緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

チェロの巨匠 ピエール・フルニエの演奏を聴いた

2012-03-04 21:44:54 | チェロ
こんにちは。
下の写真の本は、私が20代の終わりに買ったものです。20世紀のクラシック界の
巨匠の活動や名盤を紹介したものなのですが、その中の一人にフランスのチェロの
巨匠、ピエール・フルニエ(1906~1986)が紹介されています。





解説者は音楽評論家の故志鳥栄八郎氏によるものですが、当時この解説を読んだとき、
気になる文面に出会いました。
原文から抜粋させてもらいますが、志鳥氏は次のように述べています。

「~とくに、(フルニエが)こうおっしゃったことは、一つの驚きであった。「私は
セゴビアから多くのものを学びました。ギターというあの小さな楽器から、あれほど
多彩な音色を聴かせてくれるのに、いたく感動したのです......」。
巨匠が、セゴビアのギターから音色の変化を学んだのは確実のようだ。」



これは私も驚きであった。セゴビアとは、クラシックギター界の最大の巨匠、スペイン
のアンドレス・セゴビア(1893~1987)のことである。
クラシックギター界といってもまだクラシック界では下に見られていた時代である。
セゴビアが苦労して他の楽器と同レベルまで引き上げたのである。
最近の若い世代はセゴビアの演奏をあまり聴くことがないのかもしれません。バルエコ
やラッセルといった新しい奏法で演奏するギタリストの曲を多く聴くように思います。
チェロの巨匠フルニエから感動したと言わしめたセゴビアの音をフルニエがどのように
自らのものにしたのか興味を覚え、この記事を読んですぐに買ったのが下のCDです。



このCDはフルニエが58歳頃の録音で、円熟期のものなのですが、私が若い頃に
聴いたときは、チェロの音が強すぎて抵抗感を感じ、このCDの曲を全部聴かずにその
ままにしてしまったのです。
以来、チェロの曲を聴くことはなくなりました。元々、チェロの演奏はほとんど聴かな
かったこともありますが。聴いたのはカザルスの無伴奏チェロ組曲(バッハ作曲)く
らいです。
しかし20年経過し、ふとしたことからこのフルニエのCDを聴きました。20年ぶ
りです。今度は20代で聴いたときの感じ方と全く違っていました。
はっきり言ってすごい演奏です。人間が歌っているような演奏、自然な滋味溢れるよう
な暖かい演奏です。この演奏を聴いていると心の底に眠っていたもの、人間的なもの
が引き出されてきますね。冷え切った心を溶かしてくれるような演奏だ。
チェロの演奏がこんなにいいものだと改めて認識させられた。
このフルニエの演奏は、ギターを学ぶ人に貴重なものを与えてくれるに違いないと思い
ます。ギターだけでなく他の全ての音楽を演奏する人にとっても。
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H23年度(第64回)全日本合唱コンクール高等学校部門Aグループの審査表を見て感じたこと

2012-03-04 00:05:45 | 合唱
こんにちは。
だいぶ暖かくなってきましたね。
車の部品交換をしようと思って、部品を取り寄せたものの、外があまりにも寒くできず
じまいでしたが、そろそろ作業しなければ。
さて、昨年の10月に開催された全日本合唱連盟、朝日新聞主催の第64回全日本合唱
コンクールが開催され、開催地が私の住んでいる所に比較的近かったこともあり、初め
て合唱コンクールの生演奏を聴きました。
聴いたのはの高等学校部門Aグループの演奏です。
当日の演奏についての感想は以前のブログで書きましたが、私が特に感動した演奏は
兵庫県立神戸高等学校と鹿児島県立松陽高等学校の2校です。
神戸高校は予想どおり金賞、松陽高校は金賞だと思いましたが銀賞でした。
私はあまり賞の結果にこだわらなく、素晴らしいと感じた演奏は賞の結果に関係なく、
評価してあげたいし、特に感動を与えてくれた演奏はどんどん紹介させてもらいたいと
思っています。
しかしこのコンクールで審査員がどんな評価をしたか見てみたく、合唱連盟が発行する
雑誌である「ハーモニー」を買おうと思い、ホームページを見ていたら、偶然にもAグ
ループの審査表を目にすることができました。



この審査表を見て、先の神戸高校が金賞で総合2位、松陽高校が惜しくも金賞とならず
銀賞トップの総合5位、ここまでは想定どおりだったのですが、審査表を良く見てみる
と、審査員の評価にばらつきが非常に大きかったこと、これには驚かせられました。
クラシックギターのコンクールも審査員により評価に大きな差がでることが多いのです
が、ここまで評価に差異が出ていることについて、なんだろうと考えてしまいます。
以下高校名は差し控えさせてもらいますが、審査表の結果を見ていくと、まず総合2位
のK高校の場合、1位をつけた審査員が2名いるのに対し、最下位の13位をつけてい
た審査員が1名いたことです。これには少なからず驚きました。その上が8位1名、5
位1名で、4位以上の評価をした審査員が過半数の6名でした。
次に総合5位のM高校の場合、2位1名、3~5位が4名もいるのに、最下位の13位
をつけた審査員が2名いました。
また唯一男声合唱であった総合順位4位のS高校の場合はさらに順位のばらつきが大き
く、1位1名、4位1名、5位1名、6位2名、8位1名、10位2名、12位1名で
した。
総合順位3位のK高校も2位のK高校と同様、1~3位をつけた審査員が4名なのに
対し、最下位の13位をつけた審査員が1名いたことです。
この結果は、専門家であっても人により音楽に対する価値基準、感性(感じ方)、重点
の置き方が様々であることを示している。つまり人により正反対の感じ方、価値観が
あることを如実に表している。
ここにコンクールで順位をつけることの難しさと無意味さを感じさせられる。
審査員が別の人で構成されれば、全く審査結果が異なることもありえるということで
ある。順位は必然的に決まったというより、まさに偶然の結果という要素が強い。
個性的な演奏であればあるほど、演奏者の気持ちや感情を表現することを重視する演奏
であればあるほど、審査員の評価は分かれるのではないか。
総合順位1位の高校は最も低い評点で6位でばらつきが少なかったが、私にはあまり
心に感じるものはなかった。
このように審査員により評価が全く異なる状況の中で、コンクールで上位の賞をとる
ことに全てを賭けることは良くないと思う。芸術は競うものではない。スポーツや
将棋などの勝負とは本質的に異なる。賞狙いの演奏は聴き手にそれとなく分かる。
そのような演奏は好きではない。賞狙いの演奏も上位を取ることもあるが、評価が分か
れるのではないだろうか。
勝つことを意識するのではなく、聴き手と感動を共有できる演奏をすることを目指して
もらいたい思っています。そこに全てを賭けてもらいたい。
ただ無心で音楽に集中し、真に音楽を表現することに最大の喜びを感じることができる
ならば、その演奏を末永く何度も繰り返し聴いてくれる人がたくさん現れてくれるに
違いないと思うのです。
そして審査員の評価に関係なく、自分たちのやってきた努力に対し認めてあげることが
できるのではないでしょうか。
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