このブログもなんだかんだ言って10年以上続くことが出来た。
「書きたいときに、書きたいことを、そのままに書く」というスタンスでやってきたから長続きできたのか。
義務感とか目標を決めてなどということをやっていたら、そのうち嫌になってしまうだろう。
それと必要以上に読者のことは考えない方が良いと思う。
一応公開型日記だが、あくまでも日常の自分の生活の記録という感じで書いた方が気が楽だ。
(なので低レベルな内容、タイトルと感じる方もいるかもしれないが自分はさほど気にはしていない)
そうなのだ。あまり客観的になりすぎると本来の自分の気持ちと乖離した内容になってしまうのだ。これは日記とは言えないだろう。
今年はマンドリンオーケストラの演奏会が多くなる。
4月末に140人編成の大規模演奏会、ゴールデンウィークに小アンサンブル、7月中旬に母校55周年記念演奏会、9月上旬に社会人マンドリンクラブの定期演奏会に出る。
どの演奏会も最大限練習して悔いの残さない体験にしていきたい。
あとは臨床心理についての理解を深めること。
自分が30年以上、自らの体験から取り組んできた最大のテーマが、「心の苦しくなる原因は何か」、「心の苦しみから開放されるにはどうしたらよいのか」ということであった。
これについてはかなり考えがまとまってきている。
自分を実験台にしているとは言えないが、自分の心の問題と取り組んだ過程で「心の苦しみは必ず解決される」という実感をつかみつつあるからだ。
人間は本来、お金がなくても、孤独でも幸せに生きられるようにプログラミングされているのである。
人間が真の意味で幸福に生きられるように誰もが根源的、本来的に持っている存在のことを、ハイヤーセルフとか魂とか言われている。
人はどんなに心がボロボロになっても、この根源的な人間の「核」となるものは失われない。
この「核」となる存在に自ら気が付くことで、心の苦しみから開放されていくと思っている。
心の苦しみの原因の殆どは、「自分を憎む」、「自分を嫌う」、「自分を否定する」ことにある。
心が苦しい人はこれらのことを自ら行っていることに気が付いていない。
たとえ意識上で気が付いたとしても、このパターンを壊していくことは容易なことでないことが分かる。
強い恐怖感情に動機づけられ、反射的にこのパターンの回路が常に発動しているからである。
心の苦しみを解決するための方法が確立されていないのは、苦しんでいる本人がその原因を身をもって自ら腑に落とす以外に道が無いからである。
これは外側から行うアプローチではない。
外側からいくら働きかけをしても、本人が自ら行っていることに気が付かない限り何の効力も無いからである。
心の苦しみを薬で治すことは不可能である。
今年は、マンドリンオーケストラや講習会などを中心にして人との関わりを広げていきたいと思っている。
人のたくさんいるところに行っても、親しい関係にまでなかなかなれないということがある。
自分もそうであるが、それには理由がある。
心が開放されていないからである。
正月休みに読んだ、福永武彦の「草の花」の主人公が最後の最後で最愛の人に心を開くことが出来なかったのは、「自分は愛されるに値しない人間だ」という感じ方が心の深層に、凍土のように硬く張り付いていたからである。しかも本人はそれに気が付くことが出来なかった。
なんとも不幸で悲しいことだ。「孤独」の真の苦しみがここにある。
自分も長いことそうであったし、今も回復してきているといってもまだまだである。
しかし、この凍土がある分かっているのであれば、人との関わりの中で溶かしていくことは可能ではないかと思う。
この凍土が解けることで、先に述べた「核」となるものに触れることが出来るのではないかと確信している。
「書きたいときに、書きたいことを、そのままに書く」というスタンスでやってきたから長続きできたのか。
義務感とか目標を決めてなどということをやっていたら、そのうち嫌になってしまうだろう。
それと必要以上に読者のことは考えない方が良いと思う。
一応公開型日記だが、あくまでも日常の自分の生活の記録という感じで書いた方が気が楽だ。
(なので低レベルな内容、タイトルと感じる方もいるかもしれないが自分はさほど気にはしていない)
そうなのだ。あまり客観的になりすぎると本来の自分の気持ちと乖離した内容になってしまうのだ。これは日記とは言えないだろう。
今年はマンドリンオーケストラの演奏会が多くなる。
4月末に140人編成の大規模演奏会、ゴールデンウィークに小アンサンブル、7月中旬に母校55周年記念演奏会、9月上旬に社会人マンドリンクラブの定期演奏会に出る。
どの演奏会も最大限練習して悔いの残さない体験にしていきたい。
あとは臨床心理についての理解を深めること。
自分が30年以上、自らの体験から取り組んできた最大のテーマが、「心の苦しくなる原因は何か」、「心の苦しみから開放されるにはどうしたらよいのか」ということであった。
これについてはかなり考えがまとまってきている。
自分を実験台にしているとは言えないが、自分の心の問題と取り組んだ過程で「心の苦しみは必ず解決される」という実感をつかみつつあるからだ。
人間は本来、お金がなくても、孤独でも幸せに生きられるようにプログラミングされているのである。
人間が真の意味で幸福に生きられるように誰もが根源的、本来的に持っている存在のことを、ハイヤーセルフとか魂とか言われている。
人はどんなに心がボロボロになっても、この根源的な人間の「核」となるものは失われない。
この「核」となる存在に自ら気が付くことで、心の苦しみから開放されていくと思っている。
心の苦しみの原因の殆どは、「自分を憎む」、「自分を嫌う」、「自分を否定する」ことにある。
心が苦しい人はこれらのことを自ら行っていることに気が付いていない。
たとえ意識上で気が付いたとしても、このパターンを壊していくことは容易なことでないことが分かる。
強い恐怖感情に動機づけられ、反射的にこのパターンの回路が常に発動しているからである。
心の苦しみを解決するための方法が確立されていないのは、苦しんでいる本人がその原因を身をもって自ら腑に落とす以外に道が無いからである。
これは外側から行うアプローチではない。
外側からいくら働きかけをしても、本人が自ら行っていることに気が付かない限り何の効力も無いからである。
心の苦しみを薬で治すことは不可能である。
今年は、マンドリンオーケストラや講習会などを中心にして人との関わりを広げていきたいと思っている。
人のたくさんいるところに行っても、親しい関係にまでなかなかなれないということがある。
自分もそうであるが、それには理由がある。
心が開放されていないからである。
正月休みに読んだ、福永武彦の「草の花」の主人公が最後の最後で最愛の人に心を開くことが出来なかったのは、「自分は愛されるに値しない人間だ」という感じ方が心の深層に、凍土のように硬く張り付いていたからである。しかも本人はそれに気が付くことが出来なかった。
なんとも不幸で悲しいことだ。「孤独」の真の苦しみがここにある。
自分も長いことそうであったし、今も回復してきているといってもまだまだである。
しかし、この凍土がある分かっているのであれば、人との関わりの中で溶かしていくことは可能ではないかと思う。
この凍土が解けることで、先に述べた「核」となるものに触れることが出来るのではないかと確信している。
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