緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

オイルキャッチタンク交換

2012-03-17 19:09:09 | 
こんにちは。
だいぶ暖かくなってきたので、冬の間できなかった自動車部品の交換をしました。
部品は下の写真のオイルキャッチタンクという部品です。



7,8年くらい前でしょうか。エンジンを始動した直後は通常はエンジン回転が1500
rpmまで上がり、その後徐々に回転数が下がっていき、アイドリング時の回転数である
950rpmまで下がるとそこで一定になるですが、エンジン回転が上がらず、エンスト
寸前の状態が続く状態になったことがありました。エンスト寸前の低い回転数が数分間
続いたあと、一気にアイドル回転の950rpmまで上がり、その後はアイドル回転を
維持するような症状でした。
その症状を治してもらうため、ディーラーなどの整備工場に見てもらいましたが、原因
を特定することができませんでした。
そこでインターネットのホームページやブログなどを検索し、もしかするとこれではない
かという原因をつきとめることができました。
このエンジン始動直後のエンジン回転数の低下は、ブローバイガスと呼ばれるガスがスロ
ットルバルブのリンク機構部に付着し、バルブの摺動部が固着したことが原因ででした。
このブローバイガスというのは、エンジンのピストンとシリンダーの隙間から吹き抜けて
出てきたガスで有害成分を含むため、大気解放することは禁じられており、通常エンジン
のヘッドカバー上部の吹き出し口からホースを吸気側のエアクリーナーの下に伸びている
パイプの側面に接続し、このブローバイガスを吸気側に戻し、エンジン内に取り込み再
燃焼させることで処理しています。
しかし、エンジンが古くなるとしだいにブローバイガスの発生が多くなり、吸気側に戻さ
れたブローバイガスが液化したものが、先のスロットルバルブに付着し、バルブの動きを
悪くしてしまうのです。
これがエンジン始動直後にエンジン回転が上がらなかった原因です。バルブが固着して
少ししか開かなかったためエンジン回転が上がらず、エンジンが暖まって温度が上がると
付着したブローバイの粘度が低くなるため、バルブが開いてアイドル回転まで上がった
というわけです。
ここまで原因が分かるのにかなり時間がかかりましたが、インターネットのおかげです
ね。
しばらくの間は、スロットルバルブに付着したブローバイガスの液化したものを取り除く
ために、エンジンコンディショナー(下の写真)をスロットルに吹き付け、エンジンを
回し(アクセルを踏まなくても、エンジンルーム内で手で操作できます)、付着した
ブローバイを溶かしていました。



スロットルバルブにエンジン・コンディショナーを吹き付けるためには、写真の青い
インテークパイプを外す必要があります(少し隙間を空けるだけで良い)。



ただエンジンコンディショナーでいくらブローバイの付着したものを取り除いても、
ブローバイガスがスロットルボディを通過する以上は、再びエンジン始動後の回転数
低下は避けられず、年に3、4回クリーニングをしなければなりませんでした。
そんな時、冒頭のオイルキャッチタンクというものの存在を知ることができました。
このタンクはエンジンのヘッドカバー上部にあるブローバイガスの吹き出し口と、エア
クリーナー下部のパイプ側面の取り込み口との間にホースと共にセットし、エンジンから
吹き出てくるブローバイガスを液化し、液化した水分やオイルをタンクに溜め、ガスの
みを吸気側に戻してあげる働きをもつ部品であり、これをセットすることでスロットル
バルブにブローバイを付着させることを防ぐことができます。
タンクにオイルが溜まっていくので、定期的にオイルを排出する必要があります。
排出したオイルはオイルというより薄い黄色の水分で、ものすごい臭気を発します
いかにも人体や環境に有害なものという感じがしますね。排出したオイルは新聞紙に
吸わせ、ビニール袋に密封して廃棄します。
冒頭に述べたトラブルが起きてから1年くらい経ってからこのオイルキャッチタンクを
を取り付けましたが、それから5年以上、スロットルのクリーニングはしていません。
しかし5年以上経過するとホース類が硬くなり、タンク側面にあるオイル排出用のビニ
ール製のパイプも経年劣化とこの冬の寒さで硬くなり、このパイプを折ってしまった
ことから、オイルキャッチタンク一式を交換することにしました。
交換するオイルキャッチタンクは前回と同じCUSCO製の汎用品にしました。今回この
CUSCO製にしたのは、タンクのホース接続部のパイプの角度を変えられることと、
ホースが針金入りの丈夫なもので、長期間の使用に耐えられるものであるからです。ま
た取り付け位置もそのまま前回と同じで出来るメリットもありました。
下は交換前のエンジンルーム。



交換前のオイルキャッチタンク取り付け部。







オイル排出用のパイプが折れてありません。



吸気側ホースと排気側ホースを束ねた部分。



エンジンヘッドカバー上部のホース接続部。



エアクリーナー下部のホース接続部



外したタンク。

左が新品の交換用タンク。



外したホース。



交換後の写真。











エキマニ(エキゾースト・マニホールド)が社外品で遮熱板を取り付けていないので、
熱による劣化対策として、エアクリーナー下部の接続部は耐熱テープを巻きつけて固定
します。



