世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

薔薇になりたいオオイヌノフグリ

2006年06月04日 23時46分42秒 | Weblog
吉熊は黄色い薔薇が好きらしい。あんた、黄色い薔薇の花言葉、知っているのかい?嫉妬だよ?嫉妬。

「薔薇」といって結び付く人になりたいと、私は兼ねがね思っている。
しかし、人は私を薔薇に例えてくれない。
「ビオランテでもいい、薔薇に例えてくれ」と切望しても、人は私を薔薇に例えてくれないんである。
薔薇どころか、「オオイヌノフグリ」に例えられたときは、マジで脱力した。
だって…フグリって…!

私の中で、薔薇の人といえば、「X JAPAN」のYOSHIKI。
彼の作品の中には薔薇が多く出てくる。きっと薔薇が好きな殿方なんだろう。
「Tears」という曲には、33歳で死んだお父さんへの深い思いが描かれている。

「流れる涙を 時代の風に重ねて
 終わらない悲しみを 青い薔薇に変えて
 Dry your tears with love
 Dry your tears with love 」


花マニアの母に聞いたら、実際に青い薔薇というものは無いらしい。
最愛の人を失った気持ちは、この世にない悲しみなんだとYOSHIKIは言いたかったのだろうか。

薔薇には無い色、青。
そんな青をオオイヌノフグリは惜し気もなく存分に身に纏っている。
えっへん!(←なぜか得意気。いいのか?自分。フグリで!?)

そんなフグリOLは、明日からも出勤。
先週末、生理によって片付けなかった仕事もあるので、パワフルに取り組むぜ。
明日の朝の音楽はXに決めた!
気合いれていよ、ゴルァ~!エックス~!

旧古河庭園

2006年06月04日 23時37分38秒 | Weblog
旧古河庭園。
薔薇で有名。
私の母親は足尾出身者である。祖父は銅山にて勤務をしていた。
足尾といえば銅山であるが、そこを取り仕切っていたのが古河財閥である。
その古河財閥の邸宅が、今、古河庭園として一般に公開されている。

足尾で、野山を走りまくり、「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな生活をしていた母は、古河財閥の人々の暮らしがどんなんだか、全く知らないでスクスク育ったらしい。
で、数年前、初めて旧古河庭園を訪れた時は、「あんれま~。凄く贅沢な暮らしをしていたんだわね。父さんたちの汗が、ここににじんでいるみたいだわ~。」と、ぽつりと言った。
母親には少し複雑な心境をもたらすこの庭園だが、私にとっては「薔薇+洋館=私は姫…!?うぐぐ(←最近、ボスの笑い方が移りつつある)」という、ナルシスト魂を満たしてくれる場所なのである。
今日も日傘を差しながらちんたら歩き、吉熊と記念撮影。
近くにいた老夫婦に「あら、熊ちゃん」とか言われた。


やんちゃな子

2006年06月04日 23時31分02秒 | Weblog
こうやって、いつも吉熊は私のバッグで移動をする。
身軽な子で良かった…。

「そんなに出てると危ないよ。引っ込んでいなさい。」
私は注意するのだが、外の世界に興味津々の彼は聞いてくれない。
まだまだ手が焼けるやんちゃな子である。

記憶の風

2006年06月04日 23時26分39秒 | Weblog
記憶というものは不思議なもので、人間の五感というネットワークに乗せられて、ふと突然にやってくる。そう、ふと突然に。
薔薇が見頃だろうと、古河庭園に行く。
桜の季節を終え早2ヶ月。早いものだ。四季折々の花に恵まれている日本って案外いいところなのかもしれない。…そんなことを考え、某駅改札を出ようとしたとき、記憶が小波の如く胸にやってきた。

あれは何年前の頃だろう。
私には大切な人がいた。
そして、その人と一緒にこの場所で指を絡めあった…。

小さな恋心が運命を勝ち取り、やがて成就するという、私の人生では珍しい事象がかつてあった。恐らく、最初で最後の実りある恋だろう。

彼の友達に80歳で独り暮らしをしている御婦人がいた。
澄子さんという。
彼の大学時代からの友達で、彼が通っていた大学の事務員だったそうだ。
その人は大正生まれにもかかわらず、お洒落でセンスが良かった。
富士山が見える彼女の高層マンションで行われたパーティ。
低い位置に照明があり、秋の夕暮の方が照明よりも印象的だったその部屋は、彼女のモダンな生き方を凝縮していた。
この部屋で、私の知らない学生時代の彼を随分知った。
私はその話に入ることができなかったが、でも、私の知らない彼の青春時代を聞けることは楽しかった。
そういえば、私はここで初めてドライフルーツという物を食した。
「亮子さんこれ召し上がってみて」と小首を傾げながら少女みたいに微笑む澄子さんは綺麗だった。
ドライフルーツは外国にデッサン旅行に行ったときに購入したらしい。
甘くて固いそれを必死で噛み砕きながら、澄子さんに冷やかされている彼をぼんやりと眺めていた。
帰るとき、駅まで私たち二人を見送ってくれた澄子さん。
「またいらしてね」

澄子さんの姿が見えなくなる改札付近で、どちらともなく繋ぎだした指と指。

そして、何年後かに私たちは別れを迎えた。
あれ以来、澄子さんとの交流は途絶えた。
男女の交際の破綻がもたらす損失は、お互いの存在だけではない。
友達などの、お互いを取り巻くものにも連鎖する。
そのことを幼かったあの日の私は知らなかった。


改札を出た。
手を繋ぐ人はいない。
それでも私は前に歩き出す。

私の髪を揺らす初夏の風は、微かにドライフルーツのにおいがした。