ありますが、今ではもう使用
期限切れ、思い切って処分しようとしています。

捨てるものにも、色々と思い出が在り、中々捗りません。思い出を楽しみなが
らゆっくりと、過去を捨てていきます。




コメント
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