緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ペーター・レーゼルのピアノコンサートを聴きに行く

2014-11-09 01:14:09 | ピアノ
秋も次第に深まりつつある。今日はあいにく雨交じりの寒い1日であった。
先日のブログ「星空のコンチェルトを聴く」で、ペーター・レーゼルのピアノコンサートが開かれることを書いたが、幸いにも土曜日開催で仕事も入らなかったので、聴きに行くことにした。
前日にネットで検索すると、前売り券は全て完売であった。ホールのホームページをみても当日券についての説明が一切無かったので、もしかして駄目かもしれないと思ったが、今日朝電話してみると、当日券は開演1時間前から販売するとのこと。にわかに嬉しくなった。
ホールは四ツ谷の紀尾井ホールであった。
1時半過ぎにJR四ツ谷駅に到着したが、駅前に地図が無く、少し迷ってしまった。
少し離れた交番前に地図を発見。意外にも静かな通りの端にホールがあることが分かった。
この通りはソフィア通りといったが、上智大学のキャンパスが立ち並ぶ小さな道だ。
紀尾井ホールはこの上智大学の隣にあった。意外に入口は狭く、正面玄関はホールという感じはしない。
2時少し前に着き、当日券を購入。A席(4,000円)で1階席後ろから3番目の端を選ぶ。
800人収容のホールであるが意外に小さなホールだ。昔御茶ノ水にあったカザルス・ホールと同じくらいの広さ、座席の配置を思わせた。
開演まで1時間近くあるので、付近を散策したが、ソフィア通りの片側が小高い丘になっており、遊歩道になっていた。谷間に野球やラグビー場がある。大都会の真ん中にちょっとした緑のあるオアシスを感じさせる。
上智大学のキャンパスにも入ってみた。上智大学がミッション系の大学であることがこの時初めて分かった。
しかし洗練された綺麗なキャンパスだ。古い赤レンガの校舎もある。私の出た大学のような、地方の田舎の土くさい雰囲気とは雲泥の差だ。
学生もいかにも都会の学生という感じ。私が学生だったころよりもはるかにおしゃれだ。私が当時大学の近くに住んでいたころは、通学時、冬は雪深いところを通らなければならず、ゴム長靴を履いて登校したものだ。
前置きが長くなったが、私がペーター・レーゼル(1945~)の演奏に初めて出会ったのは、1年半ほど前にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の聴き比べをしていた頃で、全く聞いたことのない旧東ドイツ出身のピアニストであったが、その録音を聴いて、地味で堅実であるが、なぜかそれだけに終わることはなく、何か惹き込まれるものを感じたものである。決して華やかな演奏はしないが、曲の細部にわたってきちんとした技巧、また解釈をする職人的な音楽家の印象を持った。



それ以来、ペーター・レーゼルのCDをこれまでの間少しづつ集めてきた。東ドイツ時代の若い頃の録音が多いが、円熟期にライブ録音で全曲演奏されたベートーヴェンのピアノソナタは素晴らしいものだ。



このベートーヴェンのピアノソナタのライブ録音のCDは中古市場でも値段が高く、またあまり出回らないので、少しづつ買い集めているのが現状だ。
さて、今日のプログラムは下記のとおり。

