緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ペーター・レーゼルのピアノコンサートを聴きに行く

2014-11-09 01:14:09 | ピアノ
秋も次第に深まりつつある。今日はあいにく雨交じりの寒い1日であった。
先日のブログ「星空のコンチェルトを聴く」で、ペーター・レーゼルのピアノコンサートが開かれることを書いたが、幸いにも土曜日開催で仕事も入らなかったので、聴きに行くことにした。
前日にネットで検索すると、前売り券は全て完売であった。ホールのホームページをみても当日券についての説明が一切無かったので、もしかして駄目かもしれないと思ったが、今日朝電話してみると、当日券は開演1時間前から販売するとのこと。にわかに嬉しくなった。
ホールは四ツ谷の紀尾井ホールであった。
1時半過ぎにJR四ツ谷駅に到着したが、駅前に地図が無く、少し迷ってしまった。
少し離れた交番前に地図を発見。意外にも静かな通りの端にホールがあることが分かった。
この通りはソフィア通りといったが、上智大学のキャンパスが立ち並ぶ小さな道だ。
紀尾井ホールはこの上智大学の隣にあった。意外に入口は狭く、正面玄関はホールという感じはしない。
2時少し前に着き、当日券を購入。A席(4,000円)で1階席後ろから3番目の端を選ぶ。
800人収容のホールであるが意外に小さなホールだ。昔御茶ノ水にあったカザルス・ホールと同じくらいの広さ、座席の配置を思わせた。
開演まで1時間近くあるので、付近を散策したが、ソフィア通りの片側が小高い丘になっており、遊歩道になっていた。谷間に野球やラグビー場がある。大都会の真ん中にちょっとした緑のあるオアシスを感じさせる。
上智大学のキャンパスにも入ってみた。上智大学がミッション系の大学であることがこの時初めて分かった。
しかし洗練された綺麗なキャンパスだ。古い赤レンガの校舎もある。私の出た大学のような、地方の田舎の土くさい雰囲気とは雲泥の差だ。
学生もいかにも都会の学生という感じ。私が学生だったころよりもはるかにおしゃれだ。私が当時大学の近くに住んでいたころは、通学時、冬は雪深いところを通らなければならず、ゴム長靴を履いて登校したものだ。
前置きが長くなったが、私がペーター・レーゼル(1945~)の演奏に初めて出会ったのは、1年半ほど前にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の聴き比べをしていた頃で、全く聞いたことのない旧東ドイツ出身のピアニストであったが、その録音を聴いて、地味で堅実であるが、なぜかそれだけに終わることはなく、何か惹き込まれるものを感じたものである。決して華やかな演奏はしないが、曲の細部にわたってきちんとした技巧、また解釈をする職人的な音楽家の印象を持った。



それ以来、ペーター・レーゼルのCDをこれまでの間少しづつ集めてきた。東ドイツ時代の若い頃の録音が多いが、円熟期にライブ録音で全曲演奏されたベートーヴェンのピアノソナタは素晴らしいものだ。



このベートーヴェンのピアノソナタのライブ録音のCDは中古市場でも値段が高く、またあまり出回らないので、少しづつ買い集めているのが現状だ。
さて、今日のプログラムは下記のとおり。

