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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2016年「鈴木静一展」を聴く

2016-05-15 23:35:14 | マンドリン合奏
今日、東京新宿オペラシティ・コンサートホールで鈴木静一の曲だけを集めて演奏する「鈴木静一展」が開催されるので、聴きに行った。
鈴木静一(1901~1980)は日本のマンドリン・オーケストラ界で多大な貢献をした人である。
鈴木静一は当初声楽を目指したがギター・マンドリン演奏に転向し、30代半ばまでいくつかのマンドリン・オーケストラ曲を作曲したが、その後30年間の長きに渡りマンドリン界から退き、職業的作曲家として映画やドラマなどのBGMを作曲していたようである。
そして60代半ばにマンドリン界に復帰、その後亡くなるまで数々のマンドリン・オーケストラ曲の名曲を生みだした。
1960年代半ばから1980年代半ばの時代に、日本のマンドリン界は最盛期だったと言われ、多くの大学にマンドリンクラブが生まれたが、この背景に鈴木静一の影響があったことは疑いのないことであろう。
私も1980年代前半に、大学のマンドリンクラブで幸運にも鈴木静一の主要曲を弾く体験を得ることができた。
この若き時代に、鈴木静一の曲に出会い、強い影響を受け、実際に演奏できたことは、かけがえのない財産になっている。
今日家に帰って学生時代に弾いた楽譜を引っ張り出してみたが、母校のマンドリンクラブで、演奏した鈴木静一の曲は以下であった。

・交響譚詩「火の山」
・劇的序楽「細川ガラシャ」
・交響詩「失われた都」
・大幻想曲「幻の国」
・悲愴序曲「受難のミサ」
・交響曲「皇女和宮」
・スペイン第二組曲
・狂詩曲「海」

こうしてみると鈴木静一の主要曲はほとんどカバーされているが、これはこの時代の母校の選曲に、鈴木静一の曲を優先していたからである。
何故鈴木静一の曲を優先して選んだのか。
それはあの時代の学生たちに、エネルギーや情熱を引き出す強い力が鈴木静一の曲にあったからだ。
では何が、鈴木静一の曲は我々をとりこにさせるのか。
人によって様々であろうが鈴木静一の曲に見られる独特の旋律、和声、リズム等は、日本人が古代から脈々と積み重ねてきた、日本独自の音楽的感性、それは島国日本が築いてきた閉鎖的環境から生まれた抑圧的感情から派生したものに相違ないと思うのだが、私はその感情が音楽という形で昇華したものではないかと思っている。
その多くが陰旋法による旋律であるが、暗い、寂しい、侘しい、悲しい等の感情が伝わってくる。
同じ「悲しい」でも、外国の音楽のようにストレートに感情が伝わってくるものではなく、抑圧的感情から出る「悲しさ」、昔の人が短歌にしてその気持ちを詠んだという奥ゆかしさが感じられる。
だから暗さ、重々しさがつきまとうが、それが逆に聴き手の心をつかむ。
その一方で、鈴木静一の曲には、日本の祭りのような明るい華やかな箇所が随所に現れる。
神輿を担ぎ、笛を吹き太鼓を鳴らして行進した日本独自のお祭りだ。
おのずと躍動感を感じ、腹に熱い感情が湧き起る。
それゆえに鈴木静一の曲には打楽器のパーカッションが多く使用されている。
このように鈴木静一の曲に魅力を感じる理由は、どんなにその文化や生活習慣が西洋化されようと、決して拭い去ることの出来ない、日本特有の根源的独自性、言わば日本的郷愁を聴き手に感じさせるからではないだろうか。

鈴木静一よりも13歳後で生まれた伊福部昭の「交響譚詩」、「日本狂詩曲」、「ピアノ組曲」や、芥川也寸志の初期の管弦楽「交響三章 トゥリニタ・シンフォニカ」なども、鈴木静一と類似する曲想、モチーフが使われているが、西洋の音楽が輸入される前の、日本独自の音楽が根付いていた時代の影響だと思われる。
その後、日本の音楽は西洋の音楽が急速に輸入され、日本の作曲家たちは前衛時代に多くの難解な無調音楽を生みだしたが、鈴木静一や伊福部昭は独自の路線を歩んだ。
ここに彼らの自分の音楽に対する強い信念を感じる。
多くの日本の作曲家たちは、前衛時代が終焉すると、無調音楽を捨てた。聴衆を意識しているからであろう。
作曲は聴衆あっての仕事であるが、流行や時流に関係なく、まずは自分の最も信念とするところの音楽を極めていくべきだと思う。
時代遅れだとか、流行遅れだとかは関係ない。その音楽に強い信念と感性があれば、聴き手は必ずついてくる。
前衛音楽にしても、徹底的にそれを貫いていればおのずと聴き手を感動させられるのである。

前置きが大変長くなったが、今日の「鈴木静一展」を聴いてまず思ったことはそのことである。
会場に着いて驚いたのが、訪れる人の多さである。
1632席のキャパをもつこのホールの、1階席、2階席はほぼ満席。
これほど鈴木静一の曲を聴きたい人がいるということにまずびっくりした。
ただ、客の殆どが中年以降の年代がおおく、若い世代は少ないようであった。
客の多くは、1960年代から1980年代前半を学生時代として大学のマンドリンクラブで鈴木静一の曲を弾いた方であろう。
今日の演奏者も、約8割が40代以上、50代以上が6割以上であった(プログラムより)。

さて今日のプログラムであるが、以下のとおり。

第一部
・バリのガメラン(1977年)
・交響詩「比羅夫ユーカラ」(1970年)

第二部
・「スペイン」第二組曲
・長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」(1969年)

