だんだんと暑くなってきたが、静かな深夜に聴くにふさわしい音楽を聴いている。
藤掛廣幸作曲「グランド・シャコンヌ」だ。
私が初めて聴いたマンドリン・オーケストラ曲だ。
1980年代初めの大学入学後に、何気なく立ち寄った母校のマンドリンクラブの新入生歓迎コンサートを聴いた時に演奏された曲だ。
私は既にクラシック・ギターを弾いていたのであるが、マンドリンを聴くのはこの時が初めてだった。
この曲の母校の演奏を聴いて衝撃を受けた。
今まで聴いたことのない音の、半端でない強いエネルギーを感じた。
ギター独奏とは全く別世界の音楽だった。
演奏者たちの、指揮者の指揮棒に合わせて揺れる上体の動き、指揮者を見る眼を見て、何とも言えない感動を覚えた。
それは演奏者たちが無心にこの曲に集中している表れだった。
この時の光景は今でもはっきりと憶えている。そのぐらい衝撃だった。
「シャコンヌ」とは、テーマが次々と変奏されてゆくバロック音楽時代の音楽形式であり、有名なものに。J.S.バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第2番の終曲がある。
しかし、藤掛廣幸のこの「グランド・シャコンヌ」は音楽形式による構成美よりも、日本独自の感性を活かした、極めて情熱的な音楽を創り出した。
旋律は日本の1960年代後半から1970年代前半の時代を感じさせるものだ。
この曲を聴くと、私が小学校から中学校時代の頃が蘇ってくる。
秋風の吹く中、丈の長い枯草の中で遊んだ幼年期、バレーボールやギターに熱中し、新聞配達をしていた中学校時代。
豊平川でドジョウ取りをしたり、羊ケ丘の農業試験場でザリガニ取りをしたこと。旧千歳線の廃線の線路を超えて、友達の家に遊びにいったこと、晩秋に月寒の共進会場まで1時間くらい歩いてミニスキーを買いに行ったこと。
中学に入って、何か月も一切勉強しなかったこと、そのためにひどい成績だったこと。でもとても楽しかった。
この「グランド・シャコンヌ」が作られ、この曲を初めて聴いた頃の情景が次々と浮かんでくる。
この時代は私にとって、最も思い出に残る時代だ。
この私にも強い情熱があった時代のことを思い出させる。
私のその後の青年期の人生はあまり思い出したくない。
しかしこの「グランド・シャコンヌ」や「スタバート・マーテル」に出会えたことは、50を超えた今大きな意味を持っている。
音楽とは聴き手のそれまでの人生の歩みと無関係に聴くことは出来ないと思う。
聴き手の人生途上の何か、体験したことを呼び覚ます音楽が凄いし、素晴らしいのである。
その音楽とは見かけの格調性の高さとか、芸術性の高さとは関係ない。
その音楽を作った人の人間の人生、信念そのものが表れるものである。
「グランド・シャコンヌ」は幸運にも大学4年生の定期演奏会で弾くことが出来た。
大学生での最後の定演の最終曲で、燃え尽きるまで弾き切った曲だ。
自分たちの演奏した録音は残っていないが、この曲のお勧めの録音は以下のCDとなる。
藤掛廣幸作曲「グランド・シャコンヌ」だ。
私が初めて聴いたマンドリン・オーケストラ曲だ。
1980年代初めの大学入学後に、何気なく立ち寄った母校のマンドリンクラブの新入生歓迎コンサートを聴いた時に演奏された曲だ。
私は既にクラシック・ギターを弾いていたのであるが、マンドリンを聴くのはこの時が初めてだった。
この曲の母校の演奏を聴いて衝撃を受けた。
今まで聴いたことのない音の、半端でない強いエネルギーを感じた。
ギター独奏とは全く別世界の音楽だった。
演奏者たちの、指揮者の指揮棒に合わせて揺れる上体の動き、指揮者を見る眼を見て、何とも言えない感動を覚えた。
それは演奏者たちが無心にこの曲に集中している表れだった。
この時の光景は今でもはっきりと憶えている。そのぐらい衝撃だった。
「シャコンヌ」とは、テーマが次々と変奏されてゆくバロック音楽時代の音楽形式であり、有名なものに。J.S.バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第2番の終曲がある。
しかし、藤掛廣幸のこの「グランド・シャコンヌ」は音楽形式による構成美よりも、日本独自の感性を活かした、極めて情熱的な音楽を創り出した。
旋律は日本の1960年代後半から1970年代前半の時代を感じさせるものだ。
この曲を聴くと、私が小学校から中学校時代の頃が蘇ってくる。
秋風の吹く中、丈の長い枯草の中で遊んだ幼年期、バレーボールやギターに熱中し、新聞配達をしていた中学校時代。
豊平川でドジョウ取りをしたり、羊ケ丘の農業試験場でザリガニ取りをしたこと。旧千歳線の廃線の線路を超えて、友達の家に遊びにいったこと、晩秋に月寒の共進会場まで1時間くらい歩いてミニスキーを買いに行ったこと。
中学に入って、何か月も一切勉強しなかったこと、そのためにひどい成績だったこと。でもとても楽しかった。
この「グランド・シャコンヌ」が作られ、この曲を初めて聴いた頃の情景が次々と浮かんでくる。
この時代は私にとって、最も思い出に残る時代だ。
この私にも強い情熱があった時代のことを思い出させる。
私のその後の青年期の人生はあまり思い出したくない。
しかしこの「グランド・シャコンヌ」や「スタバート・マーテル」に出会えたことは、50を超えた今大きな意味を持っている。
音楽とは聴き手のそれまでの人生の歩みと無関係に聴くことは出来ないと思う。
聴き手の人生途上の何か、体験したことを呼び覚ます音楽が凄いし、素晴らしいのである。
その音楽とは見かけの格調性の高さとか、芸術性の高さとは関係ない。
その音楽を作った人の人間の人生、信念そのものが表れるものである。
「グランド・シャコンヌ」は幸運にも大学4年生の定期演奏会で弾くことが出来た。
大学生での最後の定演の最終曲で、燃え尽きるまで弾き切った曲だ。
自分たちの演奏した録音は残っていないが、この曲のお勧めの録音は以下のCDとなる。
良く表現されていると思います。人によって聴く音楽
の評価がまちまちなのがその裏返しかもしれません。
<音楽とは聴き手のそれまでの人生の歩みと無関係
に聴くことは出来ないと思う。聴き手の人生途上の何
か、体験したことを呼び覚ます音楽が凄いし、素晴ら
しいのである。その音楽とは見かけの格調性の高さ
とか、芸術性の高さとは関係ない。その音楽を作った
人の人間の人生、信念そのものが表れるものである。>
今回は下記録音で聴かせていただきました。
いつもありがとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=6PUhCg8U6J8
作曲家の藤掛廣幸氏自身の指揮によるYoutubeの演奏、聴かせていただきました。
ありがとうございます。
こうして聴いてみるとマンドリン・オーケストラの曲は、独特ですね。
クラシック音楽ですと、器楽にしてもオーケーストラにしても、編成は違えど音楽に共通したものを感じますが、マンドリン・オーケストラ曲は音楽界で孤高の世界といった感じでしょうか。
マンドリンの音は独特なので聴き手を選びますが、その音楽にはまってしまったらなかなか抜け出せないものです。