・ブラームス 3つの間奏曲 Op.117
・シューマン フモレスケ変ロ長調 Op.20
.シューベルト ピアノソナタ第20番イ長調 D959

開演時間となり何の前触れもなく突然レーゼルが現れたが、すぐに弾き出したので少し戸惑った。
第1曲目のブラームスの3つの間奏曲であるが、初めて聴く曲だ。簡素な曲であるが美しい。
驚いたのはレーゼルの低音である。実に深く重厚で伸びがあり、まるでパイプオルガンの低音の響きを聴いているように感じたのである。
この低音の魅力は最後のアンコールまで感じることができた。録音でもこのような魅力ある低音を出せる演奏は聴いたことは極めて少ない。強いてあげれば、マリヤ・グリンベルクとクラウディオ・アラウくらいであろう。
ペーター・レーゼルの本当の実力と魅力を味わうためには、絶対にライブ演奏を聴かないと無理であると言い切れる。今日のライブ演奏を聴くと、CDなどの録音では、奏者の本当の魅力を感じることが著しく制限されることを痛感する。
その魅力は低音だけではない、高音も凄く柔らかく透明で美しいのだ。ライブ演奏でこんな美しい高音を出せる現役のトップピアニストがいるだろうか。そう、レーゼルは現役のピアニストで間違いなくトップ・アーチストである。
シューマンの フモレスケ変ロ長調はロマン派の最たるものを感じさせる曲であったが、長い曲である。このような曲はともすれば緊張感を失いかねないが、レーゼルは最後まで緊張感を途切れさせることなく、多彩な表現で完璧とも言える技巧で弾き終えた。
この曲が終わった後で、拍手がかなり長いこと続いたが、レーゼルの演奏に感動した聴衆が多くいたことを感じた。
ここで20分間の休憩に入ったが、ロビーのようなところは意外に狭かった。2階席に行ってみたが、その座席の位置によっては1階席よりも演奏者の手の動きや表情を見やすいと思った。
さて今日のプログラムの最後の曲、シューベルトのピアノソナタ第20番であるが、演奏時間の長い大曲である。
シューベルトが若くして世を去った年に作曲された3つのソナタのうちの1つであり、ピアノコンサートでもよく取り上げられる名曲である。
ベートーヴェンの最後のピアノソナタである第31番や、32番と同様に作曲者の意図する表現を最高度に表現することが極めて難しい、究極のピアノ曲の1つである。
レーゼルの演奏解釈は自然に逆らうことなく、あくまでも自然体、作者の心情の流れのままに表現したものだ。
レーゼルは誇張や、特異性といったものには無縁の演奏家である。
曲が求める部分では相当強いタッチ、強い音を出すが、極めて自然な表現である。意図的な、やたら鍵盤を強く打ち付けるような誇張は全く見られない。
それは技巧を要する箇所も合わせて聴けばすぐに分かる。難しい技巧を要する部分も体や腕を大きく動かすことなく、脱力した状態で音が自然に流れていくのである。
レーゼルという音楽家は野心的な気持ちが無いのであろう。奏者に野心的な気持ちがあると、音に力みが出たり、音楽の流れが不自然に聴こえる時がある。
第4楽章が圧巻であった。素晴らしいの一言。何度も鳥肌が立った。ライブ演奏でこんなに素晴らしい演奏は今後聴くことも殆ど無いであろう。

全てのプログラムが終了後、大きな拍手が長いこと鳴りやむことは無かった。70近い高齢であるが、疲れは殆ど見せず、観客への感謝の気持ちとしてアンコールを3曲弾いてくれた。曲目は下記。

・シューベルト 即興曲Op.90より第3番
・ブラームス ワルツOp.39より第15番
・シューマン 子供の情景よりトロイメライ

いずれも誰でもが親しみ持つ小品であったが、ここでも力みや誇張が無い、繊細さや、低音から高音まで音の多彩な魅力を聴かせてくれた。
演奏終了後、ロビーで買ったCD(ベートーヴェン・ピアノソナタ集第8巻)にサインをしてもらった。
サインをしてくれた時に返してくれた笑顔が実に良かった。
レーゼルは先に述べたように野心や自分の売り込みとは無縁で、謙虚な演奏家であることをこの時あらためて感じた。
音楽の素晴らしさををただそのままに表現し、聴衆と分かち合うことのみに全力を注ぐタイプの演奏家だと思った。
演奏者の生き方、人格が演奏に現れるというが、今日の演奏を聴いてレーゼルという人が、人間的にも素晴らしい方であることを直感することができた。

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戸井田まこと作曲「Remembranza(リメンブランツァ)」を聴く

