緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

右手のタッチについて

2011-10-23 18:12:55 | ギター
こんばんは。
前々回のブログでスペインギター音楽コンクールに出場した方の中に、
音が軽くて細く、カチカチと汚い音の演奏が多かった話をしましたが、
近年このような演奏での音が増えているように思われます。
5、6年前にある大手楽器店の主催するアマチュア・ギターコンクール
を聴いた時にも同様の感じを受けました。

何故このような軽くて細くて、カチカチ言うような音がするのか、また
何故このような音を出す演奏者が増えたのか、今日はそのことについて
考えてみた。
先のコンクールで、軽くて細くて雑音交じりの音を出す演奏者の右手の
フォームとタッチをまず観察してみました。
このような音を出す人の右手の角度は下の写真のように弦に対し45度
の角度になっていることです。
つまりギターを支える右腕からそのまま同じ角度で伸びてきた右手で弾
弦しているということです。



そしてアポヤンド奏法(弦を弾いた直後に隣の弦に指がもたれかかる弾弦
法)は使わず、全てアルアイレ奏法(弦を弾いた直後に指が隣の弦に触れ
ずに空をきる弾弦法)で弾いていることです。

では何故この角度で弾くと、音が軽くなり汚い音になるのか考えてみた。
以下は考え付く理由を羅列したものです。

①弦に対し45度の角度だと、必然的に、上から見て爪の右側で弦を弾く
 ことになるが、指の先端において左側よりも右側の方が力が入らない
 ために弾弦が弱くなる。
 これは試しに例えば薬指の先端を机の上に左側(親指側)を押し付けて
 みた場合と、右側(小指側)を押し付けてみた場合とで、力の入り具合
 を比べてみたらわかると思いますが、右側よりも左側の方が力が入り
 やすいことに気付くと思います。

②45度の角度で指の右側(正確に言うと爪の右側寄り)で弾弦すると、
 弦と爪の接する部分の長さが 左側(爪の左側寄り)で弾く場合に比
 べて短くなる。
 これは右手を横に寝せているために、弦と右手の爪の接点が、爪の右側
 角のへりの部分しかなくなることを意味している。
 この結果、弦が爪の角にしかあたらないため、力の無いカチカチしたよう
 な音となる。

③右手を45度角の度で保っているということは、その角度を維持するため
 に右腕に力が入っているということで、右腕が疲労し右手や右指に負担が
 かかり痛めることになる。
 ギターを支えている右腕と、右手の力を抜くと手が幽霊の手のように下
 方向にだらんと垂れたようになる。その力の抜けた手と弦との角度はほぼ
 直角となる。これをあえて45度の角度で維持しようとすることは右手、
 右腕に余計な力が入ることにつながる。

④右手を45度に傾けるとアポヤンド奏法が出来なくなる。右指の側面で
 アポヤンド奏法が出来ないことはないが、非常にやりにくい。
 よって必然的にアルアイレ奏法しか出来なくなる。

⑤右手を45度にして弾弦すると、弦の振動がギターの響板(表面板)に対し
 水平方向となるため、表面板を十分に振動させることが出来ない結果、
 常に軽くて貧弱な音しか出せなくなる。
 試しに表面板に対し、水平方向に弾弦して出た音と、垂直方向に弾弦した
 音を比較してみて欲しい。後者の方が圧倒的に力強く芯のある音がするこ
 とに気付くに違いない。

⑥右手を45度にして人差し指(i)と中指(m)の交互弾弦や、iとmと
 薬指(a)と親指(p)を使ったアルペジオ(分散和音)を弾くと、指の
 動きが大きくなったたり、各指の動きが不揃いになる。
 これは2つ理由がある。一つは①と関連するのだが、音に力が無くなるた
 め、より大きな音にしようとして指の振りが大きくなることである。もう
 一つは、i指がmやa指よりも短いため、45度の角度で交互弾弦等をする
 とiの指が伸びた状態で弾弦するのに対し、mとaはかなり指を曲げた状態
 で弾弦することになるからだ。これはかなり不自然な動きである。
 この動きを長い期間やっていると腱鞘炎など指を痛めることにならないだろ
 うか。
 コンクールで演奏者の指の動きを見ていて、クモの足のように大きく
 ばたばたするような動きがしているものもあった。

