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世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

学ぶ冒険

2009年01月07日 | Weblog
先日、テレビを観ていたら、栃木県栗山村の土呂部分校に、初めてテレビが貸し出された50年前の模様が映し出されていた。
観るつもりはなかったんだが、つい番組の最後まで観てしまった。

テレビがやってくる!

校庭に整列して待機していた子供たち。待ちきれずに、テレビを乗せた車を目掛けてダッシュをし、車を取り囲んだ。猛烈な歓迎っぷり。それもそのはず。当時のテレビは大変高価なものだったそうだ。

村から出たことがない村の子供たちが、テレビに見入る真剣な瞳が印象的だった。
ヴァイオリンという楽器は知っているけれども、その音色を聞いたことがない子供たちが、テレビから聞こえてくる音色にうっとりとし、自らの指を動かしている様子が可愛かった。

社会科の教育番組で初めて船を見た少年は、帰宅後、木片で船を作り、翌日先生に見せた。しかも複数の少年たち。
そればかりか、子供たちは自分達の住む土地にも興味を持ち、メモを片手に調査をした。
そしてその調査結果を学芸会で発表。
林業に依存する地場産業の将来性を危ぶみ、新たな産業構築を提案するなどといった「お前ら、本当に小学生か?」といったようなことをやってのけていた。

村の子供たちはテレビという窓を通して、社会を学んでいたのだろう。

学ぶ。
それは受信する側に好奇心がないと育たない。

50年後。
村の子供たちの今…釣り堀兼定食屋の女将さんになった女性は、パソコンを勉強している。
初めて自分で打ったのは店のメニューだった。
村を出て遠くで暮らす息子に1時間かけて数行のメールを作成し、送信後に「ちゃんと届いている?」と確認する女将さんの姿が微笑ましかった。


現在、私の周囲には様々な「窓」(社会と自分を繋ぐ媒体)がある。

魅力ある社会ではない、心に響く番組が少ない…といった、当時の土呂部のような環境とは異なるけれども、一番激変したのは学ぶ側の意識ではないだろうか。
あの子供たちのように、瞳を輝かせた経験が、果たして自分にはあっただろうか。
考えると自信がない。

学ぶことは冒険だ。知らないことを知りにいく。
私にはその心が欠如しているということを学んだ。

ただ日常に流されていたら駄目なんだ。

よし、今日から意識改革だ。
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