2014-11-03 21:52:00 | マンドリン合奏
今日は三連休の最終日。今回の連休は久しぶりに仕事に出かけることなく、体を休めることが出来た。
今日先日紹介した、藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」がどうしても弾きたくなった。
以前、この曲を大学のマンドリン・オーケストラの記念行事で演奏するから来ないかと、同期生のM君からもらったメールに、確かこの曲の楽譜を掲載したリンクが貼り付けられていたのを思い出した。
M君のメールには、私なら弾きたくなるだろうからと、演奏会に参加できないかもしれないけど、特別に楽譜の閲覧を許可してくれたのだ。
しかし私はそのメールを受け取った丁度その頃、物凄く忙しい時期で約3か月の間全く休み無しだったのだ。2008年の頃だ。
ギターを弾く時間もとれず、結局楽譜を閲覧することなく時は過ぎた。
今日、このことを思い出し、過去メールを検索してM君から来たメールを探し当てたが、貼り付けられていたリンクをクリックしても、アクセスできなくなっていた。M君の好意を無駄にしてしまった。
落胆したがしょうがないことだ。考えてみると、今までの人生の中でもこのようなちょっとした、ささやかでも幸せにつながりかねないチャンスを逃してしまったことがたくさんあった。自分はつくづく不器用な生き方をしてきたと思う。
M君のメールを6年ぶりに読み返してみた。
全部5件来ていたが、その中でM君の思い出に残る好きな曲として、戸井田まこと氏の「リメンブランツァ」があげられていた。
私は残念なことにこの曲を演奏する機会がなかったが、在学中から素晴らしい曲だと教えられていた。部分的に演奏を聴かせてくれたこともあった。そしてずっとこの曲のことが気になっていた。
そして今日、この曲のライブ演奏の録画をYoutubeで見つけることができた。
2014年9月30日に公開されたから、つい最近のことだ。それまではYoutubeでも聴くことは出来なかっただろう。
戸井田まこと氏は、青山学院大学のマンドリン・オーケストラの指揮者として活躍し、卒業後も母校のために曲を作曲し続けたようだ。
「Remembranza~The Passage of Time 」と題するこの曲の全曲を今日初めて聴いた。
素晴らしい曲だった。
作曲は恐らく1970年代だと思われるが、まさに1970年代のことが蘇ってくる。日本が今までで最も情熱的で、情緒や感性に満ちていた時代である。私の人生の中でも最も楽しかった時代。
素晴らしい感性を持った曲だ。是非聴いて欲しい。とくに今の若い世代の人に是非聴いて欲しい。
藤掛廣幸氏にしても戸井田まこと氏にしても、当時10代後半から20代前半の繊細な気持ちや情熱に満ちていたあの頃の自分に、一生記憶から消し去ることのできない贈り物をしてくれたのだ。

