緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

モーツァルト作曲「幻想曲ハ短調K.396」を聴く(2)

2016-05-05 23:35:42 | ピアノ
先日、朝食を食べながら、リリー・クラウスの弾くモーツァルトのピアノ曲集を聴いていたら、昔よく聴いた懐かしい曲が流れてきた。
「幻想曲ハ短調K.396(Fantasia in C Minor, K.396)」(1782年作曲)である。



この曲は元々モーツァルトがピアノとヴァイオリンのためのソナタとして書き始めたのであるが、未完に終わり、モーツァルトの死後、マクシミリアン・シュタードラーという人が補筆し、ヴァイオリン部を省いてピアノ幻想曲として出版されたのだそうだ。
モーツァルトの曲には未完となった曲がいくつかあるようだが、この幻想曲ハ短調K.396は他人が補筆したとはいえ、なかなか聴き応えがある曲で私の好きな曲の一つである。

この曲を好きになったきっかけは以前にも記事にしたが、旧ソ連時代のピアニスト、マリヤ・グリンベルクの演奏を聴いてからだ。



初めて聴いた時は大きな衝撃を受けたが、しばらく期間を経て改めて聴き直してみてもその感動は変わらない。
彼女の演奏で初めてこの曲を聴いてから、他の演奏家の演奏もいくつか聴いてみた。
ヴァレリー・アファナシエフ、リリー・クラウス、エドヴィン・フィッシャーなどの演奏だ。







今回新たにワルター・ギーゼキング、ルドルフ・フィルクスニー(Rudolf Firkušný)を加えて聴き比べをしてみた。





しかしやはり圧倒的にマリヤ・グリンベルクの演奏の方が素晴らしい。
音に精神的な力がみなぎっているし、短調から長調へ転じた後の上昇和音の連続部と、その直後のトリルが現れる部分などは聴いていて自然に躍動感を覚える。
短調での沈んだやや悲痛な気持ちから、晴れ渡るような明るい気持ちに転ずる、その対称的な表現が聴きものである。
ギーゼキングも音に力があるが、この人の音は時に必要以上に強すぎるように思うことがある。また難しいパッセージの部分も速くしすぎる傾向もある。
ギーゼキングの弾く、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番の演奏などはまさにその典型だ。
しかしこのモーツァルトの幻想曲は全体的には抑制されたいい演奏だ。

ルドルフ・フィルクスニー(Rudolf Firkušný,1912~1994)は、今回初めて聴くチェコ出身のピアニストであるが、ヤナーチェクなど自国の作曲家の録音が多いようだ。
今回の幻想曲の録音はライブ演奏であるが、破綻が殆ど無く、技巧的にも優れている。
ウィキペディアで調べてみると、その演奏の特徴は、「彼の演奏はその人柄を反映してか、けれん味がなく穏やかで自然な演奏」と評されている。
この幻想曲の演奏は、それに加えて情熱的な表現も垣間見せている。
表現の幅はギーゼキングよりも広く感じられた。
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藤掛廣幸作曲「グランド・シャコンヌ」を聴く

2016-05-05 00:42:49 | マンドリン合奏
だんだんと暑くなってきたが、静かな深夜に聴くにふさわしい音楽を聴いている。
藤掛廣幸作曲「グランド・シャコンヌ」だ。
私が初めて聴いたマンドリン・オーケストラ曲だ。
1980年代初めの大学入学後に、何気なく立ち寄った母校のマンドリンクラブの新入生歓迎コンサートを聴いた時に演奏された曲だ。
私は既にクラシック・ギターを弾いていたのであるが、マンドリンを聴くのはこの時が初めてだった。
この曲の母校の演奏を聴いて衝撃を受けた。
今まで聴いたことのない音の、半端でない強いエネルギーを感じた。
ギター独奏とは全く別世界の音楽だった。
演奏者たちの、指揮者の指揮棒に合わせて揺れる上体の動き、指揮者を見る眼を見て、何とも言えない感動を覚えた。
それは演奏者たちが無心にこの曲に集中している表れだった。
この時の光景は今でもはっきりと憶えている。そのぐらい衝撃だった。

「シャコンヌ」とは、テーマが次々と変奏されてゆくバロック音楽時代の音楽形式であり、有名なものに。J.S.バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第2番の終曲がある。
しかし、藤掛廣幸のこの「グランド・シャコンヌ」は音楽形式による構成美よりも、日本独自の感性を活かした、極めて情熱的な音楽を創り出した。
旋律は日本の1960年代後半から1970年代前半の時代を感じさせるものだ。
この曲を聴くと、私が小学校から中学校時代の頃が蘇ってくる。
秋風の吹く中、丈の長い枯草の中で遊んだ幼年期、バレーボールやギターに熱中し、新聞配達をしていた中学校時代。
豊平川でドジョウ取りをしたり、羊ケ丘の農業試験場でザリガニ取りをしたこと。旧千歳線の廃線の線路を超えて、友達の家に遊びにいったこと、晩秋に月寒の共進会場まで1時間くらい歩いてミニスキーを買いに行ったこと。
中学に入って、何か月も一切勉強しなかったこと、そのためにひどい成績だったこと。でもとても楽しかった。

この「グランド・シャコンヌ」が作られ、この曲を初めて聴いた頃の情景が次々と浮かんでくる。
この時代は私にとって、最も思い出に残る時代だ。
この私にも強い情熱があった時代のことを思い出させる。
私のその後の青年期の人生はあまり思い出したくない。

しかしこの「グランド・シャコンヌ」や「スタバート・マーテル」に出会えたことは、50を超えた今大きな意味を持っている。
音楽とは聴き手のそれまでの人生の歩みと無関係に聴くことは出来ないと思う。
聴き手の人生途上の何か、体験したことを呼び覚ます音楽が凄いし、素晴らしいのである。
その音楽とは見かけの格調性の高さとか、芸術性の高さとは関係ない。
その音楽を作った人の人間の人生、信念そのものが表れるものである。

「グランド・シャコンヌ」は幸運にも大学4年生の定期演奏会で弾くことが出来た。
大学生での最後の定演の最終曲で、燃え尽きるまで弾き切った曲だ。

自分たちの演奏した録音は残っていないが、この曲のお勧めの録音は以下のCDとなる。








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