これらの曲は今回初めて聴くわけではなく、既にCD等で聴いており、「スペイン」第二組曲は学生時代に実際に演奏もしたが、やはり生演奏はCDで聴くのとでは感動する度合いが全然違う。
マンドリンオーケストラ曲は絶対に生演奏、それもレベルの高い団体の演奏を聴くに限る。
今回の演奏者は、「鈴木静一さんの音楽を愛する方ならどなたでもご参加いただけます」という主催者の案内から想像されるレベルをはるかに超えるレベルの高いものであった。
それもそのはず、社会人のマンドリン団体からの参加が殆どのようで、学生時代に弾いていたけど、何十年ぶりに演奏を再開して参加したという方は殆ど見受けられないように思われた。
管楽器やパーカッションの賛助も素人の域を超えるようなレベルで、実際、「比羅夫ユーカラ」のソプラノや「朱雀門」のナレーションの方々はプロであった。
そこに少なからずギャップを感じ、演奏はミスや乱れの無い洗練されたレベルの高いものであったが、自分としては、欲を言えば少し粗削りであってももっと昔を思い出させるような、もっと炸裂するようなパワーも感じさせて欲しかった。

第1曲目「 バリのガメラン」は、南国の島、バリ島のガメランという民族音楽をモチーフにしたとのことであるが、冒頭から日本古来を思わせる音楽で始まった。
雅楽で用いるような太鼓の音、日本の夜に聴こえてくるような静寂の音、しかしほどなくして明るい南国の音楽にがらっと移り変わる。
どことなく沖縄の音楽が感じられないでもないが、とにかく南国らしく明るい。
しかしまた静かな夜の静寂を思わせる音楽に転じる。ここでも古い日本的情緒を強く感じさせる箇所がある。
ここが鈴木静一の曲の特徴だ。
どんな曲でも体に染みついた自分の音楽的独自性が自然に現れてしまうのではないか。

第2曲目「交響詩 比羅夫ユーカラ」は以前記事で紹介したことがあるが、作者が北海道のニセコを旅したときに、比羅夫の寂しいを見て、以前から考えていたアイヌコタンを素材として作られた音楽だと言われている。
JR函館本線の小樽から倶知安の間に、比羅夫という小さな駅があるが、かつて北海道の原住民であったアイヌ民族のコタン()があったのであろう。
アイヌはこの音楽の解説を読むと分かるが、随分長い間、迫害を受けてきた。
北海道出身の児童文学作家、石森延男の名作「コタンの口笛」によると、昭和30年代初めまで千歳周辺にもアイヌ民族の生き残りのが点在し、和人(北海道以外の地方から移住してきた人々)から差別的扱いを長い間受けてきたことがわかる。
ところどころにソプラノの歌声が挿入されるが、その歌声は終始悲痛である。
アイヌの苦しみを表現する部分はとにかく暗く悲しい。アイヌを征伐する軍の活気ある有様を表現する部分との落差が激しい。
作者はその両方を出来るだけリアルに表現しているが、最後はアイヌの悲痛な気持ちを唄い、静かに曲を終わらせた。
ここが作者の人間性の表れであろう。

第3曲目は「スペイン」第二組曲であるが、これも以前に記事にしたが、作者がスペインに旅行した時の印象を曲にしたと言われている。
ゆっくりと走る列車の窓から見えるスペインの明るい太陽の日差しを受けた広大なひまわり畑を思わせるような旋律で始まり、スペインの名所や伝統的なフラメンコの音楽を素材として組曲にしたものであるが、この曲でも先のガメランと同様に、しらずしらずのうちに「鈴木節」とも言える音楽が混入されているのを聴いて、思わずほほえましく感じた。

最終曲は長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」であるが、演奏時間が30近くにもわたる長大な曲である。
しかも音楽物語の演奏形態をとり、ナレーション(朗読)が主役であり、音楽演奏が物語をさらにリアルに深い感慨を与えている。
今日のナレーションは若い方であったが、自信に満ちよどみない素晴らしいものであった。
育ちの良い長谷雄と鬼とは全く異なる存在ゆえに、会話を使い分けるのはさぞ難しかったと思うが、最後まで緊張感を失わなかったのが良かった。
長谷雄が、鬼が用意した美女の美しさに惹かれていく様を表現した部分の音楽が印象的だ。
昔の音楽はこのような場面でも、はかなく悲しく表現されるのが意外にも新鮮に感じた。決して明るい夢心地の音楽にしない。さずがだと思う。
ここがこの音楽の核心だと感じた。

今回の演奏会では交響詩「比羅夫ユーカラ」と、長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」が良かった。
演奏者たちから伝わる熱気を感じて、鈴木静一の音楽は聴き手の気持ちに潜在的に眠っている情熱を呼び覚ます力を秘めていると感じた。
1曲ごとに、まるで演奏が全て終了した時に出るような拍手が長い間鳴り響いた。
アマチュアでありながら、最高レベルの演奏を感動的に演奏してくれたことに対する感謝の気持ちで溢れていた。

この「鈴木静一展」は毎年演奏するようだ。
私もこのような大舞台で一度でも演奏できればと夢見ている。
もし夢がかなうのであれば、私の最も好きな曲である、交響譚詩「火の山」が演奏曲目の時に参加してみたい。



【追記20160516】
プログラムの中に、演奏者たちの「鈴木静一作品で弾きたい曲は?」というアンケート結果が載っていたが、1位が予想通り「失われた都」、2位が意外にも「火の山」であり、1位にも近い得票であった。
私は、「火の山」の方が、曲の構成力、旋律の美しさ、曲の主題と音楽の適合性、曲の変化の巧みさ等において、数段優れていると確信している。
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