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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

イエペスの名演(3)「聖母の御子(EL NOI DE LA MARE)」を聴く

2019-11-16 20:04:24 | ギター
イエペスの残した録音の中で何度も繰り返し聴いた曲の一つが、カタロニア民謡の「聖母の御子(EL NOI DE LA MARE)」。
1972年に録音された、「イエペス、カタロニア民謡を弾く」というアルバム(オリジナルのタイトルは”Musica Catalana”)の1曲目に配置されたものだ。



イエペスの残したアルバムの中でもこの「イエペス、カタロニア民謡を弾く」はとりわけ名盤と言って良いと思う。
モンポウの「歌と踊り第13番」や、アセンシオの「内なる想い」などの新曲かつ名曲を含むものであった。

このアルバムでイエペスが弾いたカタロニア民謡は次の5曲。

・聖母の御子
・商人の娘
・糸を紡ぐ娘
・先生
・盗賊の歌

このアルバムを初めて聴いたとき、何かひっかる感じがした。
聖母の御子以外の4曲はリョベート編なのに、聖母の御子だけが、アンドレス・セゴビア編と記載されていたからだ。
まず、当時この「聖母の御子」の楽譜はリョベート編が殆どであり、アンドレス・セゴビア編なる楽譜は探しても無かったからである。
リョベート編の楽譜は下記。



リョベート以外の楽譜では例えば次のようなものが入手できたが、セゴビア編とは全く異なる。





セゴビア編の楽譜は見つからなかったが、セゴビアはこの曲をSP時代に録音していた(1944年1月)。
イエペスはこのセゴビアのSP時代の音源を参考に、10弦ギター用の運指を施し、録音したのではないかと推測される。
10弦と言っても音域の拡張は無い。しかし確実に7本以上の弦による運指で弾いている。

イエペスが何故、リョーベート編を使用せず、あえてセゴビアを使用したのか。
講習会でセゴビアと大喧嘩し、訣別したイエペスが自らの編曲を使用するどころか、あえてセゴビア編を用い、かつレコードにはっきりと「アンドレス・セゴビア」と記載までしたのはとても意外な思いをしたのである。

リョベート編を弾いたことのある方なら分かると思うが、リョベート編は正直物足りない。
なんかあっさりし過ぎるのである。
しかしセゴビア編はこの曲にしっくりくる。
もしかするとイエペスはこの「聖母の御子」をギターで弾くにあたって、この曲のギター編曲は、アンドレス・セゴビア編以外にありえないのではないかと結論づけたのではないか。
イエペスほどの大家であれば、自編も出すことも可能だったかもしれないが、恐らくその必要性が無いと思ったのかもしれない。
それはとりもなおさず完成度の高い編曲であることを示している。

この曲の録音は無数にあるが、私にとってはイエペスの演奏が最高だ。
この1972年の録音がYoutubeにあったので貼り付けておくが、音がオリジナルに対し悪くなっている。
微妙な感情が聞き取れない。
レコードなCDで聴くことをお勧めするが、しかし本当の生の音はもっと素晴らしかったに違いない。

Segovia: El noi de la mare


このイエペスの演奏はとても暖かみに満ちている。
テンポは人によってはゆっくりだと感じるかもしれない。
しかし私はこのテンポがベストだと思う。
とても暖かく癒しの気持ちが伝わってくる。
70年代にイエペスに指導を受けたある方から直接聞いたことがあるのだが、イエペスはレッスンではとても厳しく怖かったそうだ。
しかしこの演奏を聴く限りでは、とても優しさに満ちている。
この演奏に何度癒されたことか。
もしこの演奏を初めて聴く方がいたら、何も考えずに、聴こえてくる音楽から伝わってくる感情をそのまま浴びて欲しい。

この曲を最初に弾いたのは学生時代でリョベート編だったが、今から20年ちょっと前にセゴビア編が弾きたくなり、楽譜をほうぼう探したが見つからず、結局、イエペスの録音からレコード・コピーをした。
その時に記録に残しておかなかったのが残念だ。

