「ヒスイカズラ」 大阪・鶴見緑地・咲くやこの花館 (12-3-29)
↓ 新聞に載っていた花は、もう落花していて 手に取れるように台に置かれていましたた
↓ 房はまだつぼみでした
今はもうコトリとも音がしませんが、お昼は凄かったですね。台風並みの風と
横殴りの雨、鉢が倒れ、草花が斜めにかしいでいます。明日は、庭のお手入
れです。倒れた花を起こしてやらなければなりません。
雨が降れば、外出することもなく、テレビで『今』の状態を居ながらにして見
ることの出来る生活。ありがたいことです。
こんな悪天候になるとは思わなかったのですが、昨日のうちに(近くのスーパ
ーは、月曜日は10%引き)今日の買い物もしていたので、新聞を取りに出た
以外は、家に居て、たまっているビデオを見て過ごしました。
神様の女房 (もう一人の創業者・松下むめの物語) 高橋誠之助
作者は、初めは松下電器の社員でしたが、幸之助さんに乞われて、松下家の
執事の役を引き受けた方です。だから、むめのさんの事を良くご存知なのです。
今のパナソニックの創業者松下幸之助さんの奥様むめのさんの物語です。夫
婦二人で始めた商店が、「世界の松下」と言われるまでに成功したのには、影
で奥さまの貢献があったればこそと言うことです。
先日、会社でもお仲間でも、より良く継続する為には、「ほう・れん・そう」報=報
告、連=連絡、相=相談が大切で、それは松下幸之助さんの言葉だと書きまし
たが、それは、そのように母親から育てられた「むめのさんの言葉」だったよう
です。
山陽電気はむめのさんの3人の弟さんが興した会社だとは始めて知りました。
勿論、3人とも、松下電器で修行をしたのですが、終戦後、財閥指定と公職追
放を受けて松下幸之助さん、松下電器が、機能しなくなり、仕方なく、3人で
会社を興されたようです。
松下電器を実質上大きくしたのは、自転車用ランプだったようです。それまで
は「ロウソクランプ」だったなんて、思いもしませんでした。幸之助さんが乗
っていたロウソクランプが消えた時「実用的な自転車ランプが自転車に付いて
いたら、そうかそれを作ればええんや」と研究を初め、「自転車には振動がつ
き物やから、故障が起きないように、構造を出来るだけシンプルにし、電池の
寿命を延ばす事を考えた」と言うことのようです。当時、電池は数分しか持た
なかったそうです。
大阪のビジネスパークにある「ツインタワー」も松下関係のビルだったんです
ね、知りませんでしたが、病院もあるんですね。
そして、職を退いてから「松下政経塾」を始められました。「松下さんの唯一
つの失敗は『政経塾』を造ったこと…」と今はこき下ろされていますが、いつ
か松下さんの心にそった政治家、経営者が出てくると良いですね。
「夙川の桜」松下さんご夫妻がこよなく愛された場所だそうです。私達も毎年
のように「桜見物」に行きますが、又、花見の季節になりました。今年からは
又、違った思いであの道を歩くことになるでしょう。