緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

マンドリンアンサンブル響 第10回定期演奏会を聴く

2019-11-03 21:49:39 | マンドリン合奏
今日、千葉市民会館大ホールで開催されて「マンドリンアンサンブル 響」第10回定期演奏会を聴きに行ってきた。
会場までは車で行った。
国道16号をひたすら南下。



先日、朔太郎祭で前橋に行った時のように途中で道に迷うことは無かった。

今日この演奏会を聴きに行こうと思いたったのは、プログラム最終曲である「パストラル・ファンタジー」を作曲者である藤掛廣幸氏自身が指揮するということであった。
今から3年ほど前に、ラーラ・マンドリンクラブの演奏会で、藤掛氏自ら指揮をして初演された「手児奈ファンタジー」を聴いたことがあった。
この演奏会で初めて藤掛氏の実演を目にした。
とてもヴァイタリティに溢れた指揮で、惹き込まれた。

私がマンドリンオーケストラの曲を初めて聴いたのが、藤掛廣幸作曲の「グランドシャコンヌ」だった。
これは母校のマンドリンクラブの新入生歓迎演奏会での曲目の一つだったのだが、この時のシーンは今でもはっきりと憶えている。
この出来事は自分にとっては衝撃だった。
私はその時クラシックギター独奏を既に6年間(中学、高校)やっていたが、ギターパートを含むマンドリンオーケストラがこんなに情熱的で、強いエネルギーに満ち溢れているとは全く想像すらしていなかった。
しかしこの偶然の、母校の「グランドシャコンヌ」の演奏を聴いたことが、私のその後のライフワークに大きな影響を与えてくれることになったのである。
この新入生歓迎コンサートを聴いてすぐにではなかったが、しばらくしてから母校マンドリンクラブに入部した。
そして現在も1年ほど前からマンドリンオーケストラでの演奏を再開した。

この母校のマンドリンクラブで、「マンドリンオーケストラのための”じょんがら”」、「スタバート・マーテル」、「パストラルファンタジー」、「グランドシャコンヌ」という、藤掛氏の主要曲を演奏する機会に恵まれた・
とくに「スタバート・マーテル」は、鈴木静一の「交響譚詩 火の山」、熊谷賢一の「マンドリンオーケストラのための群炎Ⅵ 樹の詩」とともにマンドリンオーケスト曲の最高傑作だと思っている。

藤掛氏のこれらの主要曲は、日本の高度経済成長期の1960年代から1970年代半ば頃までの時代を彷彿させる。
演奏する者も聴く者も魂の根幹を震わすほどの強いエネルギーを引き出す力を持っている。
この時代は何もかもエネルギーに満ち溢れていた。いやそれだけでなく感受性も鋭かった。
藤掛氏の作風は、マンドリンオーケストラ界だけでなく、作曲界の中でもオンリー・ワンと言えるほどの独自性を有している。
日本のマンドリンオーケストラの作曲家、とくに古い世代の作曲家は各自、独特の世界を持っていることがイタリアなどの作曲家と異なる大きな特質と言える。
藤掛氏はマンドリンオーケストラ界で知られた存在であるが、それだけではない。
藤掛氏のこれまでの業績はウィキペディアや藤掛氏のホームページで知ることが出来る。

さて、今日のプログラムは下記の内容だった。

第1部
・ハンガリー狂詩曲 作品68 ダヴィット・ポッパー作曲 中野二郎編曲
・コンチュエルトカプリチオーゾ ヘルベルト・バウマン作曲

第2部
【ソニード・ギターアンサンブル】
・鐘の響 ホワン・ベルナンブーコ作曲 平倉信行編曲
・エスパニアカーニ P・マルキーナ作曲 高野勲編曲
【ロシアの調べ】
・ロシア民謡メドレー ロシア民謡 高野勲編曲
 (ポーリュシカ・ポーレ、泉のほとり、ともしび、カリンカ)
・黒い瞳 ロシア民謡 和智秀樹編曲
・二つのロシアの旋律による幻想曲 ブダシュキン作曲 和田康男編曲