今回6弦をD、5弦をGに下げる調弦で、あらためてイエペスの演奏のレコード・コピーをしてみた。
そのコピーを五線紙に記録したので、下に掲載しておく(ただし全部ではなく要所だけ)。

まずイエペスの演奏は、セゴビアのものをベースとしているとはいえ、全く同一ではない。
私はイエペスの編曲がセゴビア編を基本に尊重しながらも。細部はイエペス独自の考えが反映され、より一層完成度の高い編曲にまで到達していると感じる。

次のAの部分は5弦をGに下げる調弦ではちょっと苦しい。



次のBとCがリョベート編とかなり異なる部分で、セゴビア編の最も特徴の現れたフレーズだ。














Bの4拍目の和音は5弦=Aの調弦では苦しい。
20年前の5弦=Aの調弦でこの部分を弾いていたが、今回5弦=Gでこの部分を弾いてみたらとても楽で、ベース音も切れない。
懸念されるのは、5弦=Gの調弦だと、和声が濁りやすくなる傾向があるが、録音して聴いてみるとそうでもなかった。
参考に今日この部分を弾いて録音した音源も貼り付けておく。

「聖母の御子【B】

次の部分はレコード・コピーしにくい。



以前、どこかでセゴビア編とする編曲の譜面で次のようなものを見たことがあるが、誤りである。



あとはCのフレーズ。
この部分もリョベート編とかなり異なるが、セゴビア編の方が優れていることは明確だ。
7フレットと2フレットのセーハの部分は。音が切れないように保持することはなかり難しい。
これも5弦=Gの調弦で録音して聴いてみたが、違和感はなかった。

「聖母の御子【C】

最後のDの部分はリョベート編とは微妙に違う。

セゴビア編は次の部分を始め、このパターンの拍の取り方がリョベート編と異なる。
イエペスはセゴビアと同じ拍の取り方を採用している。



Youtubeでセゴビアの映像付きの録音があったが、テンポはかなり速め。
しかも強度の音加工がなされており、聴くに堪えない。
安易に電気処理などすると、オリジナルの演奏が歪められてしまう。

イエペスの最後の和音はシンプルに静かに終わる。
ここが素晴らしい。
ジョン・ウィリアムスのように、最後の最後に余計な和音を付けたしてしまうと、この曲の折角の雰囲気が興ざめしてしまう。


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伊福部昭作曲「映画 コタンの口笛」を聴く

2019-11-10 23:03:11 | 邦人作曲家
社会人マンドリンクラブの次回定演に向けての合奏練習は今日で2回目。
今日は一部の指揮者との初練習だったが、一部の曲の中に伊福部昭に関連する曲があり、伊福部昭に関する話をしてくれた。
膨大な映画音楽を作曲したことを聞いて、そういえば昔、今から20年以上前に伊福部昭の映画音楽を集めたCDを買ったことを思い出し、家に帰って聴いてみることにした。





日活映画のサウンドトラックを収録したものだったが、中でも「女中ッ子」という映画(1955年)のいくつかの挿入音楽の中には聴き応えのある美しい音楽があった。
今から20数年前まで、Youtubeなどのインターネットによる音楽配信が未だ無かった時代、伊福部昭の映画音楽の録音の復刻によるCDが20枚以上は出ていた。
バブルが崩壊したとはいっても、この時代は未だCD業界は活況を呈していた。

マンドリン合奏の練習で、指揮者が曲の解説をしてくれるのはいろいろ助けになるし、新しい発見も得られることもある。
演奏する側としてはまずは技巧を淀みないものにすることが第一ではあるが、それだけでは無味乾燥に感じるし、曲を作り上げていくうえでは不十分に感じる。
指揮者は限られたわずかな時間でいかに音楽的に仕上げていくかに腐心するのであろうが、メンバーを、曲の音楽面をイメージできるようにまで持っていくことはなかなか大変なことだ。


