緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

今年の抱負(2024)

2024-01-02 22:58:55 | その他
数時間前に羽田空港が衝突事故で大変なことになっていたが、今日、帰省先から無事帰ることが出来た。
年末年始は大抵、JALを利用しており、1月2日午後の便で自宅に戻ることが殆どであるが、今回はJALの介護帰省割引の更新手続きが遅れ、ピーチを利用したので幸い事故の影響を受けることはなかった(事故機に乗り合わせた可能性も十分あっただろうが)。

つかの間の正月休みだった。
年末の30日に母が入所している施設に兄とともに訪問、母の部屋で3時間ほど過ごした。
母は体が不自由で歩けないが、記憶ははっきりしており、昔のこともよく憶えている。
今回は兄の提案でギターを持って行って、母の前で3曲、タレガのアルハンブラ宮殿の思い出、バリオスの最後のトレモロ、そしてタレガのアラビア風奇想曲を弾かせてもらった。
いつも人前でも、自宅で録音するときも緊張で手が震えたり、夥しい量の発汗が生じるのであるが、何故かこの時は全く緊張せず、それも殆どノーミスの会心の出来だった。
何故だろう。弾いている最中は至福感のような気持ちすら感じられた。
アラビア風奇想曲を弾いているとき、母が「この曲覚えている、懐かしい」と言って、メロディを口ずさんでくれた。憶えてくれたのである。
思えばこの曲は高校生の時に弾き始め、実家でよく弾いていた記憶がある。馬鹿の一つ覚えのように同じ曲を何度も弾くので自然に憶えてしまったのであろう。
この曲は大学時代のマンドリンクラブの夏合宿の独奏会や、就職後間もない頃にある青年の集いで大勢の前で弾いたことがあったが、何故かミスせず上手くいった。
それ以来弾くこともなく数十年が過ぎたが、1年ほど前に練習を再開した。
母は20代の殆どを結核で療養生活を強いられ、結婚してからも他の病気で何度か入院したり、現在も病気を多数抱えているが、体の丈夫だった父よりも長生きしている。長い間民生委員や内職など働いていたほか、家のこまごまとした仕事を体が不自由になってからも絶えず自主的にやっていたことが長寿につながっているのではないかと思う。
年老いた母親と接して感じるのは、母親というのは自分の子供を、その幼かった頃、一番、手のかかる年頃だけど一番交流の深かった頃のことを重ねながら見ているのではないかということだ。本人は意識してはいないだろうが。

年末年始の実家で料理や酒をたらふく堪能したせいで、いさんの逆襲に会い、ちょっちと不調だ。実家でおいしい酒を飲んだのでその銘柄を後日記事にしたい。
このブログもなんだかんだいって今年で13年目だ。
ある方(ピアノを弾いている方だったが)のブログをたまたま読んでみたらこれが面白く、自分もこういうの書きたいなと思って始めたのがきっかけだったが、絶え間なくよく続いているし、やめようと思ったことは一度もない。
何故かというといよく分からないが、多分、書きたいときに、書きたいことを、出来るだけ感じるままに(飾らずに)書いているからではないかと思う。
だから、ときに汚い話(ゲロ吐いたなど)もで出るし、暗く重たく個人的なこと、何でこんなこと書くの?(とくに心理テーマ)といった話題も思いつくままに書いてきた。
昔から人に話をするのは苦手だったが、書くのは好きだったと思う。
書くのはいくらでも泉のように湧き出してくるといった感じか。
昨年は仕事以外では、マンドリン合奏の活動が増えたため、その関連の記事が多かったと思う。
4月の大規模演奏会、その直後のマンドリンアンサンブル発表会、そして私にとっては最大のイベント、母校55周年記念演奏会への出演、その懇親会で入部を決定した(させられた?)千葉マンドリンクラブの練習参加、東京マンドリンクラブ第50回定期演奏会、同団体パート発表会、千葉マンドリンクラブ定期演奏会、同団体部内発表会といったイベントに参加することが出来た。
なので仕事以外の時間は殆どがこのイベントのための練習に費やされ、それ以外のことに時間を振り向けることが出来なかったのがちょっと心残りの1年ではあった。
今年は東京マンドリンクラブと千葉マンドリンクラブの定期演奏会がメインイベントとなるのですこし独奏曲のレパートリーを増やすことを考えている(あ、そういえば夏にもう1つイベントがあったっけ)。
もう練習を始めているが、ドメニコーニの曲と宍戸睦郎のギター曲、あとはアセンシオのあの有名曲(組曲)の中から何曲かを完成させたいと考えているところだ。
あとは、これは随分前から考えていたことなのだが、プロの先生の指導を期間限定で受けたいとも考えている。ギターと音楽(リズム、和声、読譜、音楽解釈など)についてだ。
またこれはまだ夢の部類なのであるが、これ以上無いというくらい暗く、荒涼としていて、不気味で難解な、哲学的要素と人間の負の感情の両面をテーマにした無調の現代音楽(ギター独奏曲)を創作したいとも考えている。こういうことをテーマにした作曲家はN氏以外にいないのではないかと思う。Youtube等で折に触れて探しているが見つけることが出来ない。ならば自分で作ってみようか、という単純な発想だ(実現可能性はいかほど?)。

人間心理の探求と恐怖症解決への取り組みに関しては1週間程前に期待出来そうな教材を購入し、現在取り組み中のところ。
このテーマに関しては、かなり考えがまとまってきている。対人恐怖、うつ病などの心の苦しみが何故起きるのか、そしてその苦しみを解決するには何が必要で、どういうことに取り組めばいいのか、ということに関してかなり理解の進展が見られた。
そしてその考えや方法について自分の実体験からかなりの確信を抱いている。
その成果についても昨年に引き続き記事にしていくつもりだ。

仕事面では今年3月に大きな節目を迎える。
65歳までは今の仕事を続けることが出来るが(ただラインからは外され、品質向上、若手育成のための業務とのこと)、正直、今の仕事は入社以来殆ど絶え間なくやってきた仕事であり、もう十分やりつくしたという感がある。
恐らく、対人関係が下手なことと、資料を作るのはいくらでも耐えられるという性質だったためこの分野でめしを食わせてもらってきたのであろうが、そろそろ別の新たな分野に取り組みたいということを数年前から意識してきた。
今年はそのための土台造りに取り組もうと考えているところだ。

そういえば帰省中に小津安二郎監督の「東京物語」という映画をDVDで見たが、とてもいい映画だった。1953年の作品であり、日本の戦後間もない、まだ貧しさが残る時代の映画だったが、そこに描かれる人間たちが素晴らしかった。今の時代には消滅してしまったであろう人たちが映っていた。
1950年代から1970年代の日本ほど、素晴らしかった時代は無いと思っている。貧しかったが、人間は生き生きとしており、とてつもなく優しい人がたくさんいたことが分かる。
こういう映画や文学作品を今、あえて鑑賞することで感受性豊かでブレない生き方の一助にしてくれるような気がする。

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