今日、オリンパス八王子ホールで、中央大学マンドリン倶楽部第107回定期演奏会が開催され、聴きに行った。
場所が自宅から遠いのであるが、演奏曲目に鈴木静一作曲「交響的幻想曲 シルクロード」があり、滅多に演奏される機会が無い曲なので、これを逃すとまず聴くことができないと思ったので、思い切って行くことにした。
しかし八王子は遠い所だ。なんとか開演20分前にホールに無事着いた。
オリンパス八王子ホールはなかなか大きいホールだ。元は市民ホールだったようだが駅のすぐそばであり利便性も良い。
当日券を買うとCD売り場があった。過去の定期演奏会を録音したものであるが、演奏曲目に鈴木静一の曲が多い。鈴木静一の聴いたことのない曲の入ったCDと藤掛廣幸の星空のコンチェルトが入ったCDの2枚を購入。席は一番後ろの真ん中よりを選んだ。
中央大学マンドリン倶楽部の演奏を初めて聴いたのは今から20年近く前に、フォンテックから出ていた「鈴木静一 マンドリン・オーケストラ作品集」のCDを買って聴いた時である。
「交響譚詩 火の山」、「大幻想曲 幻の国 邪馬台」、「劇的序楽 細川ガラシャ」といった学生時代に演奏した懐かしい曲が収められていた。
さて今日のプログラムは下記のとおり。
①序曲「レナータ」 G.ラヴィトラーノ作曲
②組曲「中世の放浪学生」 A.アマディ作曲
③交響的幻想曲「シルクロード」 鈴木静一作曲
曲数が少ないのは「シルクロード」が8楽章からなる長大な曲であるからだ。
しかし全ての曲がマンドリン・オリジナル曲であり、この大学のこだわりの深さを感じた。
第1曲目の演奏が始まってびっくりした。
ものすごく上手いのだ。上手いだけでなく、音楽的にもハイレベル。とても学生の演奏に思えない。
2曲目はアマディの曲であるが、リズムを取るのが難しい難曲である。
アマディと言えば学生時代に「東洋の印象」という曲を弾いたことがある。マンドリンの発祥地イタリアのオリジナル曲である。
また驚いたのは指揮者が女性だったことである。またベース(コントラバス)も女性だった。
私が学生時代のマンドリン・オーケストラでは考えられないことだった。
しかしこの女性の指揮者は素晴らしかった。マンドリンオーケストラの指揮でこんなダイナミックで渾身の力を出した指揮を見たことは無い。今日の定期演奏会のために自分にある限りの全てのエネルギーを出し切っていた。
今日の演奏会のメイン曲である交響的幻想曲「シルクロード」は50分を超える長大な曲である。
プログラムでは1960年作曲と書かれていたが、1967年作曲ではないだろうか。
1960年と言えば、鈴木静一はマンドリン曲の作曲から身を引き、職業的作曲家として映画音楽等のBGMの作曲をやっていた時代である。
この「シルクロード」の始まる前の休憩時間に席を前の方に移動した。一番後ろだと演奏者の表情が見えないからだ。
いよいよ「シルクロード」の演奏が始まったが、金管、木管、パーカーション、またOB、OGの賛助を含めた大編成の演奏となった。指揮者は先の女性(4年生)であった。
「シルクロード」は初め鈴木静一の晩年の作かと思ったが、意外にも代表作「交響詩 失われた都」、「劇的序楽 細川ガラシャ」の前年に作曲された曲である。
曲想はいつもの鈴木静一らしい日本旋法を用いたものではなく、遠いアジアの異国の音楽を連想させる幻想的な響きを持つものであった。
この演奏も全く素晴らしいものであった。50分がとても短く感じられた。この50分という時間で、聴く集中力が途切れたことは無かった。
演奏者たちは恐らくこの曲を相当長い時間をかけて練り上げてきたに違いない。
演奏者達のこの曲の完成に向けて並々ならぬ努力をしてきたこと、今日の演奏会に賭けた強い思い入れを感じることができた。全員の演奏がひとつの素晴らしい音楽となって聴衆に対峙していた。
指揮者の振る拍に合わせて演奏者達の上体が揺れ、指揮者を見る真剣なまなざしに心を打たれた。
この最後の曲が終わって、大きな拍手が長い時間鳴りやむことはなかった。全く素晴らしい演奏!
