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世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

私とクマについての考察

2011年04月22日 | Weblog
先週の金曜日からイギリスを旅行していた母ヨーコたんと妹・芋子が、今朝、帰国した。
仕事を終えた後、ヨーコたんと久々に電話で話せて満足(←普段は毎日電話している)。
最近、私が苛々していたのは彼女と話していなかったからなのかもしれない。

クマを買ってくれたもよう!
嬉しい!
どんなクマだろうか。早く会いたいなあ。

我が家の国際色豊かなクマたち。

ナイアガラの滝で母に買われたロッキー。
我が家で一番の器量良し。
優しい性格。



ニューヨークの空港で母に買われたマック。
日本語が若干怪しい。



同じく、ニューヨークのおもちゃ屋で私によって買われたワルツくん。
シュタイフ社のクマ。



チェジュ島からやって来たチェジュちゃん。
この子も母が買ってきてくれた。
モテ系。



どの子も遥々遠くの国からやってきた。我が家に来てくれたのも何かの縁。この子たちが幸せであることが私の幸せ。勿論、国産のクマたちも大好き。どの子も私の宝だ。
…吉熊は、中国産なんだっけな。2003年、SARSが流行っていたときに我が家にやって来た。半年ぐらい裸で放置していたのだが、母が吉熊に服を作ってくれ、それを着させたら、吉熊は「僕、吉熊」と自己紹介を始めたんである。あれから私のクマ好きは始まった。クマ好きのみならず、社長も上司も他部署の次長もみんなクマに見えてしまう。まさにクマ病末期。

クマの魅力とは何だろう。
今一度よく考えてみた。

擬人化させると、クマは大抵「気は小さいが力持ち」みたいな、喩えていうならば「きこり」ちっくな大男になる。
守ってくれそうな感じの持ち主とでも言おうか。
私は無意識の内に、「誰かに守ってもらいたい」という願望を持っていたのだろうか。

自分の気持ちに気付いていなくて、もし気付いていても性格上、甘えるようなことは言えない。
その鬱憤を昇華させるためにクマに依存している…という一つのテーゼを導き出した。

だからといって、今までの「人生ソロ活動」的生活を覆す気は微塵もなく、これからもとっぷりとクマとの世界に浸り続けるわけんだが。

兎に角。
イギリス生まれのクマに早く会いたい。