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2014弦楽器フェアに行く

2014-11-03 01:26:50 | ギター
今日朝起きたら快晴だったが、午後は今にも雨が降りそうな気配。しかし11月にしては暖かい1日であった。
東京科学技術館で開催されている、2014弦楽器フェアに行ってきた。
弦楽器フェア(昔は確か手工弦楽器展と言ったと思う)も1990年代初めから行き始めたので、かれこれ20数年にもなる。
20数年の間に展示される楽器もかなり変わった。現在も継続して展示しているのは、桜井正毅氏、今井勇一氏くらいか。昔は、斉藤講堂氏、荒井勝巳氏、佐藤眞比古氏、山下昭彦氏などの個性的な楽器も弾くことができたが、今は展示されなくなった。
20数年間の間で展示された楽器で印象に残っている楽器と言えば、1990年代前半の松井邦義氏、1990年代半ばの尾野薫氏の最初の展示楽器、1990年代半ばの山下昭彦氏であろうか。
松井氏の楽器は少し小ぶりであるが音量があり、単音、和音ともにバランスがあり、とにかく弾きやすく思うように表現できたのが良かった。
尾野薫氏の楽器は音にとても色彩感があり、多彩な表現が出来る楽器だった。今までにない個性的な楽器だと思った。尾野氏はこの時の展示会で高い評価を受け、その後注目されるようになったと思う。アンケートでも高く評価する意見を書いている方を見たことがある。
山下氏の楽器はとにかく手作り感の強い楽器であった。音の全てを材料から引き出すことを求めているのではないかと思うほどの楽器らしい楽器。弦の張りは強く弾きにくかったが、音に独特の芯があった。
さて今日は昼の12時くらいに会場に着いたのだが、すぐにマンドリンの試奏コンサートがあるのでこれを聴くことにした。マンドリンとギターのデュオであったが、意外にマンドリンとギターの相性はいい。
昨年惜しくも亡くなった稲垣稔氏もご夫人がマンドリン奏者であり二重奏もやっていたようだ。7、8年前の弦楽器フェアでお二人を見かけたことがある。
私はマンドリンは全然弾けないが、展示品のマンドリンを少しだけ弾いてみた。鈴木静一の「交響譚詩 火の山」の一節を弾く。
マンドリン・コンサートが終わったあとすぐにギターの試奏コンサートだったのだが、すごい行列を作って観客が待っていたので断念し、1時間後の2回目の演奏で聴くことにした。
そこでクロサワ楽器のブースへ行き、超高級ギターである、ハウザー、フレタ、スモールマン、ベルナベを弾かせてもらった。
フレタは今日かぎりの特別価格とのことであったが、この楽器としては驚くほどの価格であった。買った人はいるのだろうか。1969年製で、音はフレタにしては思ったより軽めであったが、立ち上がりが早くフレタらしい分離の明確な音であった。
ハウザーはカトリン(Ⅳ世)とⅢ世を弾かせてもらったが、意外に楽器の重量は軽く、音も想像以上に軽い。昔(1980年代始め)のハウザーはもっと音が重かった。音の立ち上がりが悪く、コンサートでは使いにくい楽器ではないか。
スモールマンは去年も弾かせてもらったが、まず楽器の重量がとてつもなく重い。そして驚いたのは指板の表面板と接する箇所(15Fくらいのところ)に直径5ミリくらいの穴が開いており、この穴から工具を差し込んで、ネックに角度を変えられるそうである。さらに驚いたのはネックと胴体が分離できる構造だそうだ。ネックと胴体の接する部分にわずかではあるが隙間があった。
肝心の音であるが、やたらエコーのかかった無機質の音。音量があり、立ち上がりも早いから弾いていて爽快感を感じるが、6弦は太鼓の音のようにボンとなってすぐに減衰し、高音は少しタッチを強くするとピシャンと弦が跳ねてしまう。ハイ・ポジションの音は全然魅力がない。このギターはタッチが弱い人が全てアルアイレで弾くのに向いていると感じた。
この海外製ギターの試奏に気を取られて、2時からのコンサートのことをすっかり忘れてしまった。気が付いた時にはコンサートが終っていた。なので今回はホールでの音の出来を鑑賞することが出来なかった。
さて本題の展示楽器の感想であるが、コンサートを聴き逃したこともあるので、最も印象に残った楽器を1つだけ選び、感想を述べさせて頂くことにしたい。
最も印象に残ったのは井内耕二氏の楽器である。去年に続いての出品であったが、今年の楽器は格段に進歩していた。去年の楽器は、低音の伸びが進化していたが、高音の9F以上の抜けが今一つで、またポジションによる音のムラも多少あった。
今年の楽器とは言うと、低音は去年よりも更に伸びと力強さが加わり、高音は13F以上のハイポジションもとても良く鳴っていたことである。高音はさらに透明感もあった。ポジションによる音のムラも完全ではないにしても去年よりは改善されていた。
曲を弾いてみてもノリが良く、気分のいい演奏ができた。
井内氏の楽器を初めて弾いたのは恵比寿のシャコンヌで2006年製を弾かせてもらった時であったが、その時の楽器は6弦開放が太鼓の音のように伸びが無く、高音の鳴りもまだまだであった。
当時はアマチュアからプロに転向したばかりの頃だったからだと思うが、8年間でこれだけの進歩は凄いと思う。
ギターのような手工楽器の品質を個体差なく、毎年維持または向上させていくことは至難だと思う。これを可能にしているのは、このフェアで出品している製作家の中では桜井正毅、今井勇一、横尾俊佑の3氏である。
なお今回、幻の製作家として楽器通の間では知られた、中山修氏のバンブー・ギター(竹製のギター)が出品されていた。
中山修氏はホセ・ラミレスⅢ世の工房で修業した唯一の日本人製作家兼演奏家と言われていたが、楽器製作家としてスタートした矢先に不慮の交通事故で体が麻痺してしまい、断腸の思いで製作を断念した不運な経歴を持つ方だ。
しかし製作をあきらめることができず、加工しやすいバンブー製の楽器を開発したとのことである。
今日初めてこのギターを弾いてみたが、意外に音量があった。低音は音の伸びも普通の楽器と比べて遜色無いと感じたが、高音はやや音の鳴りが抑え気味であった。竹製であるが見栄えは悪いどころか、白い綺麗な木目であった。

たった数分の試奏で楽器の良し悪しを完全に判定などできるものではなく、本当の楽器の価値は実際に所有して数年間弾き込んでみて初めて分かるものだと思う。
私は何本か楽器を持っているが、これまでの経験では、いい材料を使っている楽器、それも伝統的な工法で製作している楽器は弾き込むにつれて音は確実に良くなっていくことである。
昔、国産の中級ギターを長く弾いていた時には弾き込んでも良くなることは無かった。だから弾き込みによる音の進化には懐疑的であったが、収入も上がりそれなりの楽器を持てるようになってからは考え方が変わった。

