緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

新聞を読んで思うこと(3)

2014-11-01 21:11:59 | 時事
三連休の初日はあいにくの雨である。今日は家に工事屋が来ることもあり、外出せずのんびり家で過ごすことにした。
今日の朝刊の一面を見たら、「日銀が追加緩和」という見出しが目に入った。
なんでも景気のテコ入れを図るために、市場に流し込むお金の量を増やすという。具体的には長期国債の買い入れを年30兆円も増やすというのだ。
安倍政権が誕生して直後に今だかつてない規模の金融緩和を行なって落ち込む景気を回復させようとした。いわゆるアベノミクスの第一の矢である。しかし1年半経過し、思ったほどの成果が出ず、景気が鈍っている、あるいは足踏み状態と言えるのが実感だ。
お金を市場にたくさん投入すれば金利も下がり、企業が設備投資しやすくなったり、庶民が財布の紐を緩めて個人消費を増やしてくれることを期待しているようだ。
しかしこんな場当たり的な対象療法で景気が良くなるのだろうか。このような政策は、高熱の時に飲む熱さましや、歯が痛くて我慢できない時に飲む痛み止めのようなものだ。
つまり根本的に経済を活性化するものではないから、一時的に症状を和らげる、あるいは症状改善のきっかけづくりの効き目しかないのである。
今日のこの記事を読んだ時、数週間前に読んだ読者の投稿を思い出した。
この投稿によると、日銀が短期国債の買い入れで一部銘柄をマイナス金利で買い入れているというのだ。
普通金利はプラスなので満期になれば利子付でお金が戻ってくるが、マイナス金利だと元本割れだ。
日銀が損をしてまでここまで踏み切っているのは、よほどのリスクを覚悟でやっているということであろう。
投稿した方は、「日銀がお金を市場にじゃぶじゃぶあふれさせる金融緩和を自ら損をしてまで行っている」とまで言っていた。
今回、長期国債の大量買入れを表明したのは、短期国債買い入れでは追いつかなかったからであろう。
何故景気がなかなか上向かないのか。一言でいうと日本の製品がかつてほど売れなくなってきたからである。
かつて日本の製品が最も売れた時代は、1980年代半ばから終わりにかけてである。
安くて品質の高い自動車や家電製品は欧米で高い評価を受け、飛ぶように売れた。この結果欧米諸国との間でいわゆる「貿易摩擦」が起きた。つまりアメリカなどの国が日本からの輸入超過で貿易赤字に、日本は逆に輸出超過で巨額の貿易黒字となったからだ。
このため、アメリカはオレンジと牛肉を日本が輸入するよう強硬的に要求してきた。結果的には輸入が解禁され、牛肉など殆どめったに口にする機会などなかったが、我が家の食卓に並ぶまでになった。
ここまで日本製品が高く評価され、たくさん売れたのは、当時の日本人が第二次世界大戦の痛手から立ち直り、多くの人が勤勉に死にもの狂いで頑張ってきたからである。モーレツ社員とか企業戦士とかという言葉を当時さかんに耳にした。
しかし日本製品が売れたのはここまで。1990年代初めにバブル経済が崩壊し、不良債権の焦げ付きで多くの超大手金融機関が破たんした。不良債権の回収や金融機関の再生のために多額の税金が使われた。
そしてその後始末は10年以上は続いたであろう。その間、物の価格が上がらず、逆に年々低下した。
1990年代の後半に銅、鉄などの金属や石油の相場が低く、上がることは無かった。その頃灯油18リッターは700円以下で買えた。
何故この時期に物の価格が下がるようになったのか。バブルで贅沢な暮らしを経験した我々が、バブルが崩壊し不景気になり所得が下がっても、バブル時代に覚えた贅沢な暮らしから、1980年代初めまでの分相応の質素な暮らしに戻ることが嫌で、いい物、おいしい物を安い価格で購入することを望んだからではないか。高級品の価格破壊が進んだのもこの頃である。
バブルが崩壊するまでは、いい物、おいしい物は値段が高かった。おいそれと手に入れられるものではなかった。それが当たり前だった。値段の高い物にはそれ相応の価値があった。
