緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

プラモデルに挑戦

2021-11-19 20:03:06 | その他
今から10年くらい前から、コンテナを牽引する大型トレーラーのプラモデルを作りたいと思うようになっていた。
自分がもし中学時代のままの成績で高校時代を過ごし、青白いガリ勉になっていなかったら、おそらく大型トラックや大型バスのドライバーになっていたのではないかと思う。

小さい時からバスが好きで、遠足でバスに乗ったら窓際の席を陣取り、隣に座った子供とは一言も話さず外の景色を見るのが好きだった。
あと当時のバスの形状を全て記憶していた。しかもそれぞれの型式のバスのエンジン音までもだ。
小学校高学年のときに、家の近くのバス車庫に忍び込み、バスの中に入って椅子に座ったり寝転んだりしたものだ。子供ながら至福のひととき。
ドアは無防備にも開けっ放しになっていた。

大型トレーラーに関心を持ったのが、大学生の当時住んでいた町のある国道(1つしかないが)の交差点(丁字路で、稲穂十字街とかいったかな)で、大きく車体前方を振って、勢いよく大きなハンドルを回しながら左折する大型トレーラーの運転を見たときで、このシーンに感動したのがきっかけであった。
この時以来、大型トレーラーや大型トラックが道路を走っているのを注意して見るようになった。
この興味は意外にも長く続いた。
あの時から30数十年経つが興味は衰えていない。

今さらドライバーになるのは無理なので、代用としてプラモデルを作ってみようと考えたわけだけど、なかなか実行しようとはしなかった(コンテナ牽引の大型トレーラーのプラモデルがそもそも売っているのが見当たらないということもある)。

大型トレーラーではなかったが、先日メルカリでデットストックの古いプラモデルが出品されているのをたまたま見つけた。
ディーゼルの大型4輪駆動車だ。
1980年代から1990年代にかけて、アウトドア愛好者から強い支持を受けて、この車種としては一世を風靡したともいえる車だ。
ガソリン仕様車もわずかだが販売されたが、基本、ディーゼル車仕様であり、そのエンジン音は独特、バスやトラックなどの大型車のエンジン音に近い音と感覚を味わうことができる。
ターボは付いていないが、トルクが太いので加速は十分だ。

その車のプラモデルを買った。



1/24スケールで、意外にも部品点数は多い。



ホイールやグリル、ミラーなどはメッキ付きだ。



設計図を見ると、ディファレンシャルやプロペラシャフト、リーフスプリングまで再現されている(これらの用語を知っている人は車に詳しいかな)。







プラモレルを作るのは中学1年生以来だ。
この時作ったのはドイツの戦車。ちゃんと塗装もした。
結構記憶に残っている。ロンメルとかいったかな。
自分では出来はいいと思っていたが、2年前に死んだ親父からは駄作だと思われていたようだ(口には出さなかったけど)。
そう、親父はプラモデル造りの天才までいかないけど、模型を物凄く作るのが上手かった。
手先が器用で、几帳面で凝り性、一旦取り組み出したら際限なく熱中するタイプで、この点については私とは正反対だった(私=ずぼら、いい加減、飽きやすい)。

親父がプラモデル作りに初めて熱中したきっかけや初めて買ったプラモデルも覚えている。
寒い、雪の積もる冬のある日の夕方。
ミツヤという模型店兼おもちゃ屋に親父と一緒に行ったときのことだ。私が小学1年生か幼稚園の時だ。
私や兄に何かプラモデルを買ってあげるためだったのかもしれない。
その時、なぜか親父は初めて自分のためにプラモデルを買ったのだ。
それは結構大きなサイズの帆船のプラモデルだった。この時のことは何故かよく覚えている。
家に帰り早速プラモデル造りを始めた親父は人が変わったように熱中しだし、塗装無しで組み立てた帆船に姉が持っていた水性絵具を塗ってみたけどはじいてしまうので、プラモデル専用の塗料セットを狸小路の茶屋碁盤店とかいったかな、買ってきて、家中をシンナーの臭いを充満させながら、家族が寝ているのに毎日夜中まで作業しているというありさまだった。
そして小さな部品が無くなると、「どこいった!」と家じゅうが大騒ぎになった。
プラモデル造りの腕を上げた親父は、当時の有名デパートが主催したプラモデルコンテストに出品し、準優勝を取ったときの喜びようは普段無口で取っつきにくい姿からは想像もできないものだった。
この賞を取ったときもプラモデルも帆船だったがやや小ぶりのものだった。
化粧箱の写真のカラーのとおりだとつまらないから、別の色(確か紫が一部入っていたと思う)で仕上げたと自慢していたのが思い出される。
それから4,5年、次々とさまざまなプラモデルを買っては作っていたが、或る時母から少し考えてもらえませんか、と言われてから、一旦休止状態となった。
しかし数年後、また製作欲が再燃したのか、ホンダシビックCVCCキャンピング仕様やレーシングカーなどのプラモデルを作り始め、ショーウィンドーに入れて飾るまでになっていた。
私が言うのもなんだけど、親父の塗装技術は凄かった。
綺麗に塗るのではなく、汚れやしわ、染みのような状態も再現していた。
はっきり言って、親父は職人になった方がどれだけ自分の才能を開花できただろう。

親父のプラモデル造りが永遠に終わったのが、私が中学2年生になる頃だったと思う。
母や姉から、もう金輪際止めて下さい、と諭されたのである。
しかし意外にも親父は反論しなかった。黙って言われるままに従ったが、何かぽっかり穴の空いたような寂しさを感じているようだった。
親父が何故、母や姉の言うことに従ったのかいまだに分からないが、普通のサラリーマン(地方公務員)だった親父の当時唯一の楽しみを奪われた無念の気持ち、残酷さを思うといたたまれない。
(親父はこの後しばらくは、趣味らしい趣味は持たなかったようだったが、仕事をリタイヤしてからはワープロと庭造りに熱中するようになった)。

だいぶ話が反れてしまったが、今回買った大型4輪駆動車のプラモデル、いつになったら完成するだろうか。
まずは塗料を買わなければならない。あと工具も必要だ。
結局なんだかんだ言って出費は覚悟しなければならないな。



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