エス・アイ・イーのブースでタイ製の頑丈なギター・ケースを見せてもらった。社員にいろいろ説明して頂いたが、最近出回るようになったとのこと。ただ、まだ1本しか入荷していないのと、基本的に注文製作なので値段はかなり高い(10万円以上)とのことだ。素材は頑丈で試しにケースの上に乗せてもらったが、全然たわまない。しかし重量は軽い。もしかするとBAMよりも優れているかもしれない。

科学技術館を出て武道館に向かうと殆どが女性だけの大軍が九段下の駅の改札口から押し寄せていた。これほどの人数の女性の大軍に出くわしたことは今だかつてない。TOKIOというグループのコンサートがあったようだ。

帰りは神保町に寄り、古本まつりを見て回った。宮崎丈二の詩集を1冊購入し帰路についた。


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新聞を読んで思うこと(3)

2014-11-01 21:11:59 | 時事
三連休の初日はあいにくの雨である。今日は家に工事屋が来ることもあり、外出せずのんびり家で過ごすことにした。
今日の朝刊の一面を見たら、「日銀が追加緩和」という見出しが目に入った。
なんでも景気のテコ入れを図るために、市場に流し込むお金の量を増やすという。具体的には長期国債の買い入れを年30兆円も増やすというのだ。
安倍政権が誕生して直後に今だかつてない規模の金融緩和を行なって落ち込む景気を回復させようとした。いわゆるアベノミクスの第一の矢である。しかし1年半経過し、思ったほどの成果が出ず、景気が鈍っている、あるいは足踏み状態と言えるのが実感だ。
お金を市場にたくさん投入すれば金利も下がり、企業が設備投資しやすくなったり、庶民が財布の紐を緩めて個人消費を増やしてくれることを期待しているようだ。
しかしこんな場当たり的な対象療法で景気が良くなるのだろうか。このような政策は、高熱の時に飲む熱さましや、歯が痛くて我慢できない時に飲む痛み止めのようなものだ。
つまり根本的に経済を活性化するものではないから、一時的に症状を和らげる、あるいは症状改善のきっかけづくりの効き目しかないのである。
今日のこの記事を読んだ時、数週間前に読んだ読者の投稿を思い出した。
この投稿によると、日銀が短期国債の買い入れで一部銘柄をマイナス金利で買い入れているというのだ。
普通金利はプラスなので満期になれば利子付でお金が戻ってくるが、マイナス金利だと元本割れだ。
日銀が損をしてまでここまで踏み切っているのは、よほどのリスクを覚悟でやっているということであろう。
投稿した方は、「日銀がお金を市場にじゃぶじゃぶあふれさせる金融緩和を自ら損をしてまで行っている」とまで言っていた。
今回、長期国債の大量買入れを表明したのは、短期国債買い入れでは追いつかなかったからであろう。
何故景気がなかなか上向かないのか。一言でいうと日本の製品がかつてほど売れなくなってきたからである。
かつて日本の製品が最も売れた時代は、1980年代半ばから終わりにかけてである。
安くて品質の高い自動車や家電製品は欧米で高い評価を受け、飛ぶように売れた。この結果欧米諸国との間でいわゆる「貿易摩擦」が起きた。つまりアメリカなどの国が日本からの輸入超過で貿易赤字に、日本は逆に輸出超過で巨額の貿易黒字となったからだ。
このため、アメリカはオレンジと牛肉を日本が輸入するよう強硬的に要求してきた。結果的には輸入が解禁され、牛肉など殆どめったに口にする機会などなかったが、我が家の食卓に並ぶまでになった。
ここまで日本製品が高く評価され、たくさん売れたのは、当時の日本人が第二次世界大戦の痛手から立ち直り、多くの人が勤勉に死にもの狂いで頑張ってきたからである。モーレツ社員とか企業戦士とかという言葉を当時さかんに耳にした。
しかし日本製品が売れたのはここまで。1990年代初めにバブル経済が崩壊し、不良債権の焦げ付きで多くの超大手金融機関が破たんした。不良債権の回収や金融機関の再生のために多額の税金が使われた。
そしてその後始末は10年以上は続いたであろう。その間、物の価格が上がらず、逆に年々低下した。
1990年代の後半に銅、鉄などの金属や石油の相場が低く、上がることは無かった。その頃灯油18リッターは700円以下で買えた。
何故この時期に物の価格が下がるようになったのか。バブルで贅沢な暮らしを経験した我々が、バブルが崩壊し不景気になり所得が下がっても、バブル時代に覚えた贅沢な暮らしから、1980年代初めまでの分相応の質素な暮らしに戻ることが嫌で、いい物、おいしい物を安い価格で購入することを望んだからではないか。高級品の価格破壊が進んだのもこの頃である。