恐らく聴衆も大きな感動に包まれたに違いない。演奏者と聴衆の気持ちが共有された瞬間であった。
場所が自宅から遠いのであるが、演奏曲目に鈴木静一作曲「交響的幻想曲 シルクロード」があり、滅多に演奏される機会が無い曲なので、これを逃すとまず聴くことができないと思ったので、思い切って行くことにした。
しかし八王子は遠い所だ。なんとか開演20分前にホールに無事着いた。
オリンパス八王子ホールはなかなか大きいホールだ。元は市民ホールだったようだが駅のすぐそばであり利便性も良い。
当日券を買うとCD売り場があった。過去の定期演奏会を録音したものであるが、演奏曲目に鈴木静一の曲が多い。鈴木静一の聴いたことのない曲の入ったCDと藤掛廣幸の星空のコンチェルトが入ったCDの2枚を購入。席は一番後ろの真ん中よりを選んだ。
中央大学マンドリン倶楽部の演奏を初めて聴いたのは今から20年近く前に、フォンテックから出ていた「鈴木静一 マンドリン・オーケストラ作品集」のCDを買って聴いた時である。
「交響譚詩 火の山」、「大幻想曲 幻の国 邪馬台」、「劇的序楽 細川ガラシャ」といった学生時代に演奏した懐かしい曲が収められていた。
さて今日のプログラムは下記のとおり。
①序曲「レナータ」 G.ラヴィトラーノ作曲
②組曲「中世の放浪学生」 A.アマディ作曲
③交響的幻想曲「シルクロード」 鈴木静一作曲
曲数が少ないのは「シルクロード」が8楽章からなる長大な曲であるからだ。
しかし全ての曲がマンドリン・オリジナル曲であり、この大学のこだわりの深さを感じた。
第1曲目の演奏が始まってびっくりした。
ものすごく上手いのだ。上手いだけでなく、音楽的にもハイレベル。とても学生の演奏に思えない。
2曲目はアマディの曲であるが、リズムを取るのが難しい難曲である。
アマディと言えば学生時代に「東洋の印象」という曲を弾いたことがある。マンドリンの発祥地イタリアのオリジナル曲である。
また驚いたのは指揮者が女性だったことである。またベース(コントラバス)も女性だった。
私が学生時代のマンドリン・オーケストラでは考えられないことだった。
しかしこの女性の指揮者は素晴らしかった。マンドリンオーケストラの指揮でこんなダイナミックで渾身の力を出した指揮を見たことは無い。今日の定期演奏会のために自分にある限りの全てのエネルギーを出し切っていた。
今日の演奏会のメイン曲である交響的幻想曲「シルクロード」は50分を超える長大な曲である。
プログラムでは1960年作曲と書かれていたが、1967年作曲ではないだろうか。
1960年と言えば、鈴木静一はマンドリン曲の作曲から身を引き、職業的作曲家として映画音楽等のBGMの作曲をやっていた時代である。
この「シルクロード」の始まる前の休憩時間に席を前の方に移動した。一番後ろだと演奏者の表情が見えないからだ。
いよいよ「シルクロード」の演奏が始まったが、金管、木管、パーカーション、またOB、OGの賛助を含めた大編成の演奏となった。指揮者は先の女性(4年生)であった。
「シルクロード」は初め鈴木静一の晩年の作かと思ったが、意外にも代表作「交響詩 失われた都」、「劇的序楽 細川ガラシャ」の前年に作曲された曲である。
曲想はいつもの鈴木静一らしい日本旋法を用いたものではなく、遠いアジアの異国の音楽を連想させる幻想的な響きを持つものであった。
この演奏も全く素晴らしいものであった。50分がとても短く感じられた。この50分という時間で、聴く集中力が途切れたことは無かった。
演奏者たちは恐らくこの曲を相当長い時間をかけて練り上げてきたに違いない。
演奏者達のこの曲の完成に向けて並々ならぬ努力をしてきたこと、今日の演奏会に賭けた強い思い入れを感じることができた。全員の演奏がひとつの素晴らしい音楽となって聴衆に対峙していた。
指揮者の振る拍に合わせて演奏者達の上体が揺れ、指揮者を見る真剣なまなざしに心を打たれた。
この最後の曲が終わって、大きな拍手が長い時間鳴りやむことはなかった。全く素晴らしい演奏!
恐らく聴衆も大きな感動に包まれたに違いない。演奏者と聴衆の気持ちが共有された瞬間であった。