ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

能福寺・兵庫大仏

2012年04月05日 | 一寸そこまで

          憧れの大仏様 「兵庫大仏」   能福寺   (12-4-5)
   大仏の高さ:11m   台座の高さ:7m   重さ約60t   総工費約5億円



   建物にさえぎられなければ、かなりはなれた場所からでも見ることが出来ます


三度目の正直(この言葉当てはまるかな?)珠ちゃんと「大仏見物に行って来
ました。一度目はお昼を何処で食べるかと言うことになり、二人の意見が一致
「須磨の志らはま」に行くことにしました。同じ行くなら「お大師さんの日」に行
こうとしました。久しぶりに「縁日」も覘きたいし、しかし縁日は「お持ち帰り」
だけでお店では食べられないと言う事で、日にち変更してのが、先日の3日、
大雨、台風並みの風の日でした。そこで又変更、今日言う日になったわけです。

兵庫駅で待ち合わせて、徒歩15分の能福寺(清盛が出家したと言われてい
る寺)へ。NHKの「平清盛」が放映されているから行ったのではありません。
何年か前から、私が「兵庫大仏」に行きたいといったら、珠ちゃんが「行った
ことあるから、連れてってあげる」と言うお約束だったのです。

大仏さん、写真で見ていたより、とっても美男におわします。私好みの(こん
な言い方していいのかな~?)仏様でありがたいやら、嬉しいやら、仏様の
周りをグルグル廻って写真の撮りまくり、結局「お賽銭」を入れるのを忘れ
てしまいました。

現代の大仏様は2代目で、初代は明治24年(1891年)に豪商南条兵衛と
言うひとによって建立されたと言われております。奈良、鎌倉とともに日本三
大仏に数えられたと言われています。

初代の大仏は対戦中の昭和19年(1944年)5月に解体、金属改修供出さ
れて、翌年3月17日の神戸大空襲の時、伽藍は全焼しました。

平成3年5月47年ぶりに再建されました。開眼法要の際には「奈良東大寺
管長」「鎌倉大仏管主」ご臨席の下に盛大に挙行されました。

まだまだお傍に居たいという心を断ち切って、次の目的地、須磨へ。


        ↑ 須磨寺の山門から…     ↓ 平敦盛(左)と熊谷直実の一騎打ち
                             源平興亡の舞台となった場所「源平の庭」
    


  ↑   須磨寺        ↓   注連縄の切り絵(高野山にもありました)


               
                       ↑  須磨の桜のポスター ↓ 須磨寺の三重塔
     

まずお食事に行きました。残念ながら、少し甘味が強すぎて、わたしのお口に
合いませんでしたが、お客様はどんどん入って来て、小さなお店ですが、すぐ
満席になりました。。やはりローカルな有名店でしょう。何処に行っても、昼時
の有名店は「女性ばかりやね」と私が言うと、珠ちゃんが「年寄りばっか」「年
金生活者だらけやね」と会話。


なつかしの須磨寺に行きました。お大師さんの大きな草鞋が掛かっていた山門
があったのですが、見当たりません。私はお寺の方に訊ねました「震災の時に、
皆潰れて、再建したので、その時になくなったのだと思います」と言う答え「こ
の辺は、全てぺちゃんこにやられたのですよ」と言われました。その時、区画整
理したのでしょう、道路が嫌に広くなっていました。


お参りした後、お隣の大池に行きました。桜は種類があるらしく、満開の木も
あれば、まだまだ蕾の木が多かったです。しばらく桜を眺めながら、石の腰掛
で、お話をしました。人から見れば老婆二人、ちんまりとの図。

月末のクラス会に会う事を約束してバイバイしました。珠ちゃんの笑い話、書
きたいのですが、帰り際「他の友達も読んで、珠ちゃん?てきたね~、と言わ
れるから、絶対ブログに書かんとってよ」とくぎを刺されましたので、書きた
いけど泣く泣く止めておきます。あ~書きたい!



     須磨寺の隣・大池の「桜」 まだまだ3部咲きぐらいの気が多かったです

コメント
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