バブルが崩壊するまでは、いい物、おいしい物は値段が高かった。おいそれと手に入れられるものではなかった。それが当たり前だった。値段の高い物にはそれ相応の価値があった。
そしてそういういい物をいつか手に入れられるようになろうと、あの頃は頑張ったものだ。
しかしバブルが崩壊して、いい物を出来るだけ安く手に入れることが価値観として定着した。仕事や勉強を頑張った結果、そのようなものを得るのではなく、単に現状維持でいい物を手に入れたいという風潮が生まれた。
それはすでにバルブ時代に高級品を手にしていたからだ。バブルを境に物と価格の価値観が変わった。
そこで物を作る生産側は値段を安くせざるを得なくなった。しかし人件費の高い国内では採算が取れず生産できない。そこで国内での生産を断念し、人件費が安く労働力が豊富な中国に工場を移設し、生産することが加速した。
これが国内生産の空洞化である。繊維製品から始まり日常雑貨品は殆ど中国で生産されるようになった。いま生活に必要なものは殆ど中国製といって良い。これだけの量の物を作るようになったのだから、中国が短期間で急成長し、豊かになるのは当然である。
中国で生産といっても、中国の企業が自発的に生産するのではなく、日本の企業が中国に工場を建設し、現地の人に技術を教えて生産するのである。
10年以上前は洗濯機などの白物家電も作れなかった中国も、日本の技術を吸収した結果、今では日本製と遜色ないほどの家電を作れるまでになった。
昨日のニュースで、あのソニーが半期決算で1000億円以上の赤字を出したと報じていた。赤字の全てはスマートフォン事業の中国市場での失敗だという。ソニーのスマホは確か中国製のスマホよりも4倍以上の値段が付いていた。しかも中国製はソニーほどの機能は持っていないが、そこそこの品質を持っているという。だから中国の人は中国製を買ったのである。
この中国製の品質が日本に追いついてきたということが、日本製製品が海外で売れなくなった最大の原因である。
海外市場だけではない。国内市場も同じだ。羽田空港のロビーにある大画面の液晶テレビは以前国内メーカー製であったが、昨年あたりから韓国のサムスン製に交換されていた。
この文章を書いているたった今、電話で保険会社からセールスの電話があった。今まで20年以上一度も電話セールスをしてこなかった会社である。ものだけではない。生命保険というサービスまで1990年代後半から価格破壊を起こし、長い間売上No.1を保っていた会社もその座を短期間で譲り渡すほどの競争が激しくなっている。
欧米諸国だけでなく、つい10年前まではずっと遠く日本の後ろを走っていた中国や韓国が、今日本と現実に激しい競争を繰り広げている。競争に勝つために人件費の高い日本では生産できない。生き残りのため人件費の安い後進国に進出した結果、技術を何の苦も無く吸収され、その国を競争相手にまでしてしまった。
国内産業が空洞化すれば、人が余るのは必然的である。その結果人員整理などのリストラをせざるを得なくなる。私の勤務先も過去にリストラをした。
産業が空洞化し、国内コストも下げなければならなくなると低賃金の非正規雇用という勤務形態が出てくるのは避けられない。
格差社会を生んだのは政府(小泉政権)だと言った人がいるが、とんでもない。政府そのものが悪いのではなく、バブルに浮かれて多くの民間企業が本業をおろそかにしたことと、バブル崩壊後、物の価格を下げ生き残るために生産拠点を海外に移さざるを得なかったこと、その結果中国などの後進国が日本を凌駕するまでに急成長したこと、ゆとり教育に失敗したことに元凶がある。
非正規雇用や低賃金を生んでいる現状に対して国や政府に文句を言いたくなる気持ちは分かるが、バブル崩壊後の経緯から必然的にそのようになってしまったのだから文句の付けようが無い。中国や韓国などの国もいつまでも後進国のままでい続けるということはないのだから。
今は格差社会や低賃金を受け入れるしかない。贅沢品に囲まれていなくても結構生活は楽しめる。
金融緩和に多大な力を注ぐより、アベノミクスの第3の矢の「民間の成長戦略」と、子供や若い世代の教育に最も注力していかなければならないと感じる。
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