今日、近くの図書館で「山田耕作の遺産Ⅱ(器楽編)」なるCDを借りてきいてみた。
この「山田耕作の遺産」シリーズのCDは今から15年ほど前に、東京高田馬場のムトウレコード店で、「歌曲編」を買ったことがある。
「からたちの花」や「荒城の月」のピアノ編曲版などを収めたものであるが、「春雨」という端唄を山田耕作がピアノに編曲した曲がとても印象に残った。
典型的な五音音階陰旋法による純日本的な曲である。
いまやこの手の音楽は、正月や特別な演奏会でしか聴けなくなった。
しかし当時の日本の音楽といえば、この「春雨」のような曲が殆どだったに違いない。
しかし美しい。
この音階による音楽は世界に類を見ない。
もっと世界に伝えるべき音楽だ。
日本人は、日本古来のもの、伝統的なものにコンプレックスを抱く傾向がある。
西洋のものが優れていると思うことが多い。
箏、尺八、篠笛などの音色や音楽に若い世代は殆ど関心を向けなかった。
いやもっと上の年代でも関心を示す人は少ない。
ビートルズの音楽に日本中の若者が熱狂していた1960年代に、伊福部昭の「古代日本旋法による踏歌」や「箜篌歌」が作曲されたが、殆ど取り上げられることはなかった。
楽譜は長い間絶版となっいた。
ビートルズやレッド・ツェッペリンでみんなが浮かれていた時に、若い人がこういう純日本的な音楽に関心を向けることは、変わり者と思われたのであろうか。
しかし日本の伝統音楽には西洋の音楽には絶対にない、独自のものがある。
その日本のルーツとも言える日本人の感じ方に触れられるのも、日本の伝統音楽を通してである。
古い流行歌でもこの手の旋法を使用したものがあるが、この「春雨」はもっと日本の古い根源的なものを感じる。
今度古い民謡や子守唄の音源を探したいと思っている。
そこに必ず、西洋の文化の影響を受けなかった、日本の独自の文化や人々の感じ方を見出せるに違いない。
この「山田耕作の遺産」シリーズのCDは今から15年ほど前に、東京高田馬場のムトウレコード店で、「歌曲編」を買ったことがある。
「からたちの花」や「荒城の月」のピアノ編曲版などを収めたものであるが、「春雨」という端唄を山田耕作がピアノに編曲した曲がとても印象に残った。
典型的な五音音階陰旋法による純日本的な曲である。
いまやこの手の音楽は、正月や特別な演奏会でしか聴けなくなった。
しかし当時の日本の音楽といえば、この「春雨」のような曲が殆どだったに違いない。
しかし美しい。
この音階による音楽は世界に類を見ない。
もっと世界に伝えるべき音楽だ。
日本人は、日本古来のもの、伝統的なものにコンプレックスを抱く傾向がある。
西洋のものが優れていると思うことが多い。
箏、尺八、篠笛などの音色や音楽に若い世代は殆ど関心を向けなかった。
いやもっと上の年代でも関心を示す人は少ない。
ビートルズの音楽に日本中の若者が熱狂していた1960年代に、伊福部昭の「古代日本旋法による踏歌」や「箜篌歌」が作曲されたが、殆ど取り上げられることはなかった。
楽譜は長い間絶版となっいた。
ビートルズやレッド・ツェッペリンでみんなが浮かれていた時に、若い人がこういう純日本的な音楽に関心を向けることは、変わり者と思われたのであろうか。
しかし日本の伝統音楽には西洋の音楽には絶対にない、独自のものがある。
その日本のルーツとも言える日本人の感じ方に触れられるのも、日本の伝統音楽を通してである。
古い流行歌でもこの手の旋法を使用したものがあるが、この「春雨」はもっと日本の古い根源的なものを感じる。
今度古い民謡や子守唄の音源を探したいと思っている。
そこに必ず、西洋の文化の影響を受けなかった、日本の独自の文化や人々の感じ方を見出せるに違いない。
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