緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

A.ラウロ作曲 「ワルツ・クリオロ」を聴く

2019-11-04 20:50:09 | ギター
皮肉にも親との思い出って、親が死んでから出てくるものだ。
死んだ直後はそうでもなかったが、何か月かたってからそういう心境になってきた。
まあ人によって親に対する気持ちは様々何だろうけど。

私は18から親元を離れたので、思い出は共に暮らしていた高校3年生までが多い。
18歳で大学近くで一人暮らしをすることになった時、自分で持っていった荷物といったら、ギター1台、布団、楽譜数枚、あと大学の教科書数冊だった。
引越しの時に両親が来てくれたのだが、その時に何と、14型のカラーテレビと、折り畳みの小さな、それは粗末な造りではあったがテーブル、そして湯沸かしの電気ポットとアルミ製の急須を買ってくれた。
このテレビでタイガーマスクやGメン75の再放送を見たものだ。
あとは、たまに世界まるごとHOW MATCHとかいうクイズ番組だったかな。
夜中にGメン75を見るのが楽しみだった。
けっこう怖い脚本もあった。
池田精一という脚本家が書いたものが怖かったな(名前間違っているかもしれないけど、今この名前がとにかくも記憶に蘇ってきた。よく思い出したものだ)。
若林豪とか藤木悠(字が合っているかな)とか夏木マリとか、あと丹波哲郎か。
今こういう俳優いない。

【追記】
このカラーテレビ、チャンネルを手回しのレバーで合わせ、室内アンテナが附属でついたタイプでまさに昭和の時代のテレビ。
社会人になってからも5、6年は使ったが、その後リモコン式の14型に買い換えた。
しかしこの大学の時に買ってもらったテレビは今から3年前に引越しするまでずっと取っておいた。
何故か捨てるのが勿体なかった。


独り暮らしを始めた当初はさみしくてさみしくて、手提げ袋に洗濯物をいっぱい詰め込んで、けっこう頻繁に実家に帰ったものだった。
土曜の夕方に帰って、日曜の夜に戻るというパターン。
帰ってきたら意外にも親は喜んでくれた。
いつか親父の仕事で使っている手帳をたまたま開いて見たことがあったのだが、〇〇(私の名前)、帰樽なんて書いてあって、意外に感じた。

実家まで片道2時間半だったから、実家から通おうと思えば通えてのだが、最初の3か月で電車通学が辛くなってしまったのと、親元を離れてもっと時間を有効に使いたいという気持ちの方が強かった。

丁度この頃買ったジョン・ウィリアムスのLPレコード、さくら変奏曲の入ったやつをカセットテープに録音したのだが、再生するものが無いので、父にラジカセを買ってくれないかと頼んだことがあった。
まだアルバイトをする前だったから親に頼るしかなかったんだけど、ともかく買ってくれた。
ナショナルの「アンビエンス」という名前のラジカセだった。
立派なものでなかったが、とにかくラジカセが無いと音楽が聴けなかったから、これは嬉しかった。
そしてこのアンビエンスでジョン・ウィリアムスのレコードから録音したカセットを聴いてみたのだが、なんかこのアンビエンスの音がビヨーンと歪んで聴こえてくるのである。
それはこのレコードのラウロ作曲「ワルツ・クリオロ」の演奏で顕著だった。
何回再生しても歪んで聴こえるので、父に頼んで店に言って取り替えられないか、と頼んだんですね。
すると父は意外にも嫌な顔一つせずに店に行って、別のアンビエンスに取り替えてきてもらって、音を試してみて、と言ってくれた。
わずかばかり良くなったような、変わらないような気もしたが、この交換したアンビエンスで社会人になって東京に出てきてからもよくカセットを聴いたものだった。

このジョン・ウィリアムスの「ワルツ・クリオロ」、アンビエンスで何回聴いたか分からない。
1974年の録音だが、この曲の最高の演奏だ。
楽器はフレタだが、キレのある素晴らしい音だし、この頃のジョンの演奏が最高だった。
素朴でいい曲だ。大学1年生の時によく弾いた。

Youtubeでこの録音が見つかったが、音がオリジナルに対して悪くなってしまっている。
しかし音加工がなされていないのが幸いだ。
名演なのに再生回数が少ないのは、今当たり前となった電気処理がされていないからか。
電気処理された音になじんでしまうと、本当のギターの良い音が分からなくなってしまうのではないか。

John Williams: Vals Criollo (Antonio Lauro)


アリリオ・ディアス編の楽譜。
なんかしみがついている。

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