世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「禅 ZEN」  喜びも苦しみも涙も…。あるがままに。

2009年01月25日 22時23分09秒 | Weblog
喜びも苦しみも涙も…。あるがままに。



前から気になっていた「禅 ZEN」を観てきた。
角川シネマ新宿にて。
観客の年齢層は若干高めだった。

静かな気持ちになれるのかな?と煩悩塗れ&能天気な期待とは裏腹に、涙を流すほど深く感動したシーンがあった。

以下、ネタバレあり。

あらすじ
「只管打坐(しかんたざ)」の考えに目覚め、大宋国での修行より帰国した道元禅師(中村勘太郎)。勢力入り乱れる鎌倉時代、道元は禅の教えを広めようとしていた。困窮する人々にも権力者にもわけ隔てなく、出会った人々に真の教えを説いていく。(シネマトゥデイ)


道元役の中村勘太郎
→声が思ったよりソフトで、最初違和感があったが、物語が進むに連れて馴染んできた。知的で説得力のある言葉を紡ぎだす、真ん中ぽってりの唇に萌えた。
所作の美しさも溜息物だった。これは梨園で積んだキャリアの為せる技だろうか。
彼の周囲にだけ清澄な空気が流れていて、もうね、終盤なんか彼の姿を見るだけで泣けてきた。
厳しくクールなお坊さんなのかな?と思っていたが、遊女おりんの赤ん坊が亡くなったときや若い僧侶が寺を去るときなど、惜しみなくポロポロと涙を流す。けっこう涙もろいところが意外だった。

おりん役の内田有紀
→全く期待していなかったんだが、けっこう良かった。彼女の演技を観たのは久しぶりだ。アイドルだった彼女は当時、ボーイッシュで売っていた。その彼女が…夫と赤ん坊を養う遊女ねぇ…。でも、荒廃した世を逞しく生きる遊女の姿、そして子供を亡くして自暴自棄になる悲しみを上手に表現できていたと思う。

おりんの夫役の哀川翔
→ハマりすぎ!奥さんが身体を張って稼いでくるお金を巻き上げ、言い訳は「歩けない身体なんだから仕方ないじゃねぇか!」…でも毎晩奥さんの上に乗る…ダメ夫。ダメ。本当にダメ夫。最後の最後までダメだった。

音楽
→壮大な和風の音楽。誰の作曲?と思ったら、なんと宇崎竜童!
映画が始まる前、ずっと本作品の音楽が流れていたんだが、そのときから「この音楽、イイ!」と思っていた。


映画を観終えて、トイレで化粧を直し、帰りに池袋に寄ってバーゲンを楽しんだ。
うっほ~♪

…煩悩を捨て去ることは難しい。
そう、おりんに欲情し、道元の元を去る若い僧侶のように。
(でも、あのシーン…蛇に足を噛まれた若い僧侶の傷口を「チュウ…チュウ」と音を立てて吸う内田有紀のエロさに欲情しない方がおかしいと思う。貪っていたと思われても仕方がない吸いっぷりだったぜ?たった5秒ぐらいのシーンだったし、吸っているのは「元ボーイッシュなアイドル・内田有紀」と頭では分かっているのに、エロさを感じてしまった。)


春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえてすずしかりけり


「ああ、誰かに似ているんだよな、道元」

帰りに、映画を歩きながら回想した。
そうだ、私の心療内科の主治医・クマ医師だ!
発している言葉は違うけれども、いつも「あるがままに」みたいなことを言っている。
口調も似てる!
そうか、クマ医師は和尚さんだったんだ!
じゃあ、認知行動療法は座禅なのだろうか?

あと、今、なんで禅なのか?ということも考えた。
格差社会、相次ぐ倒産、社会不安、多発する変な事件の数々…あの映画に出てきた混乱する鎌倉時代に似ている。
戦後、半世紀にわたって「へ!そんなものっ」と無視し続けてきた倫理観に、そろそろ向き合わなくてはいけないのかな?と考えてしまった。

色々と考えさせられる映画だった。
とりあえず、うちのクマたちに座禅をさせてみた。



あるがままに。
クマのままに。
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