第3部
・劇的序楽「細川ガラシャ」 鈴木静一作曲
・パストラルファンタジー2010 藤掛廣幸作曲

曲ごとの感想は割愛させていただくが、社会人、学生団体を含めてなかなか聴くことのできない曲、親しみやすい誰もが聴いたことがありしかも民族楽器を交えての曲、マンドリンオーケストラのオリジナル曲で本格的な曲というプログラム構成は、マンドリンに詳しい方にも初めての方にも楽しめる内容であり、今日の演奏会を成功させた大きな要因になっていると思う。
今日の大ホールは満席状態だったが、客層は高齢者が多く、マンドリン音楽に普段から馴染みのない観客が多かったように思うが、拍手の大きさや歓声が上がったことを考えると多くの観客が大いに満足したのではないかと思う。
マンドリンアンサンブル響や、客演として協奏曲のソロで出演した方々も、それぞれが演奏することに喜びを感じていることが伝わってきて、私自身も楽しむことが出来た。遠くから来た甲斐のある満足できる演奏会だった

ただ驚いたのは、藤掛氏が舞台に登場したとき、付き添いに体を支えられて、歩くのもやっとという状態であったことだった。
見た感じでは、目が見えてないようだった。
3年前に舞台で見た時には、70過ぎには全く見えない、若々しく、ヴァイタリティに溢れた姿だったのに、この間に一体何が起きたのであろう。
それでも指揮棒を握ると、あのエネルギーに満ちた棒さばきが見て取れた。
パストラルファンタジー2010はパーカッションを加えた編成だった。

パストラルファンタジーを終えた後で、藤掛氏のあいさつがあった。
楽譜というただの紙から、一生懸命それに命を吹き込み演奏して下さる方々への感謝の気持ちに溢れていた。
演奏者がアマチュアであっても、いやむしろ町のアマチュアであるからこそ、自分の曲、それもマイナーな曲も含めて演奏してくれることに対する感謝の念に満ちており、謙虚だし、奢らない、芸術家にありがちな尊大な態度というもの自体が無い。
終演後の藤掛氏に対し大きな歓声があがったという事実が、彼が、彼の曲を演奏し、聴いてくれるどんな人に対しても等しく、分け隔てなく思いを伝えていることの現れに違いない。

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M.ポンセ「イ短調組曲よりサラバンド」を聴く

2019-11-02 21:15:21 | ギター
父が死んでから、私が幼い頃の記憶が蘇ってくるようになった。
私は緑色が好きなのであるが、緑色の最初の記憶はまだ幼稚園にあがる前に頃だった。
便器に半透明の黄緑色の樹脂製のちょっと大きめの洗濯ばさみを落としてしまった時だ。
何故かこの時の記憶ははっきりと憶えている。
この半透明の黄緑色の洗濯ばさみが幼い頃の私のお気に入りだったようだ。
便器に落として、母に落としたと言ったら、取ってくれた。
私が生まれ育ったところは札幌でも整備されていたようで水洗トイレだった。
しかし次に移り住んだ札幌市内の町のトイレは汲み取りだった。

これが緑色の最初の記憶だ。
次の記憶が、泉屋のクッキーの包装紙。
確か緑色のデザインの包装紙だったと記憶しているが、父が勤め先の帰りに買ってきてくれた泉屋のクッキーの包装紙が気に入って、しばらくしてから「この紙が欲しい!」と父に言ったら、翌日、父が勤めを終えて家に帰ってきたらこの包装紙を持ってきてくれたのだ。
たぶんデパートで泉屋のクッキーの売り場に行って、包装紙を下さいと頼んだんだろうな。
そんなことは当時の私には分からなかったが、とにかくうれしかったことは憶えている。

そういう何気ない日常だった記憶の1コマが断片的に蘇ってくる。

今日、久しぶりにギターを録音してみようという気になった。
何がいいかと思いを巡らせてみた。
浮かんできたのは、マヌエル・ポンセ作曲「組曲イ短調」の中の「サラバンド」。
穏やかないい曲だ。
20年くらい前に楽譜を買って弾き始めたが、完成に至らなかった曲。
「サラバンド」はこの曲の中で最も易しい。

暗譜してものに出来るまでにかなりの時間がかかりそうだ。
満足のできるまでになったら、この記事に貼り付けてみようかなと思う。

この曲の演奏のお勧めは何と言っても、ユッカ・サビヨキの演奏だ。
キレのある凄い演奏だ。
残念ながらYoutubeには無かった。







約20年前、まだ父が健在だった頃、北海道で撮った風景写真。
父の故郷近くの積丹岬の絶景。



盃温泉に沈む夕日。








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スタン・ゲッツ&ビル・エバンス Grandfather 's Waltz を聴く

