緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

NHK合唱コンクール(Nコン)の審査について考えてみた

2011-10-13 23:22:27 | 合唱
こんばんは。
この前の3連休は全部、仕事のために出勤となってしまいました。
初日はNHK合唱コンクール(全国学校音楽コンクール 略してNコン)
の高校の部があり、テレビで放映されるので楽しみにしていたのですが、
朝から晩まで仕事、2日目は国内最高レベルと言われているスペインギター
音楽コンクールを聴きにいきましたが、どうしてもやらなければならない
仕事が残っていたため、審査結果を待たずにホールを出て、その足で会社に
寄りました。
会社で仕事を片付け、そろそろ帰ろうと思って会社のパソコンのメール
を見たところ、上司から「資料の説明をしてもらいたいので明日会社に
来てくれないか」と書かれていたのです。愕然としました。
ゆっくりNコンの録画を見たかったのに、結局3日目も出勤となってしまい
ました。

さて前回のブログで、10月8日に行われたNHK合唱コンクール(Nコン)
高校の部で、素晴らしい演奏をしてくれた東京都代表、大妻中野高校の
ことを述べました。その後何度もこの高校の演奏を聴きましたが、本当に
感動する演奏です。
課題曲「僕が守る」で、「~なくてはならないもの 生きる理由が分からな
いというなら、その理由を僕があげよう」、「君がいなくなると僕が困る
。だからそこにいて欲しい」、「~だから、どんな時も決して一人じゃない
ないんだよ、みんな同じ生きる仲間だから、君がつらい時は僕が助けて
あげる」の部分で、演奏者たちから伝わってくる気持ちやエネルギーは凄かっ
たです。
彼女たちの演奏を是非聴いて欲しいです。そして彼女たちが伝えようとして
いるものを感じて取って欲しいです。

今回のコンクールの出場校の演奏を聴いて感じることは、声やハーモニーを
の美しさを追求することと、詩や曲から感じ取った心情を表現することを
追求することを両立させることは至難のことであるということです。
何故か。心を歌で表現することは、声やハーモニーの美しさと相反すること
もあるからです。
でもその葛藤を超えて、あえて心や気持ちを強く表現することを選択すること
はすごいことなのだと思う。ここに大妻中野高校の演奏の価値を見出すことが
出来る。
恐らく、彼女たちは長い時間をかけて研鑽を積み重ね、みんなで考えながら
この曲に取り組んできたに違いないと思うのです。

惜しくも受賞とならなかったが、もっと評価されてよかった。
気持ちの表出だけでなく、演奏解釈も素晴らしかった。
少なくとも私はこの大妻中野高校の演奏は最上位の演奏であると確信している。

同じようなことがH21年度(第76回大会)の愛媛県立西条高校の演奏
でも言える。
西条高校の演奏する課題曲「青のジャンプ」で「ボーイズアンドガールス」
と歌う部分があるのですが、この部分で男声が力強く歌い、女声をかき消して
いるフレーズがあります。私は西条高校の演奏のこの部分が一番好きで、
最も気持ちが高揚するのですが、これもハーモニーのバランスが崩れるこ
とが分かっていても、それを承知であえて男声の力強さを前面に出して
表現することを選択したのではないかと思っています。
この部分の男声を強調することでハーモニーのバランスが悪いととられ、いい
評価が得られないかもしれないという葛藤があっても、あえてこの表現に
確信があって、選択したに違いないと思うのです。
だからこの演奏に心を惹かれるし、何度聴いても深い感動を得られるのです。
すなわち審査でいい評価を得るためという考えは全く感じられない。
審査のことを考えずに、自らの音楽解釈を信じて、それを渾身の力で表現
するから、聴き手の心に深く残り続ける感動的な演奏となったのではないか。

審査のことを考えると、どうしても上手くて美しいが聴き手に伝わるものが
少ない演奏となってしまう。
どうしても頭で解釈したものが伝わってしまう。
1回聴いて上手いな、で終わってしまう演奏になる。それは何も合唱だけに
限ったことではではないが。
あと、指導者や関係者から受賞を期待されると演奏者が重圧を感じてしまう。
重圧を感じながら期待されるとおりの歌い方をして、歌う喜びを失ってしまう。

賞はとれるかどうかは全くわからない、一生懸命演奏して、その結果もらえ
たらその時に喜べばいいや、でよいのではないでしょうか。

いい演奏とは、演奏者の心の奥のものが伝わってくるものだと思って
います。
この演奏者の心の奥のものを感じて共振できることで、心の中で埋もれて
いた気持ちが湧き起こってくる。聴いた後、心が安らかになる。そして
また何度もこの曲を聴きたいという気持ちになる。
合唱曲に求めるものは人によりさまざまだと思うが、私の願いとしては、こう
いう演奏をもっと聴きたい。
このような演奏は賞を得たい気持ちや賞をとらなければならない気持ちから
解放されている。純粋に歌だけに集中している。
受賞の結果や学校の経歴に関係なく、まっさらな気持ちで聴けば演奏者の気持
ちが伝わってくる。意識して出そうとした気持ちではなくて、元からあるよう
な気持ち。そして過去の演奏でも、その気持ちを感じて、「いい演奏だ」と感
じるものに出会えたことがあった。

11校もの数の演奏を短時間で審査して順位を決めることに無理があるし、
私はあまり受賞結果は重視していません。
しかし演奏者たちからすると、受賞することは高いモチベーションに繋がる
わけであり、重要性も高い。だから審査も慎重にして欲しいし、審査のあり方
も工夫が必要だと思う。
一生懸命努力した成果はちゃんと評価されないと人間である以上無念さが残る
のは避けられない。その気持ちも理解できる。

しかし審査は人が行うものであり、絶対的なものではないと思っています。
完全に公平な審査などありえない。
だから受賞しなかったからといって、自分たちの演奏が受賞校よりも劣って
いると感じる理由は全くないし、自分たちの演奏スタイルを変えなくてはいけ
ないと感じる必要性もないと思う。
結局自分たちで研鑽を積んで自分の音楽に確信を持つしかない。
自分たちの演奏に対する評価は、受賞の結果に関係なく、自分たちがどれだけ
真剣に取り組んできたか、どれだけみんなで悩みながらも曲を一生懸命仕上げ
てきたか、そしてその結果としての演奏を聴いて、そのことを自らが感じとる
ことでおのずと答えが出てくるのものではないかと思っています。



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