ホースの余りと使わないで残った部品は取っておきます。



コメント

チェロの巨匠 ピエール・フルニエのバッハ 無伴奏チェロ組曲を聴いた

2012-03-10 21:56:19 | チェロ
こんにちは。
前回のブログでチェロの巨匠であるフランスのピエール・フルニエのCDを20年ぶり
に聴いた話をしました。
20年前にフルニエの演奏を聴くきっかけとなったのが、音楽之友社から出版された「
クラシック 不滅の巨匠たち」という本に紹介されていたフルニエの記事を読み、その
中でフルニエがギターのセゴビアの音を聴いて感動したことを知り、フルニエがどのよ
のな演奏をするのか聴いてみたかったことです。
しかし初めてフルニエの演奏を耳にした時、チェロの音が当時の私には強すぎて抵抗が
を感じた為、聴くことを止めてしまったんですね。今から思うと惜しいことでしたが。
先日20年ぶりにフルニエのCDを聴いてその素晴らしさに感動し、すぐに他の演奏も
聴きたくなり、バッハの無伴奏チェロ組曲のCDを買いました。





上のCDが1960年、フルニエが54歳頃のスタジオ録音、下のCDが1959年
のコンサートのライブ録音です。
無伴奏チェロ組曲というと、パブロ・カザルスの演奏が有名ですが、私は20代の頃
に初めて聴いたときにはあまりいい印象を持ちませんでした。
下は20代の半ばに買ったカザルスのCD。全曲聴かなかったかもしれない。



今回買ったCDはフルニエが最盛期の超名演です。ギター以外の弦楽器でこんな素晴ら
しい演奏を聴いたのは久しくないです。思い出せるのはヘンリク・シェリングのバッハ
の無伴奏バイオリン・ソナタやパルティータを聴いたとき以来かな。
このフルニエの演奏を聴いていると、音楽など芸術を人間が何故必要とするかがわか
るような気がする。フルニエの演奏は格調高いのに歌い方が実に自然である。内面から
泉のように湧き出てくるもの、そのものに従い弾いているように感じる。
当然であるが決して頭で計算した演奏ではない。
1959年のライブ盤ははじめスタジオ録音かと思った。後半になり疲れが出たのか
音が鳴りきらない箇所もあったが、技術的は完璧な演奏で、コンサートでこれほどの
レベルの高い演奏をする演奏家は極めて少ないのではないか。しかもバッハの無伴奏
チェロ組曲という難曲である。
フルニエはパリ音楽院でガブリエル・フォーレに指導を受けたようです。フォーレは
私の最も好きな作曲家なのですが、フォーレのように人間の深い精神性を表現できた
作曲家から多くのものを学んだにちがいありません。
フルニエの音楽をこれからも聴き続けていくと思います。偶然ではあるがこの演奏
に出会えて良かった。
コメント

チェロの巨匠 ピエール・フルニエの演奏を聴いた

2012-03-04 21:44:54 | チェロ
こんにちは。
下の写真の本は、私が20代の終わりに買ったものです。20世紀のクラシック界の
巨匠の活動や名盤を紹介したものなのですが、その中の一人にフランスのチェロの
巨匠、ピエール・フルニエ(1906~1986)が紹介されています。





解説者は音楽評論家の故志鳥栄八郎氏によるものですが、当時この解説を読んだとき、
気になる文面に出会いました。
原文から抜粋させてもらいますが、志鳥氏は次のように述べています。

「~とくに、(フルニエが)こうおっしゃったことは、一つの驚きであった。「私は
セゴビアから多くのものを学びました。ギターというあの小さな楽器から、あれほど
多彩な音色を聴かせてくれるのに、いたく感動したのです......」。
巨匠が、セゴビアのギターから音色の変化を学んだのは確実のようだ。」



これは私も驚きであった。セゴビアとは、クラシックギター界の最大の巨匠、スペイン
のアンドレス・セゴビア(1893~1987)のことである。
クラシックギター界といってもまだクラシック界では下に見られていた時代である。
セゴビアが苦労して他の楽器と同レベルまで引き上げたのである。
最近の若い世代はセゴビアの演奏をあまり聴くことがないのかもしれません。バルエコ
やラッセルといった新しい奏法で演奏するギタリストの曲を多く聴くように思います。
チェロの巨匠フルニエから感動したと言わしめたセゴビアの音をフルニエがどのように
自らのものにしたのか興味を覚え、この記事を読んですぐに買ったのが下のCDです。