2019-11-02 00:02:48 | ジャズ
何故か今日、心に浮かんできた曲。
30年前に聴いたジャズ曲だ。
曲名は「~ワルツ」しか記憶に残っていなかったが、奏者はスタン・ゲッツだったことは覚えていた。

レコードを引っ張りだしてジャケットを見たら、”Grandfather 's Waltz”という曲だった。



Youtubeで探したらあった。

Stan Getz & Bill Evans - Grandfather 's Waltz


とても懐かしい。

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久しぶりの日本酒(12)

2019-11-01 22:36:18 | グルメ
明日からまた3連休だ。
日頃の寝不足から朝から晩まで。会社でも電車の中でも家にいるときも座っていると居眠りをすることが何度も。
そのせいで風邪をひきはじめたようで体が何となくだるい。

3連休の前の晩というと日本酒を飲むのが定番となってしまった。
今日飲んだのが、青森県の「作田」という日本酒。
今流行の甘ったるさはなく、端麗ですっきりとしていて、くせのないいい酒だ。



ここ数日、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲の聴き比べをしている。
曲は、無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ短調、BWV1003。
2年ほど前に、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲の聴き比べをかなりやった。
CDを随分買い込んで、集中的に多くの奏者の演奏を聴いてみたのだが、正直なところ、ヴァイオリンの音の違いを聴き分かるのがかなり難しく、その時はどれがベストの演奏なのか自信を持って選ぶことができなかった。

ヴァイオリンの音は自分にとって次元が高く感じる。
ピアノやギターの音はかなり容易に音の違いが識別できるけど。
聴き比べをしてから2年経ったが、今回BWV1003を聴いてみたら、前よりもだいぶ進歩したように感じた。
前回よりも奏者の音や演奏スタイルの違いが見えてきたような気がする。
恐らくではあるが、これはピアノやギターでもそうなのであるが、ある曲の演奏を聴き比べする時、演奏の良し悪し、好き嫌いを判断するために必要な基準、メルクマール、尺度といったものが自分の中に出来ていないと駄目で、2年前はその基準がまだ出来上がっていなかったが、今回はそれがかなり出来上がりつつあるからではないかと思うのである。

演奏の良し悪し、好き嫌いを判断する際に、自然に無意識的に心の中で形成されているのが、ある特定の演奏家の演奏である。
どんな曲でもその曲に感動したり、関心を持ったならば、その曲のいい演奏を聴きたいという欲望が生まれる。
音楽好きであれば、多少の出費や時間的な犠牲を払っても、「自分にとって」これ以上ないという演奏を探す。
そしてそのような演奏に巡り合って、その演奏を何度も聴き、心に刻みこまれた時、そこではじめて聴き比べの基準が出来上がるのではないかと思う。

今回のBWV1003の聴き比べの基準として自分の中に出来上がった演奏は、潮田益子氏の旧録音(1971年)だ。



第3楽章のアンダンテなどは冒頭を聴いた瞬間鳥はだがたってくるほどだ(いつもちょっと大げさに書いているとも言えないが、本当なんです)。
全然頭で弾いていない。音楽の流れが自然でかつ格調高い。そして何よりも音が力強く芯がある。

バッハの無伴奏の名盤は何かと、いろいろなお勧め盤を書いてある情報を見るが、あまりあてにしないほうがいい。
何故ならばそのお勧め盤はその人とっての好みや、価値観で選出されたものであり、それが自分に合致することはまず無いからだ。
この組曲の録音はヴァイオリンの巨匠を初め、実に多くの録音があるが、ネーバリューとか、多くの人がいいと言っているからということで、その演奏家の録音だけを聴くだけでは、もしその曲が本当に好きならば、その曲の価値に触れずに終わってしまうかもしれない。

だから自分は徹底的に聴き比べてしまう。
バッハの無伴奏ヴァイオリン曲はベートーベンのピアノソナタと同様、聴き比べの最高の教材だと思う。
いつになるか分からないが、なるべく近いうちにBWV1003の聴き比べの成果を記事に書きたい。
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