伊福部昭の名前を知ったのは中学生の時。
ギター曲、「古代日本旋法による踏歌」と「箜篌歌」の作者としてであったが、この当時は録音が皆無だった。
大学でマンドリンクラブに入って、鈴木静一の「交響譚詩 火の山」に感動してから、鈴木静一と同じような曲想を持つギター独奏曲を探し始めた。
そしてまず、伊福部昭の「ギターのためのトッカータ」の楽譜を見つけ、ほどなくして、偶然にも絶版になっていた「古代日本旋法による踏歌」の楽譜を手に入れた。
そしてこれらの曲をマンドリンクラブの、丁度「火の山」を練習していた時の休憩時間に楽譜を開いて練習したものだった。
当時は本当にギターキチだった。休憩時間でもギターを弾いていた。
この時、キターパートトップのMさんが、伊福部昭が映画「ゴジラ」の作曲者であることを教えてくれた。
Mさんが伊福部昭のことを知っていることはちょっと驚きだった。
この当時は伊福部昭はまだ知名度は低かったように思う。
そして翌年にFMラジオで名作「交響譚詩」に出会い、これをカセットテープに録音した。

今日、先の映画音楽集のCDを聴き終わってから、指揮者が、「伊福部昭が映画「コタンの口笛」」の音楽を作曲した」と言っていたことをふと思い出した。
早速、Youtubeで検索したらあった。

Akira Ifukube – A WHISTLE IN MY HEART / 伊福部昭: 「コタンの口笛」 (1959) OST


「コタンの口笛」に映画があること、その映画の音楽担当が伊福部昭であることを初めて知った。
「コタンの口笛」とは石森延男の作品であり、児童文学の名著であり不朽の名作である。
北海道のアイヌが舞台の小説だ。
「コタンの口笛」を初めて知ったのは、中学3年生の時。
当時通っていた中学校の社会科教師として赴任してきた石森先生が、最初の授業のあいさつで「自分はコタンの口笛の著者の石森延男の親類だ」と言っていた時だった。
この時「コタンの口笛」がどんな小説なのか気にもとめなかったが、実際にこの小説を初めて読んだのはずっと後、今から5年くらい前のことだ。
この時の感想は以前記事にした。
素晴らしい内容で、庄野英二の「星の牧場」ともにまさに不朽の名作といっていい。

伊福部昭が作曲した映画「コタンの口笛」の挿入音楽を聴いてみると、「交響譚詩」の第二譚詩のモチーフをかなり使っていることが分かる。
最も伊福部昭らしい音楽だ。今こんな曲を作れる人はいない。

今度この映画を見てみたい。
この時の日本はまだ貧しかったが、風景や人間が質素でありながら、素朴な美しさがある。
いい時代だったのだと思う。
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G.マネンテ作曲「ピエモンテ皇子」を聴く

2019-11-09 22:27:26 | マンドリン合奏
今日、車を運転していたら、昔学生時代に弾いたG.マネンテ作曲の「ピエモンテ皇子(PRINCIPE DI PIEMONTE)」のワン・フレーズが浮かんできた。
この曲はマネンテの曲だとは思ってもみなかったが、とにかく明るく楽しい曲だ。



今日はとても陽気のいい日だったから、こんな曲が浮かんできたのか。

Youtubeで探したら投稿が2つだけだった。
意外に少ない。

マンドリン演奏 ピエモンテの皇子


調べてみたら、ピエモンテ皇子とは実在のイタリアの人物だったようで、このピエモンテ皇子の娘、マリア・ピア王女のために、マネンテは「サヴォイアのマリア・ピア王女(Principessa Maria Pia di Savoia ninna-nanna)という曲を献呈している。
この曲もYoutubeにあった。

Principessa Maria Pia di Savoia ninna nanna G Manente


この曲はハバネラ風の穏やかな曲だ。
「ピエモンテ皇子」という曲は、実在したピエモンテ皇子のために作曲されたと思われる。

またマネンテは、ピエモンテ皇子とベルギー王の娘との結婚式を祝って、祝典行進曲「恵まれた結婚」という曲も作曲しているが、この曲は演奏機会が多いようだ。
あと有名なのは「華燭の祭典」。
この曲は学生時代に弾いたが、ギターパートはかなり技量を要した。
因みに曲はマンドリンオリジナル曲ではなく、吹奏楽曲を中野二郎が編曲したと言われている。



