世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

朝日の照らすところ

2009年01月22日 22時35分30秒 | Weblog
昨夜、グアム島のことを思い出したついでに、またある想いが私の中で目を覚ました。

高校2年生の冬休み、私は2回目のグアム島へ行った。
2回目のグアム島の思い出は、青い島よりも遥かに思い出深い光景が私の胸に刻印されている。

午前中のフライトだったので、早朝に宇都宮駅発のマロニエ号(成田空港直通バス)に乗った。

冬でまだ朝日は昇っていない。
暗闇の中、バスは首都高を走り抜けていく。
マロニエ号の乗り心地は快適で、私は椅子に凭れながらウォークマンから流れる音楽に聴き入っていた。

都内に入った頃、薄暗い街並みが色づきはじめた。
建物の犇めく東京が、まるで舞台効果を高めるように明るく染まっていく。

私は決心した。
光に染まるあの光景を見て、決心したんである。

この街に住もう、と。
宇都宮も十分に素晴らしい街だと思う。
でも、将来の自分がいるのは宇都宮ではない、と思い始めたのが、あの時からだったのかもしれない。

14年後。
私はあのときになりたかった都民になった。

高速道路から見たあの建物一つに住まいを構え、毎日を過ごしている。

でも、まだ実感できないでいる。
上京して9年が経過しようとしているにもかかわらず、いまだにあの首都高から見た風景に私がいると思うと、恐怖と興奮と嬉しさと少しの不安が押し寄せて私は身震いをしてしまう。

特に、風呂上がりに化粧水を顔に叩き込んで、ふと窓の外を見ると、「『あの場所』で、こんな生活染みたことをしている自分」に気づき、動揺してしまう。

そして、何もできないまま親元を離れて生活している自分に僅かな不可解さを感じるんである。


こんな私にも、あの日、私を揺り動かした朝日がちゃんと降り注いでいるのだろうか。
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