以上が、近年増加して今や主流となった感がある、45度の角度による右手の
フォームを見て、私が疑問と危惧を抱いた点である。

一体いつ頃からこのような右手のフォームが主流となったのであろうか。
まず思いつくのは1970年代後半から80年代初めに登場したキューバの
ギタリスト、マルエル・バルエコのアルアイレ中心の奏法と右手のタッチ
です。
バルエコはそれまでのアンドレス・セゴビア(1987年に没したクラシック
ギター界最大の巨匠であり功績者)のアポヤンド中心の奏法をを踏襲せず、
独自の理念により音の均一化を図る為、殆ど全ての音をアルアイレで弾弦でする
方法を確立しました。
このバルエコの新しい奏法が出現した時、クラシックギター界は大きな衝撃
を受けました。そして多くの演奏家が、アルアイレ中心の奏法に切り替える
ようになりました。まるでセゴビアの演奏スタイルは古い、時代遅れだと言わ
んばかりの風潮でしたね。

下の写真はバルエコの右手のフォームを正面から写したものと、真上から写し
たものです。







写真が暗くてわかりにくいのですが、バルエコの右手の角度は弦に対し垂直
ではなく、やや角度が付いていますが45度までは傾いていないことが
わかると思います。
また真上から見た写真では、右指と弦の接点は指の左側です。つまりバル
エコは右指の左側寄りで弾弦しているということです。

次に下の写真はアンドレス・セゴビアの演奏フォームと右手の角度です。





一目でわかるようにセゴビアの右手の角度は垂直です。セゴビアは常にこの角度
で弾いています。
この角度ですと右指と弦の接点は間違いなく指の左側(爪の左側寄り)です。

今まで右手の角度を45%でしか弾いてこなかった方は試しに弦との角度を
直角にして、しかもアポヤンド奏法で弾弦してみて下さい。
今までよりも強く、大きく、芯のある音が得られることに気付くに違いあり
ません。
そして右手が直角になるということは先の幽霊の手のように、自然に重力
にしたがって力の抜けている状態になるので、指の無駄な動きがなくなり、
指や手に余計な力が入らず、指や手を痛めにくくなります。
セゴビアが90歳を過ぎても現役でいられたのは、この右手のフォームを維持
したことにより、指や手の機能が劣化しなかったからではないでしょうか。
因みに下の写真は私の演奏フォームにおける右手の角度ですが、完全に弦に
対し垂直でないものの、垂直に近い角度を付けています。
私はアポヤンドも頻繁に使用しますし、アルアイレでもアポヤンドに近い音が
出せるよう研鑽を積んできたし、現在も心がけています。



では何故、45度の角度が主流となったかについての問いに対する答えの2つ目
ですが、バルエコの少し後でデビューしたギタリストであるデイビット・ラッセ
ルの影響ではないかと思っています。
ラッセルはアポヤンドはいっさい使わずアルアイレのみで演奏するそうです。
そのことについてジョン・ウィリアムス(セゴビア亡き後のクラシックギター
の巨匠の一人)と激論をしたとの逸話を聞いたことがあるが、バルエコよりも
徹底したアルアイレ奏者だと思います。
下の写真はラッセルの右手を正面から撮ったものですが、45度の角度になって
います。



ラッセルが日本で知られるようになり、マスタークラスなどが行われるように
なってから後の時代に、ギターを習い始めた世代、10代や20代の方にこの
右手のフォームで弾く方が多いように感じます。
つまり今の日本のギター界で主流となっている右手のフォームと奏法はこのラッ
セルのものに準じていると感じざるを得ません。

しかし私は、この奏法をギターを始めた当初から身に付けるように指導を受ける
と一生、芯のある強く美しく、心に響いてくる音を出せるようになることは
難しいのではないかと危惧しています。
それは冒頭で書いた①~⑥の問題があるからです。生徒は何の疑問もなく先生の
言われるままに奏法を身につけます。そしてその奏法で出した自分の音が正しい
音だと信じるようになります。
しかしセゴビアの奏法で初歩を学んだ立場からすると、その音は貧弱だと言わざる
を得ません。
ラッセルはラッセルなりの試行錯誤を経て、このフォームにしたわけであり、
それが一番テクニック面で自分の手に合っているのと、自分の求める音楽に
合致することを見出したからであると思います。

私がギターを始めた頃(昭和51年)はセゴビア奏法が殆ど全てといっていい
くらい主流でした。
私が初歩の頃に使った教本に阿部保夫さんが編集したカルカッシギター教則
本がありますが、その本に出てくる右手のフォームは下の写真のように弦に
対し直角で、まさにセゴビアのフォームそのものです。そしてアポヤンド奏法
の重要性をこれでもかと強調しています。



阿部保夫さんはこの教本の中で次のように述べています。
「アポヤンドだから強く、アルアイレだから弱くということはない。どちら
も同じように強くも弱くもひけねばならない。アポヤンドしたいが和音の
関係その他でできない場合も多い。そのときでもやはりアルアイレでアポ
ヤンド奏法と同じような音を出さねばならない。これはむずかしいことだが
できなければいけない。しかしこれもアポヤンド奏法、特に音階等の訓練
を充分やることによりはじめてできるものである。」