ピエモンテ皇子のギターパートは結構気に入っていた。
とくに下記の部分は卒業してからも、今でも忘れたことはなく、弾くことができる。





ピエモンテ皇子のメロディを思い出していたら、小学校5年生の時の下校時だったか、1年生の教室掃除のときに流れていた、あの口笛の曲、何ていう曲か思いだせないが、楽しく、「さあ、やるぞ」という気持ちが湧いてくるような曲も浮かんできた。
この曲、何ていう曲なのだろう。もう長い間、聴くことも無い。
あの頃はとても楽しかった。
教室の壁の上の窓枠によじ登って、その小さな窓をぞうきんで拭き掃除した思い出が蘇ってくる。

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久しぶりのりんご

2019-11-08 22:48:08 | グルメ
久しぶりにりんごを食べた。
先日、今借りている家の管理人さんから電話があり、更新の手続きの説明をしたいので事務所に来てくれと電話があった。
今借りている家、と言ってもとても粗末で質素で古くて傾いている家なのだが、3年くらい前から住み始めた。
周りが静かなので気に入っている。
こういう粗末で質素な家の方が落ち着く。
旅先の宿も自然にこういう造りの宿を探す。

管理人さんとは今まで電話で話したことがあったが、面と向かってちゃんと話したのは今回が初めてだった。
70代半ばだが、一人で経営しているという。
事務所で1時間ちょっと世間話をした。
電話で話した時には、愛想のあまりよくないぶっきらぼうな人だな、という印象だったが、対面してみるとかなり違っていた。
案外、飾らない人の方が話を出来る。

帰り際に、庭で採れたんだけど、持っていって、と言って、柿とりんごを渡してくれた。



こういうのって、今までにも何度かあった。
今の住居の前に住んでいた団地の民間の駐車場、1か月の賃料が4千円もしなかったが、ある時その駐車場の貸主に駐車場代を払いに行った時の帰り際、これ、うちで採れたんだけど持っていって、と言われてねぎの束を渡してくれたことがあった。
あとは、以前毎週金曜日に所用で出かけた帰りに立ち寄った、小さな、小汚い料理屋、だけどメニューが家庭的でとてもおいしかった、その店のおかみさんから、毎回必ず、食べて、といわれて小鉢を出してくれた。
もっと昔、学生時代に独り暮らしをしていた時、通っていた粗末な小汚いけど、庶民的なとてもおいしい食堂のおかみさんが、勘定済ませた後に、ちょっと待って、と言って、筋子入りのおにぎりを握ってくれて渡してくれたことがあった。
数年前に、この食堂を訪れたが廃業していた。

なんかこういうのって、嬉しい。
こういうことの体験は忘れない。
だけど逆に自分がこういうことをやろうとしても出来ないし、今までも殆どした記憶が無い。
昔から何気なく人に何か物を気兼ねなく、自然な気持ちから与えることが出来なかった。
人間嫌いなのか。

だんだん寒くなってきた。
でもこれからが自分の季節だ。
太陽の光が穏やかで、角度の低い、黄色がかった感じが好きだ。

昔、こういう季節の中で何か美しいものを求めて写真撮影に出かけていたことがあった。
やらなくなってもう20年近く経つが、2か月ほど前、プロが使うような中古のデジタルカメラを格安中古で手に入れたので、また撮影を再開しようとしている。
いい写真が出来たら記事に載せようと思う。
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A.ラウロ作曲 「ワルツ・クリオロ」を聴く

2019-11-04 20:50:09 | ギター
皮肉にも親との思い出って、親が死んでから出てくるものだ。
死んだ直後はそうでもなかったが、何か月かたってからそういう心境になってきた。
まあ人によって親に対する気持ちは様々何だろうけど。

