世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「それが大事」

2006年06月20日 22時13分59秒 | Weblog
「それが大事」(歌 大事MANブラザーズバンド)

「負けない事
 投げ出さない事
 逃げ出さない事
 信じ抜く事
 駄目になりそうな時
 それが一番大事」

このCDをC子ちゃんから借りたのは高校受験間近の冬。
この曲は私が中学2年のときに流行った曲だ。
なんで3年生のその時期にこの曲を、
そしてなんでグループも違う彼女から借りようとしたのか…どうしても思い出せない。

放課後、「あんまりみんなにに見せないでね。恥ずかしいから。」
流行歌ではない曲は、すぐに恥ずかしいものだと決めがちなあの頃特有な気持からだろうか。彼女は恥ずかしそうに笑いながら、学生鞄からCDを取り出し、素早く手渡してくれた。
「ありがとう。明日返すね。」
私もマッハで受取り、学生鞄に仕舞った。
早速家に帰り、カセットテープにダビングをした。

彼女と私は小学校から中学校を通して、ほぼ同じクラスだった。
家も近所だったのでよく遊んだ。
中学生になるとグループの所属が別になり、疎遠になっていた。
しかし、帰る方向が同じだったので一緒に帰ることも屡々あった。

「私、チョコ好きなんだ。袋にたくさん入ったチョコなんて、一人で全部食べちゃうもん」
「うそ~!C子ちゃん、そんなに痩せてるのにぃ!」
そんな他愛の無い会話をして歩く帰路だった。
そういえば、彼女は、小学生のときの私のあだ名「りょうこっこ」で、ずっと私を呼んでいた。

あれから何年か経過し、彼女に再会したのは20歳の時に通い始めた自動車教習所でだった。キャンセル待ちのとき。

「りょうこっこじゃん!」

聞き覚えのある透明な声。
振り向くとC子ちゃんがいた。
背が高く、スレンダーな姿は変わらずで、黒のパーカーが似合っていた。
教習所の待合室で、互いの近況や教習所の進捗具合等を述べ合った。

彼女の手には雑誌が握られていた。
arという雑誌だった。
髪型を変えたいので、参考にこの雑誌を買ったとのことらしい。
「私ね、死ぬまでに色々な髪型にしてみたいんだ。だって人生なんて一度しかないんだよ?色々試してみたいじゃん。」
彼女はそんなことを言った。

当時も今と変わらずコンサバを好んでいた私には不可解な発言であった。
しかし、彼女の「死ぬまでに…」という言葉が強烈で、忘れられない会話になった。

お互い卒検を迎え、彼女と会うことはなくなった。

2001年の秋に開催された同窓会で再会し、それが彼女との最後の対面になった。

2002年の冬。
彼女は癌と戦った末、天国へ行ってしまった。
通夜告別式は、都合が悪く、どうしても行けなかった。

後日、母と線香をあげに行った。
祭壇に飾られたC子ちゃんの写真が「りょうこっこ」と呼び掛けてくれそうで、
そしてCDを貸してくれたあの時みたく今にも笑いだしそうで、
彼女の死を受け入れられなかった。
私を「りょうこっこ」と呼んでくれる数少ない友達。
そんな昔からの友達の減少が、「疎遠になること」ではなく、「死」によってだなんて…。
涙が止まらなかった。

写真の下にはキットカットが籠に盛られていた。
「あの子、チョコが好きでね。入院中も隠れてチョコを食べていたみたいなんですよ」
C子ちゃんのお母さんが続けてこう言った。
「辛いだろうに、一度も弱音を吐かなかったんです。そして、お見舞いに来てくれたお友達に乳癌検診の大切さを話していたのよ。」と。


2006年。夏。朝。
MDラックから適当に取り出したMDを鞄に放り込み、出勤。
電車内でMDをオンにする。

「それが大事」が流れた。

よく聴くと「生きていることって大変だけど素晴らしいよね」という主旨の曲だと気付く。
C子ちゃんとの思い出を辿りながら聴くと、なんて皮肉なんだろうと思う。

今、与えられていることに、躊躇い無く立ち向かえること。
それはきっと掛け替えの無いことなのである。
同時に、生き残っている者への無言の責務でもある。
全ての人々が「死」という病のキャリアだが、
それを忘れている、忘れていられる間は、真剣に責務に向き合わなければならないのだろう。

この曲を聴きながら、そんな当たり前のことに気付いた。

今、この曲は確実に私への応援ソングになっているよ、C子ちゃん。
天国で「いやだ~。古いよ、りょうこっこ~!」と笑ってるんだろうなぁ。






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