この文言の最後の部分が重要です。アルアイレで芯のある強く美しい音
が出せるようになるためには、その前提としてアポヤンド奏法による基礎
訓練の積み重ねが必要だということです。
つまりアポヤンド奏法による訓練なくしてラッセルやバルエコのような音
を出せるようにはならないということです。
アポヤンド奏法とて、ようやく芯のある音が出るようになるまで私の場合、3
年以上かかりました。

現在45度の角度で弾いていて、自分の発する音が貧弱だと認識している
方がいましたら、ぜひセゴビア奏法、とくにアポヤンド奏法によるタッチ
を研究してみてください。
その奏法を最終的に採用するかどうかは別として、今の自分の音をもっと
改善するための有益な経験を与えてくれることは間違いありません。



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鮎川信夫の詩集を買った

2011-10-23 00:13:29 | 読書
こんばんは。
今日はあいにくの雨降りでしたが、以外に暖かく、外では久しぶりに秋の
虫がたくさん鳴いていました。
いつも音楽の話なのですが、今回は本の話をしようと思います。
会社の行事や提案活動の褒賞としてもらった図書カードがたまっていたの
で、何か本を買おうという気持ちになりました。
本といっても文庫本のような安い本をたくさん買うのではなく、一生読める
ような格調高い文学書を買うことに決めました。

私は子供の時から文系で理系のものには殆ど興味が湧きませんでした。
中学時代は理科の授業が本当に苦痛でした。理科の先生も理科のできない
生徒は気に入らないらしく、私は出来ない生徒としてよくさらし者にされ
ましたね。

横道にそれましたが、子供の時から本を読むのは好きでした。小学校時代
は学校が終わると日が暮れるまで外で遊ぶ毎日だったのですが、冬になり
雪がふる直前の季節、11月頃かな、に友だちと時々町の図書館に行って
本を読んだり借りたりしました。晩秋の夕暮れの明るいオレンジ色の夕日
が差し込む静かであまり人のいない図書館の風景を今でもはっきりと覚えて
います。

その図書館で借りたのは、ポプラ社から出ていた江戸川乱歩シリーズですね。
夢中になって読みました。

中学時代はあまり文学は読みませんでしたが、高校入試の国語の試験に、
有島武郎の確か「生まれ出づる悩み」か「小さき者へ」のどちらかの抜粋
が出題されていたのをきっかけに、高校に入ってからはずいぶんと文学
を読むようになりましたが、あまり理解できないのに無理して読んでいた
という感じですね。

大学時代は殆ど文学書は読まなくなりましたが、社会人になりたてのころ、
ふと書店で赤と緑で区別された上下本が目に付き、最初の部分を立ち読み
したらなかなかよさそうだったので、買いました。それが村上春樹氏の「
ノルウェイの森」だったんですね。それから村上春樹の本を読みまくりまし
たが、それも20代半ばで終わりました。彼の小説はそれ以降いっさい読んで
いません。

その後はミヒャエル・エンデの本を読んだり、4、5年前には庄野英二氏の
全集を古本で手に入れました。
庄野英二さんの「星の牧場」という本は不朽の名作です。ご存知の方もいる
と思いますが、素晴らしい本です。いつか詳しく紹介したいと思います。

かなり本題から外れてしまいましたが、結局図書カードで買ったのは鮎川
信夫氏の詩集です。





買う前から誰のどの本を買おうと決めていたわけではありません。
とりあえず大きな書店にいって、良さそうなのがあればそれを買おうと
いう気持ちでした。
最初東京の八重洲ブックセンターに行きましたが、この書店はあまり文学
書を置いていないんですね。それで御茶ノ水まで出て東京堂書店に行きました。
そして見つけたのが鮎川信夫氏の本です。
初めて目にする名前でした。
後でインターネットでどんな人なのか調べてみましたが、戦後の現代詩の分野
では一貫して重要な存在だったようです。
本屋で一部を立ち読みしてなかなかいいんじゃないかという感触があった
のと、装丁が布張りで、しかも色が私の好きな緑色だったので、これを買う
ことに決めました。この布張りの緑色は若草色というのかわからないが、
色々な緑色がある中で一番いい色ですね。なんか優しい自然な感じ。

殆ど外見だけで決めて買いましたが、家に帰って早速読んでみたら、一見
平易な内容に見えるにもかかわらず、言わんといていることが非常に難解で
あることに気が付きました。
難しい表現ではないのに、読みとるのに大変苦労する詩ですね。
たぶん深く理解できるようになるまでに一生かかると思います。
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