そしてそういういい物をいつか手に入れられるようになろうと、あの頃は頑張ったものだ。
しかしバブルが崩壊して、いい物を出来るだけ安く手に入れることが価値観として定着した。仕事や勉強を頑張った結果、そのようなものを得るのではなく、単に現状維持でいい物を手に入れたいという風潮が生まれた。
それはすでにバルブ時代に高級品を手にしていたからだ。バブルを境に物と価格の価値観が変わった。
そこで物を作る生産側は値段を安くせざるを得なくなった。しかし人件費の高い国内では採算が取れず生産できない。そこで国内での生産を断念し、人件費が安く労働力が豊富な中国に工場を移設し、生産することが加速した。
これが国内生産の空洞化である。繊維製品から始まり日常雑貨品は殆ど中国で生産されるようになった。いま生活に必要なものは殆ど中国製といって良い。これだけの量の物を作るようになったのだから、中国が短期間で急成長し、豊かになるのは当然である。
中国で生産といっても、中国の企業が自発的に生産するのではなく、日本の企業が中国に工場を建設し、現地の人に技術を教えて生産するのである。
10年以上前は洗濯機などの白物家電も作れなかった中国も、日本の技術を吸収した結果、今では日本製と遜色ないほどの家電を作れるまでになった。
昨日のニュースで、あのソニーが半期決算で1000億円以上の赤字を出したと報じていた。赤字の全てはスマートフォン事業の中国市場での失敗だという。ソニーのスマホは確か中国製のスマホよりも4倍以上の値段が付いていた。しかも中国製はソニーほどの機能は持っていないが、そこそこの品質を持っているという。だから中国の人は中国製を買ったのである。
この中国製の品質が日本に追いついてきたということが、日本製製品が海外で売れなくなった最大の原因である。
海外市場だけではない。国内市場も同じだ。羽田空港のロビーにある大画面の液晶テレビは以前国内メーカー製であったが、昨年あたりから韓国のサムスン製に交換されていた。
この文章を書いているたった今、電話で保険会社からセールスの電話があった。今まで20年以上一度も電話セールスをしてこなかった会社である。ものだけではない。生命保険というサービスまで1990年代後半から価格破壊を起こし、長い間売上No.1を保っていた会社もその座を短期間で譲り渡すほどの競争が激しくなっている。
欧米諸国だけでなく、つい10年前まではずっと遠く日本の後ろを走っていた中国や韓国が、今日本と現実に激しい競争を繰り広げている。競争に勝つために人件費の高い日本では生産できない。生き残りのため人件費の安い後進国に進出した結果、技術を何の苦も無く吸収され、その国を競争相手にまでしてしまった。
国内産業が空洞化すれば、人が余るのは必然的である。その結果人員整理などのリストラをせざるを得なくなる。私の勤務先も過去にリストラをした。
産業が空洞化し、国内コストも下げなければならなくなると低賃金の非正規雇用という勤務形態が出てくるのは避けられない。
格差社会を生んだのは政府(小泉政権)だと言った人がいるが、とんでもない。政府そのものが悪いのではなく、バブルに浮かれて多くの民間企業が本業をおろそかにしたことと、バブル崩壊後、物の価格を下げ生き残るために生産拠点を海外に移さざるを得なかったこと、その結果中国などの後進国が日本を凌駕するまでに急成長したこと、ゆとり教育に失敗したことに元凶がある。
非正規雇用や低賃金を生んでいる現状に対して国や政府に文句を言いたくなる気持ちは分かるが、バブル崩壊後の経緯から必然的にそのようになってしまったのだから文句の付けようが無い。中国や韓国などの国もいつまでも後進国のままでい続けるということはないのだから。
今は格差社会や低賃金を受け入れるしかない。贅沢品に囲まれていなくても結構生活は楽しめる。
金融緩和に多大な力を注ぐより、アベノミクスの第3の矢の「民間の成長戦略」と、子供や若い世代の教育に最も注力していかなければならないと感じる。
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