・ブラームス 3つの間奏曲 Op.117
・シューマン フモレスケ変ロ長調 Op.20
.シューベルト ピアノソナタ第20番イ長調 D959

開演時間となり何の前触れもなく突然レーゼルが現れたが、すぐに弾き出したので少し戸惑った。
第1曲目のブラームスの3つの間奏曲であるが、初めて聴く曲だ。簡素な曲であるが美しい。
驚いたのはレーゼルの低音である。実に深く重厚で伸びがあり、まるでパイプオルガンの低音の響きを聴いているように感じたのである。
この低音の魅力は最後のアンコールまで感じることができた。録音でもこのような魅力ある低音を出せる演奏は聴いたことは極めて少ない。強いてあげれば、マリヤ・グリンベルクとクラウディオ・アラウくらいであろう。
ペーター・レーゼルの本当の実力と魅力を味わうためには、絶対にライブ演奏を聴かないと無理であると言い切れる。今日のライブ演奏を聴くと、CDなどの録音では、奏者の本当の魅力を感じることが著しく制限されることを痛感する。
その魅力は低音だけではない、高音も凄く柔らかく透明で美しいのだ。ライブ演奏でこんな美しい高音を出せる現役のトップピアニストがいるだろうか。そう、レーゼルは現役のピアニストで間違いなくトップ・アーチストである。
シューマンの フモレスケ変ロ長調はロマン派の最たるものを感じさせる曲であったが、長い曲である。このような曲はともすれば緊張感を失いかねないが、レーゼルは最後まで緊張感を途切れさせることなく、多彩な表現で完璧とも言える技巧で弾き終えた。
この曲が終わった後で、拍手がかなり長いこと続いたが、レーゼルの演奏に感動した聴衆が多くいたことを感じた。
ここで20分間の休憩に入ったが、ロビーのようなところは意外に狭かった。2階席に行ってみたが、その座席の位置によっては1階席よりも演奏者の手の動きや表情を見やすいと思った。
さて今日のプログラムの最後の曲、シューベルトのピアノソナタ第20番であるが、演奏時間の長い大曲である。
シューベルトが若くして世を去った年に作曲された3つのソナタのうちの1つであり、ピアノコンサートでもよく取り上げられる名曲である。
ベートーヴェンの最後のピアノソナタである第31番や、32番と同様に作曲者の意図する表現を最高度に表現することが極めて難しい、究極のピアノ曲の1つである。
レーゼルの演奏解釈は自然に逆らうことなく、あくまでも自然体、作者の心情の流れのままに表現したものだ。
レーゼルは誇張や、特異性といったものには無縁の演奏家である。
曲が求める部分では相当強いタッチ、強い音を出すが、極めて自然な表現である。意図的な、やたら鍵盤を強く打ち付けるような誇張は全く見られない。
それは技巧を要する箇所も合わせて聴けばすぐに分かる。難しい技巧を要する部分も体や腕を大きく動かすことなく、脱力した状態で音が自然に流れていくのである。
レーゼルという音楽家は野心的な気持ちが無いのであろう。奏者に野心的な気持ちがあると、音に力みが出たり、音楽の流れが不自然に聴こえる時がある。
第4楽章が圧巻であった。素晴らしいの一言。何度も鳥肌が立った。ライブ演奏でこんなに素晴らしい演奏は今後聴くことも殆ど無いであろう。

全てのプログラムが終了後、大きな拍手が長いこと鳴りやむことは無かった。70近い高齢であるが、疲れは殆ど見せず、観客への感謝の気持ちとしてアンコールを3曲弾いてくれた。曲目は下記。

・シューベルト 即興曲Op.90より第3番
・ブラームス ワルツOp.39より第15番
・シューマン 子供の情景よりトロイメライ

いずれも誰でもが親しみ持つ小品であったが、ここでも力みや誇張が無い、繊細さや、低音から高音まで音の多彩な魅力を聴かせてくれた。
演奏終了後、ロビーで買ったCD(ベートーヴェン・ピアノソナタ集第8巻)にサインをしてもらった。
サインをしてくれた時に返してくれた笑顔が実に良かった。
レーゼルは先に述べたように野心や自分の売り込みとは無縁で、謙虚な演奏家であることをこの時あらためて感じた。
音楽の素晴らしさををただそのままに表現し、聴衆と分かち合うことのみに全力を注ぐタイプの演奏家だと思った。
演奏者の生き方、人格が演奏に現れるというが、今日の演奏を聴いてレーゼルという人が、人間的にも素晴らしい方であることを直感することができた。

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