このCDはフルニエが58歳頃の録音で、円熟期のものなのですが、私が若い頃に
聴いたときは、チェロの音が強すぎて抵抗感を感じ、このCDの曲を全部聴かずにその
ままにしてしまったのです。
以来、チェロの曲を聴くことはなくなりました。元々、チェロの演奏はほとんど聴かな
かったこともありますが。聴いたのはカザルスの無伴奏チェロ組曲(バッハ作曲)く
らいです。
しかし20年経過し、ふとしたことからこのフルニエのCDを聴きました。20年ぶ
りです。今度は20代で聴いたときの感じ方と全く違っていました。
はっきり言ってすごい演奏です。人間が歌っているような演奏、自然な滋味溢れるよう
な暖かい演奏です。この演奏を聴いていると心の底に眠っていたもの、人間的なもの
が引き出されてきますね。冷え切った心を溶かしてくれるような演奏だ。
チェロの演奏がこんなにいいものだと改めて認識させられた。
このフルニエの演奏は、ギターを学ぶ人に貴重なものを与えてくれるに違いないと思い
ます。ギターだけでなく他の全ての音楽を演奏する人にとっても。
コメント

H23年度(第64回)全日本合唱コンクール高等学校部門Aグループの審査表を見て感じたこと

2012-03-04 00:05:45 | 合唱
こんにちは。
だいぶ暖かくなってきましたね。
車の部品交換をしようと思って、部品を取り寄せたものの、外があまりにも寒くできず
じまいでしたが、そろそろ作業しなければ。
さて、昨年の10月に開催された全日本合唱連盟、朝日新聞主催の第64回全日本合唱
コンクールが開催され、開催地が私の住んでいる所に比較的近かったこともあり、初め
て合唱コンクールの生演奏を聴きました。
聴いたのはの高等学校部門Aグループの演奏です。
当日の演奏についての感想は以前のブログで書きましたが、私が特に感動した演奏は
兵庫県立神戸高等学校と鹿児島県立松陽高等学校の2校です。
神戸高校は予想どおり金賞、松陽高校は金賞だと思いましたが銀賞でした。
私はあまり賞の結果にこだわらなく、素晴らしいと感じた演奏は賞の結果に関係なく、
評価してあげたいし、特に感動を与えてくれた演奏はどんどん紹介させてもらいたいと
思っています。
しかしこのコンクールで審査員がどんな評価をしたか見てみたく、合唱連盟が発行する
雑誌である「ハーモニー」を買おうと思い、ホームページを見ていたら、偶然にもAグ
ループの審査表を目にすることができました。



この審査表を見て、先の神戸高校が金賞で総合2位、松陽高校が惜しくも金賞とならず
銀賞トップの総合5位、ここまでは想定どおりだったのですが、審査表を良く見てみる
と、審査員の評価にばらつきが非常に大きかったこと、これには驚かせられました。
クラシックギターのコンクールも審査員により評価に大きな差がでることが多いのです
が、ここまで評価に差異が出ていることについて、なんだろうと考えてしまいます。
以下高校名は差し控えさせてもらいますが、審査表の結果を見ていくと、まず総合2位
のK高校の場合、1位をつけた審査員が2名いるのに対し、最下位の13位をつけてい
た審査員が1名いたことです。これには少なからず驚きました。その上が8位1名、5
位1名で、4位以上の評価をした審査員が過半数の6名でした。
次に総合5位のM高校の場合、2位1名、3~5位が4名もいるのに、最下位の13位
をつけた審査員が2名いました。
また唯一男声合唱であった総合順位4位のS高校の場合はさらに順位のばらつきが大き
く、1位1名、4位1名、5位1名、6位2名、8位1名、10位2名、12位1名で
した。
総合順位3位のK高校も2位のK高校と同様、1~3位をつけた審査員が4名なのに
対し、最下位の13位をつけた審査員が1名いたことです。
この結果は、専門家であっても人により音楽に対する価値基準、感性(感じ方)、重点
の置き方が様々であることを示している。つまり人により正反対の感じ方、価値観が
あることを如実に表している。
ここにコンクールで順位をつけることの難しさと無意味さを感じさせられる。
審査員が別の人で構成されれば、全く審査結果が異なることもありえるということで
ある。順位は必然的に決まったというより、まさに偶然の結果という要素が強い。
個性的な演奏であればあるほど、演奏者の気持ちや感情を表現することを重視する演奏
であればあるほど、審査員の評価は分かれるのではないか。
総合順位1位の高校は最も低い評点で6位でばらつきが少なかったが、私にはあまり
心に感じるものはなかった。
このように審査員により評価が全く異なる状況の中で、コンクールで上位の賞をとる
ことに全てを賭けることは良くないと思う。芸術は競うものではない。スポーツや
将棋などの勝負とは本質的に異なる。賞狙いの演奏は聴き手にそれとなく分かる。
そのような演奏は好きではない。賞狙いの演奏も上位を取ることもあるが、評価が分か
れるのではないだろうか。
勝つことを意識するのではなく、聴き手と感動を共有できる演奏をすることを目指して
もらいたい思っています。そこに全てを賭けてもらいたい。
ただ無心で音楽に集中し、真に音楽を表現することに最大の喜びを感じることができる
ならば、その演奏を末永く何度も繰り返し聴いてくれる人がたくさん現れてくれるに
違いないと思うのです。
そして審査員の評価に関係なく、自分たちのやってきた努力に対し認めてあげることが
できるのではないでしょうか。
コメント