私は18から親元を離れたので、思い出は共に暮らしていた高校3年生までが多い。
18歳で大学近くで一人暮らしをすることになった時、自分で持っていった荷物といったら、ギター1台、布団、楽譜数枚、あと大学の教科書数冊だった。
引越しの時に両親が来てくれたのだが、その時に何と、14型のカラーテレビと、折り畳みの小さな、それは粗末な造りではあったがテーブル、そして湯沸かしの電気ポットとアルミ製の急須を買ってくれた。
このテレビでタイガーマスクやGメン75の再放送を見たものだ。
あとは、たまに世界まるごとHOW MATCHとかいうクイズ番組だったかな。
夜中にGメン75を見るのが楽しみだった。
けっこう怖い脚本もあった。
池田精一という脚本家が書いたものが怖かったな(名前間違っているかもしれないけど、今この名前がとにかくも記憶に蘇ってきた。よく思い出したものだ)。
若林豪とか藤木悠(字が合っているかな)とか夏木マリとか、あと丹波哲郎か。
今こういう俳優いない。

【追記】
このカラーテレビ、チャンネルを手回しのレバーで合わせ、室内アンテナが附属でついたタイプでまさに昭和の時代のテレビ。
社会人になってからも5、6年は使ったが、その後リモコン式の14型に買い換えた。
しかしこの大学の時に買ってもらったテレビは今から3年前に引越しするまでずっと取っておいた。
何故か捨てるのが勿体なかった。


独り暮らしを始めた当初はさみしくてさみしくて、手提げ袋に洗濯物をいっぱい詰め込んで、けっこう頻繁に実家に帰ったものだった。
土曜の夕方に帰って、日曜の夜に戻るというパターン。
帰ってきたら意外にも親は喜んでくれた。
いつか親父の仕事で使っている手帳をたまたま開いて見たことがあったのだが、〇〇(私の名前)、帰樽なんて書いてあって、意外に感じた。

実家まで片道2時間半だったから、実家から通おうと思えば通えてのだが、最初の3か月で電車通学が辛くなってしまったのと、親元を離れてもっと時間を有効に使いたいという気持ちの方が強かった。

丁度この頃買ったジョン・ウィリアムスのLPレコード、さくら変奏曲の入ったやつをカセットテープに録音したのだが、再生するものが無いので、父にラジカセを買ってくれないかと頼んだことがあった。
まだアルバイトをする前だったから親に頼るしかなかったんだけど、ともかく買ってくれた。
ナショナルの「アンビエンス」という名前のラジカセだった。
立派なものでなかったが、とにかくラジカセが無いと音楽が聴けなかったから、これは嬉しかった。
そしてこのアンビエンスでジョン・ウィリアムスのレコードから録音したカセットを聴いてみたのだが、なんかこのアンビエンスの音がビヨーンと歪んで聴こえてくるのである。
それはこのレコードのラウロ作曲「ワルツ・クリオロ」の演奏で顕著だった。
何回再生しても歪んで聴こえるので、父に頼んで店に言って取り替えられないか、と頼んだんですね。
すると父は意外にも嫌な顔一つせずに店に行って、別のアンビエンスに取り替えてきてもらって、音を試してみて、と言ってくれた。
わずかばかり良くなったような、変わらないような気もしたが、この交換したアンビエンスで社会人になって東京に出てきてからもよくカセットを聴いたものだった。

このジョン・ウィリアムスの「ワルツ・クリオロ」、アンビエンスで何回聴いたか分からない。
1974年の録音だが、この曲の最高の演奏だ。
楽器はフレタだが、キレのある素晴らしい音だし、この頃のジョンの演奏が最高だった。
素朴でいい曲だ。大学1年生の時によく弾いた。

Youtubeでこの録音が見つかったが、音がオリジナルに対して悪くなってしまっている。
しかし音加工がなされていないのが幸いだ。
名演なのに再生回数が少ないのは、今当たり前となった電気処理がされていないからか。
電気処理された音になじんでしまうと、本当のギターの良い音が分からなくなってしまうのではないか。

John Williams: Vals Criollo (Antonio Lauro)


アリリオ・ディアス編の楽譜。
なんかしみがついている。

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